第2章 「ユメノノコリガ」6



『あ~。テステス。ただいま、マイクのテスト中』

 ブーンと鼓膜を震わす音波が背後から聴こえてくる。

 振り返って見ると、通りを大型トレーラーが塞いでいる。ゆっくりと荷台が開くと、白々とスモッグが漏れ、黒いジャケットを着た瀧口が現れた。

『えー。みなさま、この後、14時30分から特別会場で、僕がプロデュースしたアイドルたちのライブが始まります。向こうの方にステージを用意していますので、ぜひお越しください』

 そうマイクパフォーマンスをすると、その場で意味不明な踊りを踊ってポーズをとった。

 一瞬、その場にいた者たちは何が起きたか分からなった。だけど、すぐにトレーラーの中央で変なキメポーズをしているのが、あの瀧口だと判ると、まず、女子校生の黄色い声があがった。次にパーマのきついおばちゃんたちがざわつき始める。それから先は芋づる式で、トレーラーの前に人だかりが出来た。

『はーはっは! みなさん押さないで~。押さないで~。席は十分にありますからね。スタッフの指示に従ってくださ~い』

 瀧口は満足そうに高笑いを上げると、ハーメルンの笛吹き男よろしく、会場内にいる全ての観客を引き連れて行った。俺と、陽子、そして、アイドル部のメンバーを除いては。



     *



 一通り人が会場を去った後、「いらっしゃーい。いらっしゃーい」と、あゆむが元気よく客引きを始めた。ステージ脇の薄汚れたテントに設置された長机に置かれた物販品。メンバーのサイン入りブロマイドや色紙、過去に自主制作したであろうCDが陳列されている。この売上で勝負を決めようというルールだったはずだったが、勝敗は火を見るよりも明らかだ。それを分かっていて孤軍奮戦しているあゆむには、頭が下がる。

 だが、グッズを売ろうにもそもそも客がいない。先ほどまでここにいた人たちは全て瀧口の方に移動してしまったのだ。通りがかった人たちも、瀧口陣営が置いて行ったライブ会場への矢印の立て看板を見ると、足早にそちらへと流れて行った。おかげでこちらは閑古鳥が鳴きまくっている。元気に声を出していたあゆむも次第に無口になっていった。

 気が付くと、会場には居眠りをしているお爺さんと陽子、アイドル部のメンバーだけだった。

「あの、これ。人数分買っておいたんです」

 パイプ椅子に腰かけている俺の膝上に、商店街名物の白桃パフェが置かれる。少し離れた位置に座っていた涙歌と咲月にも、はい。はいっと、渡していく。

「さぁどうぞ。甘いものを食べると元気が出ますから」

 小さくガッツポーズをして微笑む陽子。

 スポンジケーキや生クリームを踏み台に、ほのかにピンク色した白桃がバランスよく配置されている。華やかで案外とボリューミーなので、人気があるのも理解出来る。本来なら、ステージ終了のねぎらいの意味合いもあったのかもしれないが、今はそれも虚しく映る。

「うわ~。おいしそうですね」

 客引きから戻ったあゆむが元気よく、スプーンでパフェをなみなみすくってみせる。それを大口をあけて頬張る。

「ほら、涙歌先輩も食べてみてくださいよ!」

 あゆむは重い空気を打破しようとから元気を出してみせるが、他には誰も動きださなかった。

 俺はただそれを見ていることしか出来なかった。

「ごめん……なさい……。わたしのせいで、ライブ、上手くいかなくて」

 終始うつむいていた咲月がポツリと呟く。プラスチックのスプーンを握りしめた拳の上に一滴の涙が落ちる。

「そんなことないですよ。アタシもいっぱいいっぱい失敗しちゃったし」

 あゆむがすかさずにフォローを入れると、陽子もそれに続いた。

「そうだよ。気にすることないよ。ほら、また次頑張ればいいじゃない。商店街イベントは、来月も、再来月もあるし、きっと次は上手くいくよ。失敗は成功のもとだって言うじゃない」

「そうですよ。次は絶対に完コピしてみせますよ! だから、ご指導お願いしますね。木村先輩」

 と、あゆむは、期待に満ちた顔をこちらへと向けてくる。が、俺はかぶりを振る。

「いや、もういいだろ……。今回俺はお前たちの力にはなれなかった。それが結果だ。これが俺の実力なんだ。これ以上、もうお前たちの面倒を見る気はないよ」

「え……? 急にどうしたんですか?」

「急じゃないさ。最初から俺は乗り気じゃなかったし、ずっといつ辞めようと思っていた。だから、今回はいい機会だったんだ」

 俺はずっと自分の中にある矛盾を拭えずにいた。自分では何もせず、彼女たちを見守ることで何かが変えられると思った。そして、その結果がこれだ。

「今、木村さんに見捨てられたらアタシたちこれからどうすればいいんですか?」

「見捨てる? 俺は別にお前たちのことを見捨てる訳じゃない。俺はいずれいなくなる人間でしかない。顧問でも何でもない。ただ練習を見てくれと言われてそれに付き合っただけし、他の部活が見つかったらそこまででもいいって約束だったはずだ」

「それは……。でも、アタシたちは、本当のアイドルになりたいんです」

「アイドルになるなんて、そんな簡単に言って欲しくない」

「簡単だなんて思ってません。自分がアイドルになるなんて想像出来ないし、夢で終わるかもしれないけど、でも、だけど――!」

 あゆむは声をしゃがらせて、俺の腕を取り追いすがる。だが、俺はそれを無理やり振り払う。

「本気でアイドルを目指すなら瀧口――さんに頭を下げてお願いすればいい。あの人ならきっとその期待に応えてくれるはずだ」

「嫌です! アタシは木村さんがいいんです! 木村さんじゃなきゃ、憧れの、木村崇矢さんじゃなきゃダメなんです!」

 そこには、いつもの元気な笑顔はなく、どこか鬼気迫る表情があった。

「いつもいつも、なぜ俺なんだ……。今の俺は芸能人でもアイドルでもない。ただの大学生なんだ。何の力もなければ、何か特別なことを教えられるわけじゃない。お前たちに本当に必要なのは、夢をみせるピエロなんかじゃない、きちんとした現実(しょうらい)をみせてくれる大人の教師なんだよ……」

 顔を逸らして呟く。

「俺は芸能界なんて好きじゃなかった……。何より、アイドルが嫌いだから辞めたんだ……」

「そんなの……。うそ……ですよね……。木村さんはアイドルが、好きで、好きだから、あんなにも凄いダンスや歌も出来たんですよね?」

「それは違う。俺は芸能界もアイドルも、そこにいる人間全てが嫌いなんだ。そして、多分、それを目指している奴らもだ。だから、俺は人前で歌い、踊る喜びなんて、そんなものはとっくの昔に忘れてしまった。そんな人間に一体何が教えられる?」

 そこまで言っても、さらに追いすがろうとするあゆむを涙歌が制止した。

「もういいでしょ。この人はあゆむが知っている木村崇哉じゃないのよ。これ以上、何を言っても無駄よ」

 そうだ。俺は、もうかつての俺ではない。自分でも、自分が何者なのかを分かっていないのだから……。

「ごめん……。それじゃあ、もう行くよ」

 誰にともなく頭を下げてその場を立ち去る。その背中にかけられる、小さなつぶやき。



 ――今のあなた……。凄く格好悪いよ。

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