第1章 「伝説のアイドルの伝説」6
あゆむを送り出し後片付けを終えた俺も会議室へ急ぐ。教室の扉越しに様子をうかがうと、すでに教育実習のミーティングは始まっていた。
後方の扉を恐る恐る開けると、一斉に視線がこちらへと向けられた。
「木村さん。遅刻ですよ。これから先生になろうという人が、それでは困りますね」
学年主任兼、教育実習の責任者がひとしきり小言を終え、俺を教室の後ろの席につかせると同時にチャイムが鳴る。
「それでは、先ほど説明した通り、今隣に座っている方が本教育実習期間のペアとなります。お互いに切磋琢磨して、良い教師とは何かを考えてみてください。以上!」
朝礼終了後、実習生は各々、授業へ向かったり、実習のレポートを書いたりしている。
「明日は片づけを適当な所で切り上げないとな……」
大きくため息を吐き出す。一時間目に授業がなくて助かった。俺はネクタイを緩めながらひとり呟く。
「早速、部活動の朝練ですか?」
「え? ええ……」
「随分頑張りますね」
隣に座っていた女性に突然話しかけられた。
「あ、いや」
いぶかしげな視線を向けると、女性はニパッと微笑んで、
「私は現代文を専攻している花野陽子です。これから、実習のペアとしてよろしくお願いしますね」
自己紹介に俺は軽く会釈で応える。
ペア? なんだっけ?
と、頭に疑問符を浮かべた俺に、陽子は今朝のミーティングで教育実習の一環として、実習生同士が互いの評価を行うペアを組むように言われたのだと教えてくれた。
「それで部活は何にしたんですか?」
「ァィ……ドル……部、です」
何となく言いづらくて、小声になってしまう。
「ドル部? ですか? なるほど、世界通貨を研究する部活動か何かですか?」
「いえ……。アイ、ドル部……です……」
「あっ、聞き間違えてしまいましたね。アイドル部。そうですよね。あの木村さんですからね」
嬉々として語るお隣さん。
またか……。どいつもこいつも、俺はSKBの木村崇矢でしかないんだ。どんなに時が経っても、一度ついたイメージはそう簡単に拭えるものではない。
「ごめんなさい。そういう意味で言ったんじゃないんです。あの子たち、あなたに憧れてましたからね」
感情が顔に出たのか、陽子は頭を下げた。
「あの子たち?」
彼女は何を言っているのだろう? 首をかしげてみせると、
「はい。実は、アイドル部のみんなにはいつもお世話になっているんですよ」
その言葉にさらに首の角度をかたむける。
俺のそんな雰囲気を察したのか、陽子は自分が地元商店街の役員の娘で、いわゆる、さびれたシャッター商店街を盛り上げるためにこの学校のアイドル部に催し物に参加してもらっているとのことだった。
いわゆる、ローカルアイドルってやつだな。にしても、もはや流行のピークは過ぎただろうに……。
「だから、アイドル部のことは良く知っているんです。あの子たち、SKBの曲も沢山聴いていたから。そのご本人に指導していただけるなんて、夢のようだろうなって思って」
そう言うと、陽子は目を細めた。優しい微笑み。その姿は、高校教師というよりは、むしろ小学校や幼稚園の先生のような母性――温かな慈愛に満ちていて、天使というものがいるのなら、きっとこんな姿をしているのだろうと思った。
「って、どうかしましたか?」
何となく、その姿に見とれて呆けていた。
「いや、何も……。だけど、やっぱり、教育実習生もどこかの部活に所属しないといけないんだ?」
「はい。教育者たるもの、生徒との時間を一分でも多く過ごす必要があるって。素晴らしい方針ですよね。私は、担当の先生の勧めで書道部に入りましたよ」
「そう……」
何とかアイドル部から逃げ出す理由がないかと模索したが、どうやらそれは無理なようだ。しかし、朝の感じだと俺が何か指導する必要もないだろう。ただ、2週間という短い時間を無難にやりすごせばいいだけだ。
それにしても、あいつらがSKBの曲を聴いていたなんて……。どうしてだろうか? 今時の流行りでもなんでもないあんな古臭い歌を……。
「だから、彼女たちは本当に幸せなんだと思いますよ。憧れの人に直接指導して貰えるんですから。大変だと思いますけど、頑張ってくださいね」
陽子は実に屈託ない笑顔を向けてきたが、俺は素直にうなずくことは出来なかった。
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