第25話 デフ・アルピニスト

 僕は白馬を後にして高速道路に乗ると南へ南へと走っていく。アルプスの山々を横目に見ながら、美しかった白馬での出来事が天国か楽園か違う世界の出来事のように感じた。今からは、現実だ。僕の車には、浩ちゃんがいる。無事に連れて帰らないといけない。僕は車中の浩ちゃんに話しかける。


「お疲れさん。今から京都に帰るで。どうやったんや、白馬での登山は。面白かったんか。初めて来たけど、あんまり綺麗なところでビックリしたわ。浩ちゃんが死んだって聞いたから来たけど、悲しんでいいんか、感動していいんか、よう分からんやないか。登ったことはないけど、あんな高い山に登ったら、見える世界も違うんやろうな。何が見えたんや。命を懸けて見に行くんやから、そら、心に刺さるもんが見えたんやろう。五龍岳に登頂したときに、叔母ちゃんにメールで記念写真を送ってたやろ。見せてもらったよ。満足な顔してた。無精髭が気になったけど、凛々しくてええ顔してた。昔から、無茶ばっかりしてたけど、やりすぎはあかんで、やりすぎは。帰ってこれんようなってしまったやんか。浩ちゃんは、本望かもしれんけど、周りは大変や。俺はかまへんよ。ひと肌でもふた肌でも脱いだるけど、おっちゃん、おばちゃんは、めちゃ泣いてて見れんかった。今更やけど」


 心の中で浩ちゃんと話していると、僕の携帯が鳴った。


「はい、叔父さん、どうされました」


 電話は叔父さんからだった。明日からの葬儀についての相談だった。叔父さんが言うには、今回の葬儀ではお坊さんを呼ばずに、導師として僕に読経をして欲しいという事だった。


「分かりました。僕も浩ちゃんの力になりたいです。宜しくお願いします」


 電話を切ると、急な展開にびっくりした。そりゃ、毎日、勤行はしているけれど、僕に葬式の導師をお願いをするとは思ってもみなかった。さて、今から僕はどうしたらいいだろう。思い出したように嫁さんに電話をした。


「ユキちゃん、連絡が遅くなってごめん。今、帰っているところ。浩ちゃんも一緒にいる。通夜式は明日になった」


「香典はどうするの」


「用意しておいて。葬儀場に浩ちゃんを送ったら、家に帰って今日は寝る。明日の夕方に山科に向かうことになる」


「子供たちは、」


「みんな連れていく。僕ももう少し仕事を休ませてもらうことにする」


「分かった。喪服、出しておくね」


「頼む。それと、浩ちゃんの葬儀の導師は僕がやることになった」


「えっ、そうなん。友人葬になるんや。良かったね」


「うん、良かった。気合を入れる」


「うまくいくように祈ってる。くれぐれも、無事故でね」


「うん、ありがとう」


 電話を切ると僕は、母親と妹と弟に電話をして、手短に状況を説明した。弟には、僕の隣で副導師をしてもらうことをお願いをした。一通りの電話が終わると、僕はまた浩ちゃんに話しかけた。


「電話の内容、聞いてた、浩ちゃん。葬式は僕が導師をさせてもらうよ。浩ちゃんも気合入れてや。浩ちゃんにとっては最後の親孝行の場になる。僕は必ず成功させる。素晴らしいものにする。死んでしまったもんはしゃあないけど、それでも、お父さんとお母さんに少しでも喜んでもらわんとな。坊さんを呼ばなくてええし、従兄弟水入らずっていうのは結構ええやろ。初めはビックリしたけど、よく考えてみたらこれが一番自然や。今から、やっぱり坊さんが来ますなんて言われたら、浩ちゃん連れて駆け落ちするかもしれんで。ハッハッハッ、自分で言ってみて恥ずかしいわ。今回はちょっと順番が逆になってしまったけど、人間いつかは死ぬからな。どんなふうに生きてどんなふうに死んでいくかが大切やと思う。そういう意味では、浩ちゃんのこと、ちょっと格好いいって思ってるんやで、僕は。叔母さんには悪いけど。僕や浩ちゃんがまだ小学生やった頃、浩ちゃんの家に遊びに行って、衝撃を受けたことがあるんや。浩ちゃんの家に手塚治虫の火の鳥があったやろ。読んでみて、びっくりした。あれって、永遠の命を持つことの苦しさや、犯した罪が死んでも拭えない、そんな話が何度も何度も繰り返されていたやろ。あれって、かなり考えさせられた。僕たちは、生まれてきて死んでいく。その繰り返しをずっとつづけてきたと思うねん。理科の授業で水の循環のはなしがあったやん。水蒸気になって、雲になって、雨になって、川になって、海に流れ込む。人間も同じようなもんやと思う。肉体だけの話やないで、命もそうなんやと思う。その方が、自然やん。だから、また遊びに来たらええで。今度は、順番を間違えんようにして欲しいけど」


 次の日、嫁さんと息子たちを連れて僕は山科の葬儀場にたどり着いた。叔父さんと叔母さんは僕に近づいてきて、頻りにお礼を述べる。いえいえ、僕がしたかったことですから、そんなに申し訳なさそうな顔をしないで欲しいと僕は思う。葬儀場の入り口には浩ちゃんが子供だった頃の写真がたくさん展示されていた。叔母さんが用意したみたいだ。好奇心いっぱいの目をキラキラとさせた浩ちゃんがそこに映っていた。


 葬儀場の人に案内をされて僕と弟は別室に移動した。そこで今晩の通夜式について打ち合わせを行う。僕は、法華経の方便品と自我偈を読経したあとお題目をあげ続けるのでそのタイミングで参列者に焼香をしてもらうようお願いをする。係りの方も慣れたもので、進行の要点を押さえていく。今回の葬儀で一点だけいつもとは違う内容を述べられる。参列者の多くは聾唖、つまり耳が聞こえない。そのバックアップとして手話で通訳をする方が横に立つことを説明された。打ち合わせは短時間で終わった。出されたお茶を飲み、時間までゆっくりと待つ。不思議と緊張感はなかった。ただ、変な言い方だけど、浩ちゃんの葬儀を最高に素晴らしいものにするために、僕は自分の役目を考えた。今日の主役は浩ちゃんだ。参列者は浩ちゃんに会いに来ている。僕は、僕の祈りで、亡くなった浩ちゃんが成仏できるように最大限にサポートをして、参列した皆と浩ちゃんとを繋ぐ。これが、僕の役目だ。僕の真剣勝負だ。時間になり、僕と弟は葬儀会場に向かった。


 アナウンスに促され僕は会場に入った。驚いた、凄い参列者の数だ。しかも、みんな若い。これまでに浩ちゃんと接してきた友人の方々だと直ぐに推測が出来た。僕は、会場の強い気持ちを感じて、この葬儀は成功したと感じた。浩ちゃんが眠る棺桶の前に座ると、力強い声で読経を始めた。


 通夜式が終わり、参列者の方々が列をなして眠っている浩ちゃんに会いに行く様子を眺めていた。後から知ったことだが、浩ちゃんはネット上にサイトを立ち上げていた。「デフ・アルピニストの集い」というサイトだ。デフというのは聾者、つまり耳が聞こえない者という意味で、聾者の登山家が交流できるサイトを管理していた。登山という行為は魅力はあるが非常に危険だ。それだけに、聾者にとっては登山の技術を習得することが、普通よりも高いハードルになっていた。中には、聾者が登山に挑むことを快く思わない方もいたみたいだ。浩ちゃんは、聾者にも登山の道を開いていくために、サイトを通じて戦っていたのだ。


 浩ちゃんと登山をしていたというご友人が来られ挨拶をされた。浩ちゃんは素晴らしい友達に囲まれていたんだなと感じる。あちこちで、久々の出会いなんだろう。ご友人たちが集まり近況を伝えあっていた。僕は、この葬儀を通して、浩ちゃんという一個人をとても大きな存在に感じた。


 ほとんどの参列者が去っていき、僕たちは親族だけで食事をとることになった。移動しようとすると、遅れてきた一人の女性が会場の入り口に展示してある子供の頃の浩ちゃんの写真を眺めているのに気が付いた。僕は、近づいて行く。


「今日はありがとうございます」


 そう言って、僕は一礼した。


「子供の頃の写真ですね」


「そうなんですよ。不二家のペコちゃんみたいでしょ」


「ほんとに」


 その女性は微笑みながら、それらの写真を一枚一枚丁寧に見ていく。


「焼香はこちらになります。あと、宜しければ浩ちゃんの顔も見てあげてください。きっと喜びますよ」


 その女性が、焼香をして浩ちゃんと対面している間に叔母さんを呼びに行った。


「浩ちゃんのご友人が、遅れて来られました」


 叔母さんは立ち上がると、その女性に会いに行き丁寧にお礼を述べた。女性はハンカチで目元を拭いながら、叔母さんと少し話すと、一礼して帰られた。今となっては分からないが、何となく、浩ちゃんの良い人だったのかなと、僕は思っている。

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