第12話 スピード違反
くだもんやYUKKOの売上の柱は、フルーツキーマカレーだ。フルーツカフェと名乗っているので、コーヒーやフルーツジュースも提供しているが、テレビで紹介された影響で利用されるお客様の半数はカレーを食べに来られる。大量のフルーツを使用するフルーツキーマカレーは、バナナ、アボカド、パイナップル、キウイ、リンゴ、オレンジ等を使用するのだが、特に重要なフルーツはバナナだ。バナナに含まれる澱粉がカレーのまったりとした口当たりを作る。建築でいうところの柱のような役割を果たしていると思う。アボカドは多くの油を含むのでカレーの味を濃く太くする。パイナップル、キウイ、リンゴ、オレンジは酸味を含むフルーツでカレーの華やかさを演出している。これらフルーツを主役にして、国産のあいびきミンチ、玉ねぎ、生姜、トマト、大量の香辛料を使い完成させていた。
中央卸売市場では僕のことを、「よっ、カレー屋さん」と呼んだりする人もいる。当店の看板メニューなので間違いではないけれど、「いやいや、フルーツカフェなんです」と訂正することは忘れない。なぜなら、僕はフルーツの魅力を知ってもらうために店を構えたわけで、カレー屋さんをやりたかったわけではなかったから。
中央卸売市場で、果実のセリ人をしていた僕は日本の果実の消費量が年々減少していることに注目をしていた。僕なりに原因は大きく二つあると考えていた。一つ目は、日本という国の家族構成の変化。昭和の時代は家庭にお爺ちゃん、お婆ちゃんが一緒に住んでいた。果実というのは簡単に食べることが出来るといっても多くは皮を剝かなくては食べることが出来ない。昔はこの皮を剥くという処理をお母さんだけではなくお婆ちゃんも担っていた。時代が進み、家庭にお婆ちゃんの姿がなくなり、更には共働きの影響でお母さんの姿も台所から消えていく。包丁を使わなければ食べることが出来ない果実のポジションは、ケーキや袋菓子に押されていった。二つ目に、果実の情報が消費者に届いていない問題。市場で仕事をしていれば、一つのフルーツをとってみても、品種の違い、産地の違い、色の違い、大きさの違い等でその商品の価値を決定している。プロはそれらの違いに価値を感じている。一玉で八〇円の安いりんごがあれば、一玉で五百円もするりんごもある。そうした情報が消費者に伝わっていないことに、僕は問題を感じていた。
じゃ、どうすればいいのか。僕が出した解決策は、会社を辞めてフルーツカフェを開くことだった。フルーツカフェを通じて、果実の情報発信と、果実の消費促進を両立しようとしたのだ。特に、フルーツの消費に関しては、フルーツの外食化を大きな柱と考えた。個人的には、フルーツはそのまま食べる方が美味しいと思うのだが、カットフルーツを店内で食べてもらうだけでは話題にはならない。多くの方に振り向いてもらうためには、何か打ち上げ花火が必要でその花火がフルーツキーマカレーだったのだ。立地にもこだわった。誰に、この仕事を評価していただくのか。昼間仕事をしている女性に昼食として果実を食べてもらうことが戦略的に有効と考えた僕は、ビジネス街に近くて、且つ雰囲気の良い土地として新町を選んだ。キャッチフレーズも「ランチに、フルーツ?」と見出しを付けて周辺にチラシを撒いたりした。
僕の目論見は、予想以上に評価され話題にはなった。話題にはなったけれど、一年しか持たなかった。負け犬の遠吠えになるけれど、戦略は間違っていなかったと思う。要は、僕に店を運営する能力がなかった。素人さんだったのだ。現に、今日も岩崎君に給料を支払った後、運転資金の無さに困っている。嫁さんに相談しても無理だろう。嫁さんに相談するということは、嫁さんの給料からくだもんやYUKKOの運転資金を出してくれということだ。これまでにも、嫁さんは自分の仕事があるのに、店の経理として助けてもらっていた。その嫁さんが「もうない」というのだ。店を立ち上げるために、退職金を突っ込んで、嫁さんのお義父さんに頭を下げて、国金から融資してもらって、一千万円も集めたのに、もうない。何をしているんだろう僕は。
堂々巡りする頭の中で、スーパーカブを走らせていると無人のキャッシュサービスの看板が見えた。暗闇の中に光るその場違いな白い光の看板に、飛び回る虫のように吸い寄せられて僕はお金を借りた。十万円。大した額ではない。とりあえず、店を回すために一時的に利用するだけだ。明日の買い物で、バナナは絶対に必要だ。この十万円で明日は回すことが出来る。まだまだ、これからだ。どん底から這い上がるんだ。
僕は、逃げるようにしてその場を立ち去った。知らず知らず神経が昂る。店を守るために、岩崎君を守るために、嫁さんを守るために、お金を借りたんだ。自分にそう言い聞かせてスーパーカブを走らせるのだが、頭の中がまとまらない。先に、なぜ、嫁さんに相談しなかったんだ。そんな問いが僕の中に生まれるけれど、僕は答えることが出来ない。もう、借りてしまったんだ。返せばいいんだろう。そう言い聞かせる自分。でも、お金を借りたことを嫁さんに伝えることが出来ない。言えば、きっと嫁さんは落胆するだろう。そういえば、ここ最近、嫁さんと真面に会話した記憶がない。僕の中で孤独がどんどんと膨れ上がる。
突然、平手打ちを食ったように、大きなサイレンの音が僕の後方で鳴り響いた。
「そこのバイク、停まりなさい。そこのバイク、停まりなさい」
天神橋筋から走ってきた僕は真黒な淀川に架かる長柄橋の上でスーパーカブを停車させられた。赤いパトライトを暗闇中でグルグルと回すパトカーは、僕の後方に停車すると、中から警官が降りてきた。
「君、何キロ出していると思っているの。」
僕が悪いということをことさら強調するように、警官は肩を揺すって僕に近づいて来る。僕は心の中で叫ぶ。
(なんで、今なんだ。なんで、金が無いときに、こんなことになるんだ)
近寄ってくる警官の顔がとても醜悪に見える。わざわざ隠れて、僕のスピード違反を見ていた。僕は奥歯をギリギリと噛みしめる。
「調書を取るから、パトカーの後ろに乗って」
僕は言われるままに、パトカーに乗り込み調書に協力をした。人差し指を黒く汚して拇印も押した。
「もう、スピードを出したらあかんぞ」
解放された僕は、ノロノロと走り出した。パトカーがまだ後ろに控えていることもあるけれど。何かつっかえ棒を外されたようで力が入らない。淀川の上空には強い風が吹いていた。スーパーカブがよろめく。貧すれば鈍するってこういうことを言うのだろうか。やる事なす事が、全て裏目に出ている。踏ん張らなければ。倒れるわけにはいかない。
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