第2章 「ユメノノコリガ」5
パンパンと空に空砲が放たれる。時計の短針は、11時を指し示していた。商店街のイベントの始まりだ。
と、言ってもすぐに客がぞろぞろと湧いて出るわけでもなく、12時を回った頃にちらほらと客足が伸び始めてきた。
商店街の各店舗が、集客のために目玉商品を用意したり、割引セールをやったりとイベントを一生懸命盛り上げようとしている。
ここ公民館前でも、商店街有志が焼き鳥や、もつ煮、焼きそばといったB級グルメを販売している。とりわけ、この地方の特産物のモモを使用した白桃パフェはお昼過ぎには売り切れる人気商品とのことだ。
アイドル部のライブ開始は14時開始だが、13時からイベントスペースでは青年団や老人会の人たちがのど自慢や詩吟、人形劇で、お腹の膨れたお客さんに休憩も兼ねて楽しくくつろいで貰っている。
お昼を過ぎ、部のメンバーも既に公民館に到着して、公民館の一室で自分たちの出番を今や遅しと待っている。
俺は最後尾の堅いパイプ椅子に背中を預けてボケーとステージを眺めている。時折起きる歓声に合わせて愛想笑いを浮かべた。アイドル部のプロデューサーとして、俺に出来ることは何もないのだが、結果だけは見届ける義務がある。
と、隣の席にポンとペットボトルのお茶が二つおかれた。見ると、陽子がソース染みが付いたエプロンを脱ぎながら、「ここ、いいですか?」と俺の顔を覗き込んできた。
俺がうなずくのを見て、陽子は腰を下ろす。プリーツが皺にならないようにスカートを押えながら座る姿がとても愛らしく見えた。
「もうすぐですね」
差し出されたペットボトルを受け取るついでに腕時計を見ると、いつの間にかアイドル部の登場予定時間五分前になっていた。
「お昼食べました?」
首を横に振って応えると、
「カツサンド。どうですか? 白桃パフェほどじゃないですけど、結構美味しいですよ」
エプロンのポケットに隠し持っていた包みからカツサンドを取り出した。
「カツ、サンドで、自分に、カツ! です」
元気よく差し出されたカツサンドに戸惑う。
「あ、いや、俺は……」
「って、イベントの参加報酬がカツサンドじゃ割に合いませんね」
「そうじゃなくて、あいつらも本番前だから、お昼、まだ食べてないと思うから……。あゆむ――元木が、ライブが終わったら一緒に食べようって。だから、気持ちだけ頂くよ。ありがとう」
薄く笑うと、陽子は優しい目をして微笑んだ。
「メンバーたちと一心同体。ステージに立っていなくても繋がっているんですね。いいですね、そういうの……。では、お礼はあらためてお渡ししますね」
それじゃあ、私は失礼してと、カツサンドの端に小さくかぶりつく。白くフワフワなパンに控え目な歯形が付く。パンの間からのぞく厚切りの豚カツもやけにジューシーに見える。噛み締めるほどに、その旨さが口の中に広がっているのか、陽子の笑顔度は密度を上げていった。その表情を見ていたら、一緒にお昼を付き合えなくて悪いことしたような気になってくる。
そんな彼女の様子を見ていたら、唐突に目が合い、ドギマギしてしまう。
「そっ、そういえば、瀧口――さんのアイドルたちがまだ見えないようだけど……」
たしか、アイドル部の歌の後で、瀧口のアイドルたちがパフォーマンスをする段取りになっていたはずなのだが、辺りを見回しても瀧口はおろかそれっぽい女の子たちも見当たらない。
「ええ……。それが、この舞台では自分のアイドルのパフォーマンスが出来ないって、ライブ用のトレーラーを自前で準備して、そちらで待機しているみたいですよ」
これには、陽子も少し苦笑いを禁じえなかったようだ。
「そう……か」
そういえば、あの人はそういう人だ。自分が勝負に勝つためならなんだってやる。でも今回に関しては、むしろ瀧口のアイドルがこの場に居てアイドル部のメンバーと対比されなくて良かったのかもしれない。どうせ瀧口のことだ。アイドルたちのパフォーマンスも完璧に仕上げているに違いない。
つまりは、アイドル部たちが勝つことは万に一つもないということだ。
そうこうしている内に、アイドル部の登場時間になった。
前ステージの、漫才をしていたご老人が退場して、ステージ上が静かになった一方、場内の喧騒が目立つ。
自然と唾を飲み込む。緊張で、拳に力が入り、爪が手のひらに食い込む。
フェードアウトしていた古めかしい和曲が転調し、ポップな曲調がフェードインしてくる。同時に、ステージ端から、あゆむ、涙歌、咲月が小走りに登場してくる。
簡単な自己紹介に始まり、商店街紹介文のカンペを棒読み具合で読み上げる。あゆむは元気よく店舗紹介のMCを頑張っているが、他の二人がどうにも心もとない。涙歌はこういうどうでもいいお喋りというか、パフォーマンス以外のことには関心が薄いようだ。咲月は一生懸命やろうとしているが、どもって上手く喋れていない。
一通りこのイベントの趣旨でもある商店街の紹介が終わり、ようやくアイドル部のパフォーマンスが始まる。
メンバーたちが所定の位置につくと、イントロが流れる。
「あっ……」
漏れる吐息。
それは、何度も聴いたメロディー。SKBのセカンドシングルで、最初で最後のミリオンセラーの曲だった。
『Power of the Dreams』
有名な作詞家に作曲家、振付師をかき集めて作られた楽曲だ。とある番組の企画として作られた歌でもあり、売れるべくして売れた作品とも言える。
それゆえ、SKBの中でも屈指の難易度を誇る作品。音域も広くて、ダンスパフォーマンスもかなり激しい曲だ。
高難易度がゆえに、一度、ライブで歌って以来、それ以来、ライブ全部が口パクと言うSKBにとっては光と影の存在。CD収録のリテイクは数え切れないほどしたし、完璧なダンスのために合宿も一週間まるまる使った記憶がある。トレーナーにも何度もどやされ、殴られもした。今思えば、不条理極まりない指導だった。だけど、あの頃が一番充実していたし、俺が一番頑張った時期だと言える。
結局、この曲にしたのか。
あゆむからこのイベントで歌う候補の曲だと聞いて、今回のステージには向かないと言ったのだが、どうやら俺の意見は考慮されなかったようだ。
心底嫌われているな……俺。
そりゃ、きちんと歌いきれば会場内が盛り上がる曲ではあるのだが、何よりこの曲は元々難易度が高いのに加えて10人以上で歌うのを想定したものだ。涙歌がアイドル部のメンバー用にアレンジを加えているが、練習の時でさえほとんど失敗してばかりだった。
だが予想に反して、序盤~中盤にかけてはかなり練習したのか、かっちりと動きが合っていて、見ていて気持ちが良かった。
「いい歌ですよね」
耳元でささやき声が聞こえた。声のする方に振り向こうとしたが、顔がすぐ近くにあるのが分かったので止めておいた。
「あ、いや……」
「今までで一番いいかもしれません。ほら、あの女の子、楽しそうに踊ってますよ」
ステージ前で見ていた幼稚園くらいの女の子も、部員たちのダンスに釣られてステップを踏んでいる。観客たちも何人かは手拍子でメンバーに声援を送っていた。
「ほら、木村さんだって」
「え?」
促されて見ると、膝上に置かれた指先が無意識にリズムを刻んでいた。
「あっ、いや、これは」
うまく言葉が出なかったので、思わず握り拳を作る。
フフフと、楽しそうな笑い声を耳にして、頬が熱くなるのを感じた。
俺は、自分でも自覚していた。この子たちにかつての自分自身の姿を重ねていることに。そして、もしも、あいつらが、このステージを成功することが出来たのなら、自分の中に何かが変わるのではないかと。
このまま何事もなく上手くいって欲しいと、ステージ上を固唾を飲んで見守る。
だが、本番はここからだ。
いつも練習していて間違えている箇所――最後の見せ場である連続サビの部分に差し掛かる。
テンポアップしていく曲調。後ろ、前、右に左にと、せわしなくステージ上を動き回るメンバーたち。ダンスは派手で激しくなるが、反面、歌声がおろそかになっていく。徐々にメンバーの動きが、それぞれ遅れ始めていく。
――駄目だ。
そう思い目を逸らした瞬間。
ゴン! と鈍い音が会場内に響く。見ると、咲月の手に握られていたマイクがステージ端に転がっている。焦って、それを拾おうとして、つまずき、さらにマイクがあさっての方向に飛んでいく。
キーンという、ハウリングが耳をつんざく。
会場内がざわつく。時が停まったようにメンバーたちはステージ上で固まっている。
口パクではないので、伴奏だけが水のように流れ、やがて静寂へと消え入る。
こうして、彼女たちの挑戦は静かに幕を下ろした。
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