第23話 テント
紅葉が色づき始めた十一月のはじめ頃、レントが「キャンプに行きたい」と僕に言った。僕は「今は無理だな」と返事をする。理由は、僕が仕事を休めないからだ。ブラック企業だからとかそんな話をしたいわけじゃない。中央卸売市場で仕事をしている僕は、ほぼ毎日市場に通う。市場が指定する休みは存在するけれど、お付き合いしているお客様達は市場の休日とは関係なく営業を続けている。多くのお客様はスーパーに代表される小売り屋になる。顧客第一のスーパーの仕事は、毎日が激戦だ。多くの消費者が来店されて様々な商品を購入されていく。売れるものもあれば売れないものもある。ある程度の予想は立てて仕入れをしていても、こちらの思い通りにはならないものだ。その仕入れの誤差を最小限に抑えるためには、毎日の仕入れというルーチンは非常に有効なのだ。そうしたお客様の希望に沿うような形で、僕は毎日、市場に顔を出している。もし、休むのであれば、会社の皆に僕の仕事をお願いすることが必要で、お客様に対しても僕が休む旨を伝えて段取りを組む必要があるのだ。
そうは言っても、子供たちが春休みや夏休みのを満喫する時期に合わせて、僕は毎年仕事の休みを取り子供たちとキャンプに行っている。子供たちを全員連れていくこともあるし、一人づつ連れて行って親子の会話を濃密にすることもある。キャンプ場に行くこともあるし、自転車に荷物を積んで淀川の河川敷に向かいゲリラキャンプを行うこともある。僕は教育の一環と考えているので、あまり快適なキャンプは行わない。なるべく最小限の荷物の量にして、子供たちが行わなければいけない部分を残す。環境破壊はしないし、来た時よりも綺麗にすることも心がけている。
レントが「キャンプに行きたい」と僕に言ったことがキッカケだったけれど、スーパーカブを修理したことで、僕はこの相棒と何処かに出かけたくなってきた。遠乗りに出かけるようなバイクではないけれど、僕にとってはこのスーパーカブに乗って出かけることに意味がある。あんまり遠くまでは行けないけれど、何処かに一泊するつもりなら選択肢は広がる。仕事のタイミングにおいては、僕の担当商品の葡萄の扱い数量は減ってきているし、苺が始まるのはもう少し先だ。今のタイミングなら、皆に無理を言って一日くらいなら休むことも出来る。出かけるつもりなら今しかない。ただ、スーパーカブは二人乗りが出来ないので、僕一人だけの旅になってしまう。
「なぁ、レント。パパな、一人だけでキャンプに行きたいねんけど」
と、レントに言ったら「パパ、ズルい」と言われた。レントが行きたいと言った時は断っているのに、そりゃそうだ。春休みになったら一緒に行くからと説得をした。レント、許してね。
キャンプに行こうと決めたら、もう動き出さずにはいられない。僕は押し入れにしまってあるキャンプ道具を引っ張り出す。コンロ、寝袋、銀マット、そして緑色の小さく纏められたテント。このテントのタグにはソロ・ウィンターと書いてある。冬用のおひとり様テントだ。このテントも浩ちゃんから譲り受けたものだが、冬用ということもあり通気性は全くない。一度、夏のキャンプに使用してみたが、暑すぎて寝れたものじゃなかった。それ以降、使うに使えないテントになっていた。子供たちと寝るには狭すぎるし、冬以外では暑すぎる。性能は折り紙付きでも、寒い冬に一人で使用する用途でないと使えないのだ。
さて、このテントを持って何処に行こうか。どうせなら寒けりゃ寒いほうがいい。最近は気温も低下してきて、北摂の山の上で気温が一度になったとお客様から聞いた。山の中に籠ってみるのもいい。できるだけ山奥までスーパーカブで登ってみようか。最近は子供たちの為のキャンプだったので、自分の為ならちょっと無理をしてみたい。たった一人で旅行をするなんて、二十歳の時に自転車旅行に行ったとき以来だ。
大阪を出発して自転車を漕ぎ始めたときの、あの頃の爽快感は今でも覚えている。それまでのしがらみを振り切って、ただひたすら国道一号線を登っていく。自由っていうことがこんなにも素晴らしいことだなんて、考えてもみなかった。
当時、僕の父親は会社を倒産させてしまった。当時はバブルと呼ばれた時代で、小さな会社の倒産なんて世間では日常茶飯事の出来事だった。でも、当事者の現実は最悪だった。僕は家庭の生活費を捻出するために、それまで当たり前に通学していた大学には休学届を出して、中央卸売市場の水産でアルバイトをするようになった。仕事は朝の三時から始まり終わるのはいつも夕方の五時過ぎ。朝の商売がひと段落すれば、後はひたすら魚を捌いていた。暗い市場の中で、僕は自分のことを強制労働をさせられている囚人のように感じていた。父親は、自己破産の手続きを進め法的には支払いの義務からは解放はされたけれど、それ以降、親族や友人との付き合いが無くなった。僕はそんな父親のことをひどく軽蔑していた。今までの僕たちの生活は嘘にまみれていたんだと当時は感じていた。市場でのアルバイト代は月に三十万円を超えていて、僕は「恵んでやる」と言って給料袋を母親に渡したことがある。父親と喧嘩になると僕が手を挙げたこともある。今考えると僕の遅すぎた反抗期だったと思う。職場でも家庭でも、僕は自分の居場所を見失い、どこかに逃げ道を探していた。そんな時に、自転車旅行を解説した本に出合った。
自転車旅行の初日は百五十キロくらい走ったと思う。夕方に三重の亀山市に到着した僕は、河川敷にテントを張った。なるべく人目につかない場所を選んだのだが、テントの中で僕は一睡も出来なかった。風が吹き草が揺れる音で目を覚ますのだ。それ以降、色々なところで野宿をした。バス停、公園、潰れたパチンコ屋、駅の端っこ、大草原、山の中、キャンプ場。テントを張ってはいけないところが大半だったが、夜が明けるころにはいつも出発していた。
大自然を満喫した僕が北海道を後にする頃には、十月も終わりに近づいていたと思う。連絡船に乗って青森に到着した僕は八甲田山に向かって自転車を進めた。旅で知り合った友人達と、混浴で有名な温泉地酸ヶ湯で落ち合う約束をしていたのだ。林檎の畑を横目に見ながら山の麓までやって来ると、今度は舗装された坂道をノロノロと登っていった。途中、道端で一人のお婆さんと出会った。方言がきつくて話す言葉の大半が理解できなかったけれど、僕はそのお婆さんからキノコを買った。何処から来たのと問われたようなので「大阪から来た」と答えた。そんな僕に「自由でいいね」というようなことを言われた気がした。
その時の僕は、逃げ続けることから少し疲れ始めていた。あんなに辛かった中央市場での水産の仕事が恋しくなっていた。父親や母親にも申し訳ない気持ちに包まれ始めていた。「自由でいいね」という一言が、妙に嫌味に聞こえて、このままではいけないという強い焦りが僕の中から湧いてきた。根無し草のままでは生きられない。僕は一日も早く大阪に帰りたくなった。
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