第15話 クリスマスプレゼント
月曜日はくだもんやYUKKOの定休日になっている。ところが、二〇〇七年はクリスマスイブが月曜日と重なってしまい、どうするのか悩んだ。休んでも構わないのだが、営業することにした。お客様から営業しているかどうかの問い合わせがあったからだ。ただ、夜のお客様は見込めないので、昼間だけ臨時で営業することにした。
「マスター、パインの仕込みどうしますか。切れましたけど」
岩崎君がホールから返された皿を洗いながら、僕に問いかけた。ランチタイムの営業がひと段落して最後のお客様が帰られると、僕と岩崎君の二人だけになった。時計を見ると二時を回っている。
「いや、パインの仕込みはやめて、明日のカレーの仕込みを始めようか。今日は三時になったら店を閉めるから、仕込みが終わりしだい帰るで」
岩崎君がカレーの仕込みをしている間、店内やトイレの清掃を手早く行い、僕も厨房に入った。フルーツや野菜のカットは終わっていたので、岩崎君に香辛料の計量をお願いして、僕は中華鍋に盛られた大量の玉ねぎのみじん切りを焦がさないように炒めていく。玉ねぎが程よく茶色くなると寸胴に移して、次はひき肉を炒める。
「今日はイブやけど、岩崎君はこの後予定とかあるんか」
「予定って程じゃないですけど、ダチに会いますよ」
「彼女やないんか」
僕の直球の質問に、岩崎君は少し困る。
「どうかな、なれたらいいんですけど」
僕はあまりの初々しい発言に、僕の方が嬉しくなった。
「そうか、それはそれは。応援してるで」
岩崎君は少し照れてる。
「そういうマスターこそ、お子さんはまだ小さいんでしょ。早く帰った方がいいんじゃないんですか」
岩崎君は、話を変えてきた。
「仕事が終わったら、一目散に帰る。実はな、この前仕事に行こうとしたら、下のシンゴがむくっと立ち上がって二歩くらい歩いたんや。すぐこけたけど」
「へー、シンゴ君って、何か月なんですか」
「三月生まれやから、九か月、いや十か月になるのかな。それでな、慌てて嫁さんに、歩いた、歩いたって言いに行ったんや。そしたら、嫁さん、しれっと、そうよって言うねん」
「面白い。まー、良かったじゃないですか」
「まあな。でも、最近気づいたことがあって、長男のダイチが生まれた時は携帯でたくさんの写真を撮りまくってたんやけど、シンゴは全然撮れてないねん。仕事が忙しかったからやけど、ちょっとな、そんなシンゴの成長を見れてないことが残念かな」
何となく話が切れてしまった。僕も岩崎君もカレーの仕込みを黙々と続ける。岩崎君が、僕に語り掛ける。
「クリスマスプレゼントはどうするんですか」
「嫁さんが段取りしてる。ダイチには体に良さそうなお菓子を靴下に詰めてプレゼントするって言ってた。問題がシンゴやねんけど、嫁さんがシンゴのプレゼントって、どうするって聞いてきたんや」
「シンゴ君まだ小さいですもんね」
「それでな、シンゴも靴下にお菓子を詰めたらええやん、って言ったら、ベビーボーロが一つしか入らへんわって、嫁さん笑ってた」
フルーツキーマカレーの仕込みが終わると、岩崎君を先に帰らせて、僕はくだもんやYUKKOの戸締りをして表に出た。十二月にしては良い陽気だった。ビルの谷間から青い空が見える。隣の花屋さんに挨拶をすると、僕はスーパーカブを走らせた。いつもは夜中に帰るので、こんなに明るい時に走るなんて滅多にない。この間スピード違反で捕まった長柄橋までやってきた。前方には赤く染まった北摂の山々の稜線が見えている。足元には広い広い淀川が止まることを知らず流れている。僕はスーパーカブに乗りながら、なんだか自分が鳥になって大阪を見下ろしているような気持になる。なんて沢山の人たちが生きているんだろう。なんて沢山の時間が流れてきたんだろう。数え切れぬほどに膨大な何かの中で、今、僕は生きている。家には、嫁さんがいて、ダイチがいて、シンゴがいる。それだけで、何か奇跡のようなことに感じた。パパは今から帰るからな。心の中で家族を思い出しながら、僕はそう叫んだ。
阪急の電車の高架下を潜り住宅地を抜けると僕の家がある。玄関の前にスーパーカブを停めると、周りが急に暗くなり始めていることに気が付いた。家の中から、嫁さんが叫んでいる声が聞こえる。きっとダイチが何か悪戯でもしたんだろう。
「ただいま」
「お帰り、早かったね」
嫁さんが、台所で包丁を持ちながら、僕に応える。
「今日は何のごはん」
「鶏肉を焼く。それと、クリスマスやから、ケーキを作る」
「あー、そうやな。頼まれてたから、苺は持って帰ってきた」
昨日、嫁さんが買い物で手作りケーキ用の丸いスポンジを見つけてきていたのだ。とっても安くて、こんなものまで売ってるんやと僕は感心した。ホイップも冷凍のやつを買ってきていて、ダイチと一緒に作るそうなのだ。
ダイチが走ってきて僕の足に抱きつく。僕はダイチの両脇に手を伸ばして抱き上げる。ダイチは満足そうにしがみつく。そんな僕とダイチの姿を見て怒ったのだろうか、シンゴが泣き始める。僕は、ダイチを下して今度はベビーベッドに寝ているシンゴを抱き上げようとする。ダイチは降ろされるのを嫌がって、なかなか僕の首を離そうとしない。
「ダイチ、順番、順番。シンゴを抱っこしたら、お馬さんするから、ちょっと離れて」
しぶしぶダイチは僕から離れる。今度はシンゴを抱っこする。軽い。ダイチを抱いた後だから余計そう感じるのだが、とにかく軽い。泣き止んだシンゴは大きくて丸い目を僕に向ける。僕はシンゴを両手で高く持ち上げる。
「シンゴ、高い、高ーい」
シンゴは目を白黒させて、僕になされるまま空中遊泳を体験させられる。シンゴにしてみれば楽しいというよりも、天地がひっくり返る出来事かもしれない。
「ダイチも」
ダイチがまた僕の足に抱きつく。興奮したのか、目をまん丸に開いたままのシンゴをベビーベッドに寝かせてから、再度ダイチを抱き上げる。
「高い、高ーい」
僕は勢いよくダイチを天井まで放り投げるようにして高い高いをする。僕の手から離れたダイチは、キャッキャキャッキャと声を出して喜ぶ。ダイチに高い高いをすると一回では終わらない。最低でも三回くらいはしてやらないと満足してくれない。
「ダイチ、もう終わり。パパ、疲れたわ」
僕は座り込み、風呂には入れるのか嫁さんに聞く。まだ、ということなので、風呂の掃除に立ち上がる。ダイチがトコトコと後からついて来る。お風呂を洗っている僕の様子を物珍しそうに見ている。普段、僕が家に居ないことを思い出す。子供たちが起きる前に家を出て、子供たちが寝静まった頃に帰ってくる。そんな僕が家に居ることが珍しいのかもしれない。湯船に湯を溜め始めると僕は食事が出来るまで、ダイチとお馬さんごっこで遊んだ。
フライパンで焼かれた鶏のもも肉をアテにしてビールを飲み、スプーンで生クリームを塗りたくった芸術的なセンスの崩れたクリスマスケーキを子供たちと食べ、ゆったりと寛いでいると、嫁さんがシンゴを叱っていた。
「シンゴ、駄目でしょう。パパの財布で遊んだら」
食事が終わった後、自由にさせていたシンゴが、脱ぎっさらしの僕のズボンからこぼれ落ちた茶色い長財布で遊んでいたのだ。嫁さんは立ち上がり、僕の財布から抜き出されたお金やレシートを僕の財布に戻し始めた。その時に、
「パパ、お金を借りたの」
と、嫁さんが僕に問いかけた。酔った頭の中で、僕は嫁さんに一番知られたくないことが露見したことを理解した。嫁さんの顔を見ることが出来ない。
「ああ、仕入れのお金がなくて」
嫁さんは、絞り出すように言った。
「どうして」
そう言ったきり、その晩は嫁さんが僕に語り掛けることはなかった。シンゴに母乳を飲ませてベビーベッドに寝かしつけ、ダイチに着ぐるみ毛布を着させて布団に寝かせて、それぞれの頭の上にお菓子が入った靴下を置いていく。ダイチを真ん中にして「川」の字になって布団を敷き潜り込むと、向こうで嫁さんが声を殺して泣いていた。僕は、語り掛ける言葉が見つからず、悶々とした夜を過ごした。
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