第16話 嫁の決意
嫁さんとの気まずい関係を心配してた僕の気持ちとは裏腹に、年末がやってくると二人で力を合わせなければならない出来事が次々と起こった。
十二月三十日の晦日。くだもんやYUKKOは昨日が年内の最終営業日だったので、本来であれば家の大掃除なり、久々の休みでゆっくり寝るなり平凡な日常を過ごしていたと思う。ところが、長男のダイチが風邪を引いてしまったのだ。熱をだし顔を真っ赤にさせてグッタリと横たわっている。こんな年の瀬に何処の病院に行けばいいのだろう。以前、ダイチが調子を悪くした時にお世話になった大阪中央急病診療所を思い出すと、僕は車を出して家族総出で向かうことにした。ところが、到着してみると診療は行われていなかった。連絡もせず乗り込んだ僕たちも悪いのだが、何か裏切られた気持ちで、一旦は家に帰ることになってしまった。結局のところ、ダイチを疲れさせただけで、途方に暮れていると、
「箕面に、こども病院があったはず」
と、嫁さんが言い出した。携帯を開いて検索をかけると、豊能広域こども急病センターが表示された。
「開いているのかな」
と、今日のことがあったので心配げに僕が呟くと、
「パパ、電話してみて」
と、嫁さんに強く急かされた。検索に表示されている番号に電話を掛けると、朝の七時まで診察を行っているとの頼もしい返事が返ってきて、早速、また家族総出で向かうことになった。
診察の過程で、ダイチはカンチョウを受けて便を調べることになった。診察台に可愛いお尻をプルンと突き出したダイチ。騒ぐんじゃないのかなと心配したが、素直にされるがままになっていた。
「便を採取したいので、少し我慢をさせてください。お薬だけ出てしまいますから」
看護師さんからの注意事項を聞いた嫁さんは、ズボンを穿いた大地に、
「我慢しようね」
と、言い聞かせている。しかし、言ったそばからダイチは、
「出る、出る、我慢できない」
と言って、お尻に手を当てて騒ぎ出す。内股で前かがみになり、もぞもぞとするダイチの様子に嫁さんは、
「可愛い」
と言って、抱きしめていた。治療は思いのほかよく効いて、次の日には熱も下がりダイチは元気になった。ところが、今度は嫁さんとシンゴの調子が悪くなった。たぶん嫁さんはダイチの風邪をもらったのだろう。体温計を見ると熱がある。シンゴはシンゴで嫁さんの母乳を飲んでも直ぐに吐き出してしまう。僕ではどうすることも出来ないので、三十一日の大晦日もこども病院にお世話になった。
年が明けて二〇〇八年の元旦は、寝正月になった。本来であれば僕の家に親族が集まり挨拶をすることになっていたが、両親兄弟に事情を説明して明日二日に、妹の家で新年の挨拶を行うことにしてもらった。一日ゆっくりと休んだおかげで嫁さんとシンゴの体調は幾分回復した。まだ家族の体調が心配だったが、僕の運転する車に嫁さんたちは乗り込み高槻に住む妹のところに向かった。僕は三人兄弟の長男で妹と弟がいる。兄弟それぞれが家庭を持ち子供たちがいる。両親から見ると孫は八人。大変賑やかな新年の挨拶の場になった。
帰るのを嫌がるダイチを説得して散会した僕たち家族は、茨木にある実家に両親を送ることにした。僕はお酒が入っていたので、病み上がりの嫁さんに甘えて車を運転してもらった。家に到着して車から下りた母親は「お茶でも飲んでいったら」というので、僕たち家族は実家に上がり寛ぐことにした。母親は僕たちにお茶を用意すると、近くのコンビニに孫の為にお菓子を買いに行った。その間に嫁さんはシンゴに母乳をあげる。やっと落ち着いて話が出来るようになると、母親は押し入れから古いアルバムを出してきて僕が子供のころの写真を嫁さんに見せはじめた。
僕はとても寛いでいた。実家に居るというだけで、子供のころに戻ったような気分に浸っていた。母親が僕の為に何かと世話を焼く。ただ、それだけで心地が良い。仕事のことも忘れて、忙しかった年末のことも忘れて、ただ、甘えればいい。怖かった父親も丸くなったもんだ。孫のダイチに悪戯をしてニコニコと笑っている。そんな時に、嫁さんが畳の上に座りなおすと真剣な顔で両親に訴えた。
「ヒロユキさんに、お店をやめて頂きたいです。お店を続けるというのであれば、私はもう付いていくことが出来ません。ヒロユキさんのことは嫌いではないけれど」
そこまで言って、嫁さんは僕たちの前で泣き出してしまった。母親はそんな嫁さんの肩に手を掛けて「大変でしたね」と慰めた。父親はどうしていいの分からない顔をして、僕を見る。僕はと言えば、もっと混乱していた。嫁さんは、いつも僕に付いてきてくれた。多少の小言を言われることはあっても、嫁さんが面と向かって僕を責めたことは一度もなかった。僕はいつもしたいことをして、嫁さんはそんな僕をいつも守ってくれていた。その嫁さんが「もう付いていけない」と言ったのだ。恥ずかしながら、僕はそれほどまでに嫁さんが苦しんでいたことが、全く分かっていなかった。
僕は、崩していた足をまとめて正座をすると両手をついて頭を下げた。
「店をやめます」
顔を上気させながら言った。言った瞬間に、心が定まった。このままくだもんやYUKKOを続けていては、嫁さんを苦しめる。成功してその姿を見せることが家族のためだと自分自身に言い聞かせていたが、このまま突き進んだらもう泥沼しかない。傾いてしまったくだもんやYUKKOをどのようにしたら再生できるのか迷いまくっていた僕の心が、やっと一つの方向に定まった。こうなったら、綺麗にくだもんやYUKKOをやめよう。そう、思った。
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