第2章 「ユメノノコリガ」3
放課後。教習生控室の扉を開くと、
「こんにちは」
満面の笑みで、あゆむが迎える。
待ってたのか? と訊くと、あゆむは首を横に振り、ちょうど近くに来たからと答えた。『たまたま』を強調して。
そう言われたら、別に疑う理由もないと、部室へ向けて歩き出す。
「実はですね。朝のお迎えが空振りしてしまったんで、先輩が寂しがっているんじゃないと思いましてね」
「んな訳あるかよ」
素っ気なく返すと、
「またまた~」
と、早歩きの俺に並走しながらあゆむがおどけてみせる。だが、今度は何も返さずに無言で歩く。
「実は、今朝のこと。誤解させてしまったんじゃないかと、ちょっと気になって……」
「誤解?」
「木村さんの本当の価値って言うか、何と言うか……」
モジモジと体をくねらせて、ばつが悪そうにあゆむは言った。
「ああ。それか……。誤解も何も、自分の価値なんて自分が一番分かってるからさ。俺は所詮、元SKBのメンバーなんだよ」
そうさ、俺は所詮SKBの木村崇矢なんだ……。
「いえ、そういうことじゃなくて……」
俺は、あゆむの煮え切らない態度に息苦しさを感じ、ネクタイを緩めて大きく息を吐き出した。それで、あゆむは何かを理解したという表情になり、
「そう。それなんです。夢……。夢なんですよ」
鼻息まじりな声で俺の前にピョンと飛び出すと、そのまま俺の歩幅に合わせて器用に後ろ歩きを始めた。
「今だって、木村先輩は先生になるために、ネクタイを締めて頑張っていますよね。だから、木村先輩は、今も間違いなくあの頃のままで、夢を持ってて、それが木村さんの良さと言うか……」
「夢?」
「そうです。ほら、いつもSKBの皆さんが言っていたじゃないですか。『夢を叶えよう!』って」
そう言えば、あの頃は夢とか努力とか、誰かが口にした安っぽい言葉を連呼していたような気がする。その言葉の本当の意味さえ知らずに……。
「アイドルの次の夢が先生なんて、将来のこと、きちんと考えているって言うか。アタシには分からないですけど、そこに至るまで沢山の悩みとか、葛藤があったんでしょうね」
将来……か……。俺はそんなもの何も考えていない。今も、あの頃だって、目の前にあることだけで精一杯なんだ。
気付かれないように、目を逸らすと、あゆむは俺の視線の先に回り込んで、覗き込む。
「ちなみに、アタシの夢はアイドルになることなんですよ」
まぁ、叶わないんですけどねと、はにかんだ。
「そうか……。それは良かったな。だけど、俺にはお前が何を言っているか分からないよ」
あゆむが叶わないと言った夢。それが、今の俺にはたまらなく眩しくみえた。
「ははは。やっぱりアタシは説明が下手ですね。早い話、アイドル衣装の木村先輩も格好良かったですけど、スーツ姿の木村先生もすっごく素敵ですねって話です」
俺が鼻で笑うと、あゆむは何も知らない顔で腕を絡め、「期待してますよ。プロデューサーさん」と付け加えた。
それから、アイドル部のメンバーは週末のイベントに向けて練習を重ねた。
あゆむは、変わらずに毎朝俺を迎えに来た。
「もう来なくてもいい」と言っても、「早起きは習慣になってるし、ここまでジョギング出来て、いいトレーニングにもなるから一石二鳥です」と自分の意見を押し通した。
「それにしても、部員が3人って、アイドルって人気ないんだな」
学校までの道すがら、やや後方を歩くあゆむに話しを振る。
「そんなことないです。アイドルはいつだって女の子にとって憧れなんです!」
鼻息を荒くしてあゆむが身を乗り出す。
「でもな……。実際、部員は3人しかいないじゃないか」
「それは……」
大上段から振り下ろされた正論に、あゆむはばつが悪そうな顔をした。
「涙歌先輩が頑張り過ぎるから……。誰もそのレベルについてこられないからなんです」
俺は、『誰も』という言葉に違和感を覚える。と、あゆむは、その疑問を解消するよう話を進めた。
「実はアイドル部には、入学当初、沢山の新入部員がいたんです……。だけど、練習が本格的になっていく内、部員は一人減り、二人減り、ゴールデンウィークが始まる頃には、アタシ一人になっていたんです」
そうだったのか……。
「『アイドル部』ですから、みんなはミーハーというか、どちらかと言えば未知な世界への憧れや好奇心を求めて入部したみたいなんですけど……。木村先輩も見ていて分かりましたよね。涙歌先輩の練習は厳しすぎるんです。本気でアイドルを目指すための練習。体験入部の初日で挫折する人もいたくらいです」
そりゃそうだ。あんなキツイ練習は、全国を目指す運動部がするものだ。
「みんなにとっては、アイドルは追いかけるものですけど、涙歌先輩にとって、アイドルは追いかけるものじゃなくて、自分自身がなるものなんです」
そうか……。涙歌は、まだあの時の約束を……。だが、俺は……。
「でも、お前たちはどうして部にいるんだ? 毎日きついだろ?」
「え……? それは、きついのはきついですけど……。別に、誰かに強制されてやっている訳ではありませんし……」
あゆむはキョトンとした顔になったかと思うと、腕組みをしたり、視線を宙に泳がせたりとせわしなく動き、「咲月先輩のことは、分かりませんが」と前置きを置くと、
「アタシは、涙歌先輩が大好きだから、一緒にいるんです」
夏の向日葵のような笑顔で答える。それがあまりにも真っ直ぐで、それがあゆむの全てを表しているようで、口元が自然と緩んだ。
「あ~。何か勘違いしていますね」
「違うのか?」
「いえ、そうですけど、そうじゃないっていうか。そんな単純な話ではないんです」
ぷっくりとほっぺを膨らませたかと思ったら、あゆむは穏やかな笑みを浮かべた。
「先輩は、憧れの人なんです……」
「そうか……。本当に好きなんだな。ずっとその気持ちを大切にな」
「とにかくっ! 涙歌先輩は、ズルやサボったり、怠けたりしない。いつも全力投球。他人にだけじゃなくて自分にも厳しいんです。だから、アタシは信じてついていくことが出来るんです」
だから、早く行きましょと、あゆむは俺の手を取って学校へと走り出した。
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