第3章 「あの日、あの時、あの少年」5
それを知ってか知らずか、陽子はテレビの電源を付けた。
聴きなれたメロディーライン。モニターの中の少年たちは、前奏に耳を傾けている。そして、いざ曲が始まると、ただただ一生懸命に歌い踊っていた。
俺はそれを見ているのが辛くて、ただうつむき握りこぶしを作った。
やがて曲がフェードアウトし、陽子が俺に向き直る。
「本当に良い歌というのは、誰かの人生さえ変えてしまう力があるんです。だから、価値がないなんて、そんな悲しいこと、言わないでください。じゃないと、私は今の自分自身を否定することになってしまいます。木村さんが何に迷い、悩んでいるのかは私には分かりません。だけど、SKBに――アイドルの木村崇矢君に出逢えていなかったら、今の私はいませんでした。私が変わる――夢みるきっかけを作ってくれたのは、あの日、あの時、あの少年の歌声だったんです」
「あの時の少年……?」
その姿を探すも、暗転したモニターに映し出されるのは、ぼんやりと死んだ魚の目をした青年だけだった。
わなわなと唇が震える。
「ただ一人の君(ファン)のことなんて俺は知らない。ただ俺は、今の自分を後悔している。後悔しかない……。どんなに期待されても、SKBの木村崇矢はもう! どこにも! いないんだ!」
俺は激しくかぶりを振り、吐き捨てるように叫んだ。
と、陽子は、微笑み穏やかに首を左右に振ると、
「いいえ。木村さんは気が付きませんでしたか? 昨日のあのステージ。私は、あの子たちの中に、かつての木村さんの面影を見ました」
「そんなのはまやかしだ」
「あの子たちだけじゃない。木村さんが教育実習で受け持った生徒たちの創作ダンス、担当の先生に習うよりもずっと面白かったって、うまく踊れたって言っていましたよ。それは、木村さんの中にダンスを好きだって熱い想いが、今も残っている証拠じゃありませんか?」
ギリギリと奥歯が軋む。
「あの子たちにとって、今でも木村さんは憧れなんです。だからこそ、希望の光を示すべきなんです」
「あんたは、何の夢も希望も持ち合わせていない男に、誰かの希望になれと言うのか? 俺の目の前には、光なんてどこにもありはしないんだ……」
陽子は、少しだけ憂いに満ちた笑みを浮かべる。
「希望の光は、未来にだけあるものじゃありませんよ。過去からの光が背中を押すことだってあるはずです。そして、木村さんにはそれがあるはずです」
「過去からの光……」
――SKB69
いつも俺を苦しめていた名が脳裏をよぎる。
「俺にとって、それは希望の光なんかじゃない。手かせであり、足かせ。俺を縛りつける呪いで、絶望の闇でしかない」
俺はSKBになり、全てを失った。他のメンバーだってそうだ。解散して、散り散りになりほぼ全てのメンバーが不幸への下り坂を転げ落ちた。薬におぼれる者、あの頃の暴露話をして芸能界へ居座り続けている奴、おバカタレントとして、人を笑顔にすると言うよりは、人から笑われる存在になっていた。それが、まぎれもなくSKBの末路だった。
「でも、それを支えにしている子たちがいるのも、また事実です。私にとって中学時代の恩師の先生がそうであったように、あの子たちにとって木村さんは憧れであり、希望の光であり――自分たちが目指すべき未来そのものなんです」
「そんなのあいつらが勝手に思っていることで、俺にはなんの関係もない」
「関係ない……ですか……。教育実習生の――ただの大学生の木村さんにはそうかもしれません。でも、木村さんは、みんなに夢を歌って聴かせた、希望の光を見せた。だから、アイドルとして果たすべき責任があります。そして、あなたはそれをきちんと果たせる人だと私は思います」
「だから、俺にもう一度あいつらを導けと言いたいのかよ? だけど、俺にそんな力があるなんて――」
「あります! あるから、言っているんです!」
それは、彼女が発した初めての強い言葉だった。いつもの優しく、穏やかな声色とはかけ離れた、強い意志をもった想いとしての言葉。
「あっ、ごめんなさい。ただ……」
柔らかな人差し指が、俺の胸を押す。
「何度も言いましたが、私は木村さんに勇気をもらいました。だから、自分のこと、もう少し信じてみてもいいんじゃないですか?」
「自分を、信じる……」
「そうです。ときに、自分を信じるのは、他の誰かを信じるよりもずっと大きな勇気が必要なのかもしれません。だけど、今も多くの人があなたを信じているんです」
その言葉に胸が大きく揺り動かされる。
「でも駄目なんだ」
「駄目、ですか? それは彼女たちじゃ全く見込みがないってことですか?」
俺は奥歯を噛み締めて首を横に振った。
「そうじゃないんだ……。駄目な生徒なんてどこにもいない。いるのは駄目な教師だけ。全く駄目なのは俺の方なんだ……。あゆむは俺を凄いと言ってくれた。心の中でもしかしたら俺にも何か出来るかもしれない、そう思っていた。だけど、結果はあのざまさ……。何をやってもうまくいかない。俺がプロデューサーでは駄目なんだ。俺には何も教えてやれない」
「何をやってもうまくいかないと感じるのは、きっと前提条件が間違っているんです。芸能界やアイドルのことは分かりませんが、あの子たちは普通の教師やプロデューサーが教えることじゃなくて、木村さん自身が目指したものを教えて欲しかったんじゃないでしょうか?」
「俺が目指したもの?」
「どんなに偉い先生が口にした何千、何万の言葉なんかよりも、木村さんがかけてくれた、何気ない一言が勇気をくれる。特別じゃなくても、何もしなくても、あなたが傍で見ていてくれるだけで、力が湧いて出る。そんなことってあると思います。だから、誰かのじゃなくて、木村さんがやりたかったこと、木村さんにしか出来ないこと。それをただ伝えてあげることは出来ませんか?」
あの頃は何が好きで、嫌いなのか、それがはっきりと分かった。でも、今は自分が何をしたいのか分からない。
そんな俺から何かを教わったとして、彼女たちを後悔させるだけじゃないのか?
「ひとつ、聞かせてくれないか? 今、君は自分の選んだ道を後悔してはいないのか? これから先の未来に、不安はないのか?」
「不安は、もちろんあります。未来なんてだれにも分かりませんからね……。でも、私はこれから先、自分が選んだ道にどんな結果が待っていようとも、先生や木村さんに出逢えたことを後悔したりはしません」
不安があると口にしながら、そんなものを微塵も感じさせない満面の笑顔で返された。
「あなたは、本当に強い人だな」
「そんなことはありませんよ。でも、もしそうだとするなら、夢が私を強くしてくれたんです。あの頃願った想いがいつも私の背中を押してくれるんです」
「ゆめ――か……」
そう口にするだけで、確かに忘れかけていた熱いものがこみ上げてくるのを感じる。
「でも、俺は、あの頃の夢を捨ててしまったんだ……」
両手で虚空を握りしめる。
「そうですね……。夢をみることは誰にだって出来ます。だけど、夢をみつづけることはとても難しいことなんだと思います。そして、自分で手放したものは、自らの手で取り戻すしかないんです。きっと……」
陽子は、再びCDを俺の手に握らせる。
「木村さんは教育実習の終わりまで、もう二週間しかないと言いました。けど、まだ二週間もあるんです。ただ一曲、5分足らずの歌にだって人生を変えられる。そのCDを聴き終わるまで一時間もあれば足ります。何かを変えるには十分すぎる時間だと思いませんか?」
「そんなこと……」
「私は、このCDから沢山のものを貰いました。今度は私が託す番です。木村崇矢さん。あなたの本当の夢はなんですか?」
その瞬間、俺の背中を押すようにあの頃の記憶が蘇る。歌、ダンス、練習漬けだった日々、俺を応援してくれた人たち。何より、あの時描いた想い。それは、陽子が言うように、過去からの希望だった。
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