第2章 「ユメノノコリガ」2

 ジリリリリリリ――――!!!!



 けたたましく響く目覚ましのベルの音。

 それを止めるついでに時刻を確認する。セットした覚えはないが、アラームは5時に設定されてあった。

 嫌な夢をみたものだ。

 SKBを解散に追いやったきっかけ。俺がSKBを辞めた原因。

 今でもまぶたの奥に焼き付いて離れない。

 自然と舌打ちをしてしまう。

 すっかり目が覚めてしまった。俺は全身をバネのようにして、ベッドから起き上がる。と、脇に置いてあった雑誌が滑り落ちる。そう言えば、昨日はこれを見ていていつの間にか寝落ちしていたのか。

 自分が蒔いた種とは言い難いが、アイドル部の連中にとっては何のメリットもない勝負だ。巻き込んだ手前、自分が出来ることはやっておかなければ気が済まない。俺は、瀧口の最近の活動を下調べすることにした。

 雑誌には、瀧口がプロデュースするユニットのメンバーの名前と顔写真だけが載っているだけで、大した情報はなかった。だが、瀧口プロデュースということで、メンバーのレベルの高さをうかがい知ることは出来る。

 敵の情報がない以上、今、自分の出来ることをやるしかない。

 そんなこんなで、いつもの30分前に部室前にやって来たが、一体何をしていいのやら。というか、自然に部活に出ようとしている自分に驚かされる。

 部室のドアノブを掴んではみたものの、所詮おかざりの顧問なので、鍵なんて持ってなかった。

 何とはなしにノブをひねってみると、ガチャリと扉が開いた。

「ったく不用心だなっ――」

 半ドアのまま、硬直し息を飲む。

 目には、真っ白い三角形が飛び込んできた。

 上はきちんと白いシャツを羽織っているが、下にはくの字に曲がった足首に紺色のスカートが絶妙な角度で引っかかっている。柔らかそうな下腹から覗くおへそが、こちらへと自己主張している。

 お互い、何も言葉を発さないまま10秒ほど硬直状態を続けた。が、俺の方もようやく状況を飲みこめたようで、

「ごめん」

 と言って、そっとドアを閉めた。そのままの格好で、二歩、三歩後ずさり、回れ右をした後、大きく息を吐き出した。

 今のはたしか、月野咲月とか言ったっけな。あまり話したことがないので、なおさら気まずい。いや、誰がいたとしてもまずい状況には変わりないのだが……。

 知らないこととはいえ、女生徒の着替えを覗いてしまったのだ。初夏、早朝の肌寒さに鳥肌を立てているのに、背中にはジットリと汗を感じている。のぞき、犯罪、不祥事、逮捕、不穏な文字が頭に浮かんでは消える。

 考え過ぎて、プスプスと、頭から煙が出そうになっていた時、おもむろに部室の扉が開く。

 見慣れた半袖の体操服に、朱色のブルマ姿の咲月が出てきた。

「お待たせしました」

「あっ、ああ……。悪い……。その、誰もいないと思っていたんで……さ」

 何と言っていいのか分からず、頭に浮かんだ言葉を伝えてみる。

「いいえ。こちらこそ、申し訳ございませんでした。粗末なものをお見せてしまって。今までは女性だけしかいませんでしたから、これからは鍵をかけるようにします」

「そっ、そうだな……。いや、俺の方も注意するよ」

 目を合わせずに、はははと乾いた笑いを浮かべて、その話題に終止符を打つ。

 咲月の方も本当に気にしていないのか、アスファルトにお尻をつけて、一人でストレッチを始めた。

「んっ、ん」と、吐息を漏らし、ぎこちのない動きで筋繊維を伸ばしていく。とはいえ、この子はあまり筋肉がついてはいないように思う。ボディは柔らかそうなのに、結構、体は堅そうだ。物腰が随分と柔らかいせいもあるのだろうか、あゆむや涙歌に比べると、随分とぽっちゃりした印象を受ける。いや、彼女の名誉のために付け加えると、別に太っているというわけではない。あくまで、安産体型というやつだ。

 前屈をするたびに、胸がつぶれているのが視線の端に映る。

「その……。なんだ……。まだみんな来てないのに、君は随分と早いんだな」

 ずっと見ている訳にもいかないので、素朴な疑問を投げかけてみる。

 と、咲月は、前かがみのまま、フリーズすると、深いため息を吐き出し、

「私には何もありませんから……」

 小さな呟き。こちらとは逆を向いているせいか、はっきりとは聴き取れなかった。

「それに、どちらかと言えば遅すぎるくらいです……」

「それって、どういう――」

「何でもないです。それじゃあ、わたしは少し走ってきますね」

 俺の質問を聞き終わる前に、咲月はグラウンドの方に駆け出していた。

 その背中を、俺はただ見送ることしか出来なかった。

 何もない……か……。

 それは俺の方だ。いつも何かをやらなきゃと思っている。だけど、それが何かが分からず、何も出来ずにいる自分がここにいるだけだ。

 自分でも眉間に皺が寄っているのが分かる。

「シリアスな顔も絵になりますね」

 声のした方に振りかえると、あゆむが両の親指と人差し指で四角いフレームを作って、こちらを覗き込んでいる。

「イケメン、みっけ、です」

「おはよう……」

「おはようございます、先輩。先に行くなら行くって言ってくれないと。アタシ、家にお迎えに行っちゃいましたよ」

 不機嫌な声色にも、笑顔で応えるあゆむ。こいつには、悩みなんてものはないんだろうな。

「そうだな。悪い……。って、別に迎えにこなくてもいいって。もう自分で起きれるからさ。正直、大変だろ?」

 意外そうな顔で、あゆむが俺の顔を覗き込む。

「あんなに、嫌がっていたのに、どういう心境の変化ですか? これからは、本格的にプロデュースしてもらえるとかですか?」

「そうじゃないけど、俺のせいで、瀧口さんとの勝負になったからな。プロデュースなんて、大層なことは出来ないけど、アドバイスくらいはな……」

 あゆむの表情がパァァァと目に見えて明るくなり、「それで、十分ですよ」と、俺の両手を取ってブンブンと振って喜びを露わにした。

「それに、頼みもしないのに、誰かさんが叩き起こしにくるからな。いい加減慣れたよ」

 やんわりと手を離す。

「ほうほう。体は正直ということですな」

 俺の胸に『の』の字を描いて、うっふ~んとすり寄ってくる。

 お前は、おっさんか? いくつだよ。と、デコピンをすると、ペロッと舌を出して、あゆむはおどけて見せる。

 だけど、こちらを見つめる真っすぐな瞳、真っ直ぐな笑顔。それはかつて見た光景で、そんな姿を見ていると、俺の胸は千々に乱れる。

 じっと見つめていたせいか、あゆむの頬が心なしか赤く染まっている。

「そんなに、熱い視線で見られると、恥ずかしいです」

 鼻の頭をかいた人差し指で、俺の胸を突いてきたので、それを手のひらで受け止めた。

「どうして俺なんだ?」

「え……」

「なんでなんだよ……。一体、俺なんかに、何に期待しているんだ? 多分、俺は、お前たちが期待していることは出来ない……。なのに、どうして……」

 悲しみ、怒り、妬み、憎悪、焦燥……。様々な負の感情が、みぞおちから胸の辺りにこみ上げて、目がしらが熱くなるのを感じた。

「アタシはそんなことないと思いますよ。それにそう思うのは、木村さんが、自分の本当の価値に気が付いていないだけなんです」

 そう言うと、あゆむは人差し指を、俺の親指と人差し指の間に滑り込ませる。中指、薬指と指を滑り込ませていく。

「本当の価値? そんなのある訳がない。だって、俺は、大切な人との約束も守れない、最低の人間なんだ」

 あゆむの指を――繋がりを断ち切ろうとするも、それはガッチリと絡みついて引き離すことは出来なかった。

「そんなことない……。少なくとも、アタシたちには……。アタシには木村さんが必要なんだって信じてます」

 握る指先に力が入る。

「今日だって、ホントは不安だったんです。朝、木村さんがどこにもいなくて……。もしかすると、ずっとアタシのこと迷惑に感じてて避けられたんじゃないかって。ここに来る間も、ずっと胸が張り裂けそうで……」

 ジグザグに折り重なる10本指たちを、包み込む手のひら。

「だから、凄く嬉しかったんです。木村さんがここにいてくれて……」

 祈るような恰好で、こちらを見つめる二つの潤んだ瞳。

「だから、気が付いたんです。自分の本当の気持ちに……。やっぱりアタシは……」

 なんだ? 朝もやのかかった校舎裏の部室棟で、この子は何を言おうとしている?

「聞いてくれますか、アタシはずっと、木村さんのこと――」

「ん、んん!」

 咳払いが、あゆむの肩越しに聞こえる。

「おはよっ」

 見ると、そっぽを向いた涙歌が眉間に皺を寄せていた。

 それから、涙歌の「ストレッチは終わったの?」と言う質問に、「まだです」とあゆむが答えると、涙歌はいつもより激しくあゆむへとストレッチを施したのだった。



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