第17話 ありがとうございます
くだもんやYUKKOをやめる事を決めた僕の行動は早かった。何をすべきかを考えた。まず、やめる時期についてだ。これは早いほうがいいので、今月末にした。大家には早急に連絡を入れないといけない。従業員の岩崎君にも、申し訳ないけれど今月一杯までしか雇えないと告げなければいけない。テレビや雑誌については、取材済みのものは放映なり発売されるのは仕方がないが、四月頃に発売される保存版の地域紹介冊子「大阪本」は掲載されるとまずい。連絡をして記事の差し止めをお願いしなければいけない。
あと、お客様に向けての閉店の告知だが、一月十五日を過ぎてから発表することに決めた。実は、閉店することを決めた途端、不思議なことにくだもんやYUKKOをオープンする時と同じくらいのやる気が漲ってきた。原点に返るという言葉がある。そもそも何故、僕はくだもんやYUKKOをオープンしたのかを自問自答した。そこで、一月十五日にイベントを行うことを決めて、その日のうちにくだもんやYUKKOのブログに発表した。
「一五の日、イチゴ食べ放題企画、1500円」
今月の15日(火)だけの企画として、「苺」にこだわって語呂を合わせてみました。この日の企画の詳細とルールを説明させて頂きます。
・1月15日(火)だけの限定企画
・時間無制限、価格1500円
・売り切れたらゴメンなさい
・グループの場合、一人だけの注文とかは不可
・ブログでしか告知はしない。馴染みのお客様への裏メニュー
・苺は「あまおう」と「さちのか」の食べ比べを予定
・ソフトクリームも食べ放題!!
・内容が内容なだけに、電話での予約も受付いたします
僕は、現在の流通では記号化され販売されている現状について疑問を感じていた。苺を例に挙げても、あまおう、さちのか、女峰、とちおとめと品種に違いがあり、栽培されている地域も様々にある。人間と同じで果実にも色々な顔があるということを知って欲しかった。苺の食べ比べを通じて苺にもそれぞれの個性があることを、お客様に感じて欲しかった。沢山の時間とお金を掛けたけれど、本当にやりたかったことは、お客様に果実の魅力を伝えて「これって美味しいね」と喜んでもらいたかっただけなのだ。この苺の企画をやり切ったら、もう思い残すことはない。くだもんやYUKKOを閉店することを告知しようと思った。
進むべき方向が決まって僕の頭の中はクリアになった。ただ、十五日の企画の前に、一つの問題が持ち上がった。従業員の岩崎君が成人になるのだ。これはとってもおめでたいことだ。二十歳になれば、お酒を飲むことが出来るし、選挙に行くことが出来し、成人式で懐かしい同窓に会える。つまり、岩崎君は成人式に出席するために田舎に帰らなければならなくなったのだ。その日程が十三日の日曜日。日曜日は普段よりも忙しくなる。現在スタッフは岩崎君しか居ない中で、彼が欠けて僕一人だけで店を回すのはとても不可能なこと。かといって、辞めていったスタッフに連絡することは出来ない。仕方がないので、お客様からのクレーム覚悟で臨時休業かなと考えていると、なんと、嫁さんが一日だけなら手伝ってあげると言ってくれた。渡りに船で、また嫁さんに甘えることにした。
当日、ダイチとシンゴは茨木に住む両親にお願いすることにした。ダイチはともかく、シンゴが大変だった。嫁さんから僕の母親に抱かれると、顔を引きつらせて泣き出した。まるで永遠の別れのように。後ろ髪を引かれながら車に乗り込もうとするのだが、シンゴは泣き止む様子がない。心の中で「ゴメンな、シンゴ」と呟きながら車を走らせた。
くだもんやYUKKOに到着すると、僕は厨房に入り、嫁さんにはホールをお願いすることになった。ただ、嫁さんがどこまで接客が出来るのかは未知数だ。基本的な説明はしたが、学ぶより慣れろ。何とか一日が乗り切れますようにと祈った。
「ちょっと、このテーブルを片づけてくれない」
「はい、ただいま」
会計を済ませたお客様が帰られると、入れ替わりに入ってきた年配の女性客の二人が嫁さんを見つけてそう言った。嫁さんは、他のテーブルで注文を受けている最中だし、直ぐには動けない。返事はしたものの片付けに行くことができない。お客様はイライラと嫁さんを見ている。その状況を厨房から見ていた僕は、嫁さんの代わりに声を掛ける。
「しばらくお待ちください。すぐ、片づけますので」
そうは言ったものの、僕も受けている注文の調理に掛かりっきりで片づけに行くことが出来ない。多くのお客様に怒られながら、そんなことを一日中繰り返して目まぐるしい一日が終わった。嫁さんはよく頑張っていた。仮に岩崎君が出勤できたとしても、これは大変だったと思う。嫁さんは今でも「あんな悪夢、思い出したくない」と言う。でも、僕は嫁さんと仕事が出来て良かったと思っている。嫁さんの名前のこの店舗で、初めて一緒に仕事が出来たのだから。
二人ともクタクタになり店を出ると車に乗り茨木の実家に向かった。シンゴは泣き疲れて寝ていた。顔は目元が腫れていて昔の漫画の魔太郎みたいに人相が変わっていた。母親はシンゴが一日中泣いていた様子を僕達に説明する。ただ、泣きながらでも離乳食はパクパクと食べ続けていたそうで、強い子だと感心をしていた。
月曜日の定休日を挟んで十五日の火曜日がやって来た。定番のメニューと違って突発的な企画というのはお客様の流れが読めない。特に、今回の企画はネット上の店のブログでしか紹介をしていない。当時のくだもんやYUKKOのブログの毎日のページビューは千ビューには届いていないくらいだった。どれだけのお客様が来店されるのだろう。
「マスター、さちのか苺をお願いします」
ホールから食べ放題苺のおかわりのオーダーが入る。僕は水洗いをしたさちのか苺を細長いプレートに盛り付けて、隅っこにソフトクリームをクルクルと添える。
「はい、さちのか苺」
カウンターに置かれた苺のプレートを岩崎君がお客様のところまで運ぶ。三人グループの女性のお客様たちは「キャー」とひと声あげると「次はあまおうにしようよ」と話し合っている。その中の幾分大人しそうな女性客が不安そうに、
「本当に食べ放題なんですか」
と、岩崎君に尋ねた。
「ええ、お好きなだけお召し上がりください」
慣れた調子で岩崎君が微笑みながら応えると、急に花火が打ち上がったように、「キャー」とまた奇声を上げた。今度はグループの中で一番元気が良さそうな女性客がおどけたように
「私、全部食べてしまうわよ」
と言うと、皆が笑い出した。そんな様子を厨房から眺めながら、良い店だなと、しみじみと感じた。平日ということもあり、店内が満席になるほどの忙しさにはならなかったが、カフェとして居心地の良い空間は作れたのではないかと思う。スピーカーからは、ジャズの名手ビル・エヴァンスのピアノがゆっくりと時間を刻んでいる。このくだもんやYUKKOの空間だけが、外の現実から切り離され取り残されているようだ。そんな風に悦に入っていると、馴染みのお客様が入店された。
「よ、マスター。邪魔するで」
短く切った髪の毛を天に向かって立たせた風貌がどこか野獣を思わせる大柄な男性客は、建築関係の社長さんで、歳は四十歳くらいに見える。社長が来店されるときはいつも奥様を連れている。とても若い方で、どのように見積もっても二十代前半にしか見えない。髪を長く伸ばした美しい方なのだが、いつも目のやり場に困る衣装を着てやって来る。社長は初めてお会いした時から人懐っこい人で、手書きのようなデザインの名刺を僕に渡して「何かあったら連絡してくれ」と言ってくれた。いったいどのような連絡をしたらいいのだろうと考えてしまうのだが、そんな親分肌を見せてくれる社長さんなのだ。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「おう、近くに寄ったから食べに来たぞ。何かおすすめあるか」
「今日は、苺の食べ放題を企画しています。よろしければ、いかがでしょうか」
社長さんは、奥様を見ると、
「苺か、おい、どうする」
「あたし、苺食べたいけど、この前に食べた苺ミルクがいい」
苺ミルクは、くだもんやYUKKOのメニューの一つだ。可愛いガラスの器に、ソフトクリームを中心に巻いて、周りに花のように咲いた苺やナタデココを添える。全体に甘いミルクを掛けたあと、手作りの苺ジャムをセンス良くかけ回す。最後に蝶ネクタイのように緑色のミントを添えて提供していた。
「じゃ、その苺ミルクと何かミックスジュースでも付けてくれ。苺の食べ放題はやめとく。俺は、コーヒーと、丸いサンドウィッチを頼むわ」
「はい、チョリソーとアボカドの海苔巻きサンドですね。しばらくお待ちください」
厨房に、戻ると頼まれたメニューを用意していく。チョリソーとアボカドの海苔巻きサンドは、耳を取った食パンにアボカドのディップを塗り付けてチョリソーを真ん中に置く。あとは海苔と一緒にクルクルと巻いて、斜めにカットする。お皿に盛りつけると海苔巻きにしか見えないが、間違いなくサンドウィッチだ。
「あのー、他のメニューブックも見せてもらっていいですか」
一人で来られていた女性のお客様が、岩崎君にお願いをしている。岩崎君は、そのお客様に既にメニューブックを渡しているので、どうしてそのようなお願いをするのか怪訝な顔をする。僕は、そのやり取りを見て、
「はい、少しお待ちください」
カウンターに並べられている何冊もあるメニューブックを三冊ほど手に取ると、そのお客様のところにお持ちした。くだもんやYUKKOのメニューブックは布張りのシステム手帳になっていて、ボールペンが付いている。メニューブックを開くと、フードメニュー、デザートメニュー、ドリンクメニュー等がすべて文字だけで紹介されている。写真は使用していない。写真を使用していないのは僕なりの理由がある。注文した商品が目の前にやってきたときの驚きを感じて欲しかった。写真があれば安心感はあるが、その写真以上の感動は感じづらい。時間は掛かるが、一人ひとりに喜んでもらうことで次回のご利用、または口コミを期待していた。ただ、当時は時代的にブログが流行り始めていた時で、多くのブロガーがくだもんやYUKKOの料理の写真をアップしていたので、意味はなかったかもしれないが。
「ありがとうございます」
そう言って、そのお客様はシステム手帳のメニューブックを開くと、最後の方に綴られているご感想のページを読み始めた。このご感想のページは、お客様が自由に書き込みができるようになっている。七冊あるメニューブックにはどれもぎっしりとお客様のコメントが書き込まれていた。
◎初めましてです。今日は念願の「キーマカレー」を食べました。本当においしかったっす。甘口しか食べれないんですが、メッチャgoo!フルーツのカットもcute!食欲をそそられて調子に乗ってバナナクレープまで注文しちゃいました。空手の試合前で減量しなくちゃいけないのに、いっぱい食べちゃいました。(正道会館 kana)
◎一週間に2回も来れて幸せ!でも毎回ここに感想を書かせて頂いていますが、一度もお返事を読めたことがありません。いつも同じテーブルだと同じ手帳で読めるのでしょうか?このスペースで、色んなやり取りを読ませて頂くのもまた楽しみです。やっぱりステキなお店ですね!いつ来ても落ち着きます。(maiko)
◎母がテレビでYUKKOさんのことを知ってて、ずーっと来たいと思っていて、きょうやっと念願かなって初めて来ました♡レディースセットと黒ゴマバナナジュース、とてもおいしかったです!!フルーツキーマカレーは生まれて初めての味で感激しました★またぜひ来たいです。ごちそうさまでした♡(りょうこ)
◎本日で4回目でーす♡大好きです!!初めはふらっと友人とお茶しに入って「もも」ってたのんで、ビックリ!!超うまーい!!ってなって、今度はカレーが良いなぁーって思ってたのんだらビックリ!!超うまーい!!それから、みんなをつれてよく来ました。テレビにもよく出られててうれしいです♡「南海パラダイス」でも出してとおねがい中でーす。また来ます(neewnewゆう子 YUKKOfan第一号ヨリ(笑))
◎今日3度目の来店です。金曜限定のフルーツチラシが食べたくてやってきました。見た目のかわいさと味の優しさがとても良かったです。それと女性のウェイターさんの気配り。いつも思うのですがお店の雰囲気がとても素敵です。このコメントを書いている間に、主人にフルーツサンデーのソフトクリームをほとんど食べられてしまいました(泣)また来たいと思います。お店もブログも、どっちも好きです。
◎雑誌にのっていたYUKKOパフェにひとめぼれして道に迷いながらも辿りつきました♡めーっちゃおいしかったです。今日は地元金沢から大阪まできたんですが、こんな良いお店をみつけてしまって、地元に帰りたくないです(笑)ごちそうさまでした♪(めつ&あきは)
メニューブックに記入されたお客様からのコメントには、スタッフであった水沢さんが一つ一つ丁寧にコメントを返していた。女性のお客様は時間を忘れたようにそれらのコメントを読んでいた。食事を済まされたお客様が一人二人と帰られ、店内はその女性のお客様一人だけになった。ジャズのアルバムが曲を流し切りスピーカーから流れる音が消えたので、新しいアルバムをセットして曲を流し始めると、お客様は周りを見回して立ち上がった。
「ごちそうさまでした。手帳、ありがとうございます」
そう言って、そのお客様はカウンターにやってきた。
「いえいえ、お客様に喜んで頂けてとても嬉しいです」
「以前にも、お邪魔したことがあるのですが、東京に引っ越ししてしまって、なかなか来れなくて。前に私が書いたコメントが残っているかなって思っちゃって」
「あー、なるほど。見つかりましたか」
「ありました。返信も書いてあって嬉しかったです。また来ます」
僕は深く深く感謝した。たくさんのお客様に守られていたことを。その日の夜、僕は新しくブログを更新した。
今日は良い天気でしたが寒い寒い一日でした。吐く息が白い。さて、今日は残念なお知らせを告げなければいけません。2006年6月13日にオープンした「くだもんやYUKKO」ですが、2008年の1月31日(木)をもちまして閉店することになりました。
閉店に向けて幾つかの連絡事項があります。来週から平日の夜の営業を中止いたします。よってランチを中心とした昼の営業のみになります。またポイントカードの新しい発行を停止いたします。今お持ちのポイントカードは使用できますので、会計の際にはご提示下さい。宜しくお願いいたします。
長いようで短かったです。これまで多くの方に支えていただきました。とても感謝しております。最近は、会計をするたびに、心の中で「さようなら」と呟いております。ありがとうございました。
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