くだもんやYUKKO

第11話 拝啓、お元気にしていますか

 壁にある赤いボタンを押すと店の入り口の電動シャッターが下り始めた。ガチャガチャと規則正しい金属音が静まった夜の街に鳴り響いていく。僕はシャッターが完全に降りきったのを確認すると、店の売上が入った封筒を腰のポーチに入れて裏口から出た。裏口は人気のない路地裏に面していて、都会にしては珍しくセメントで固められた石畳がひょろひょろと北に向かって伸びてる。向かいには暗闇にポッカリと空いた異世界の入り口のようにコインランドリーの引き戸が開け放たれており、その奥には眩しすぎる照明の下に誰が手にするのか風俗の求人冊子が整然と並べられていた。


 大阪の四ツ橋の交差点から北側に位置するここ新町は、江戸時代の頃から新町遊郭として船場の商人の社交場として栄えていた。大阪が空襲で焼けただれるまでは、船場の若旦那を喜ばせるために遊女が三味線の音に合わせて舞を見せていたそうだが、今はこの石畳くらいしか当時の面影は残っていない。店からもう少し北に足を伸ばすと厚生年金会館大ホールがある。新町遊郭がなくなった今では、新町といえばこの厚生年金会館大ホールくらいしか有名なものはなく、コンサートがないときはちょっと飲食店が多いだけの人通りの少ないビジネス街だ。


 僕はその石畳の南端とアスファルトが敷かれた表通りとが交わる店の角地に停めてある黄色くカラーリングされたスーパーカブに近づいていく。見上げるとデザインされた「くだもんやYUKKO」の看板が見える。僕は大きくため息をつく。店のスタッフの岩崎君の給料は、今日、何とか渡すことができた。でも、もう明日から市場で材料を仕入れるお金がない。何故、こんなにも落ちてしまったんだろう。




 水沢さん、オープンから僕を助けてくれた店の看板娘。カフェのことを何も知らずに勢いで立ち上げた僕に、女の子から見たカフェの魅力を僕に語ってくれました。音楽が大好きで、店のBGMについて何がいいか話し込んだことが懐かしい。お客様はみんな貴方に会いに来てたんですよ。裁縫が上手で店の小物を作ってくれましたね。一周年記念の時も皆をリードしてお祝いの品とお手紙を頂きました。ありがとうございます。一番守らなければならない貴女を僕は守ることが出来ませんでした。僕のことを貴女はきっと恨んでいるでしょう。今、貴女がいてくれれば、と思っている自分がいます。


 大垣、元気にしているか。お調子者のお前は、場を盛り上げるために頑張っているのは分かるけど、いつもすべっているんだよ。でも、そんなお前のお陰で僕はいつも救われた。僕の無理なお願いも二つ返事で受けてくれる。お前が淹れてくれるコーヒーが一番美味しかったよ。何故なんだろう。僕も丁寧に淹れているはずなのにどうしてもお前には敵わない。店を辞めていくとき、「友達の下で働くのはもうこりごりや」って言っていたな。心にブスリと突き刺さったよ。


 島田、いや、シェフって呼んだほうがいいな。俺は怒っているんだぞ。ヒットしたフルーツキーマカレーの味を決めてくれたのも、フルーツちらし寿司のバランスを考えてくれたのも、溢れ出すようなマンゴーパフェを考案してくれたのも、海老とアボカドのサンドウィッチも、オリジナルのフルーツジュースも、みんなみんなシェフがいてくれたから、お客様にも喜んでもらえた。今だから言う。なんで店のお金を盗んだんだ。なんでストーカーじみた行為で女の子を悩ましたんだ。全部全部、自分で墓穴を掘ったんやないか。でもな、それでも感謝はしている。シェフがいなければ、くだもんやYUKKOを盛り上げることは出来なかった。辞めさせるしかなかったけれど。


 高田さん、芸大出身の貴方のセンスに僕は惹かれました。メンタルが弱くて接客が苦手な貴女でしたが、貴方がデザインしたスイーツはどれも素晴らしかった。テレビや雑誌の取材を受けるとき、僕はとても鼻高々でしたよ。でも、店の忙しさに貴女は耐えることが出来ませんでした。今でも考えます。あの時、僕はどうすれば良かったんだろう。つまるところ、僕に力がなかった。それだけなんですが。


 店を盛り上げてくれたあなた達は、もういない。あなた達が去っていって、僕は手足をもがれた様な思いです。急遽、調理師学校を卒業したばかりの岩崎君を雇ったけれども、育つには時間がどうしても掛かる。空気感だけで連携が取れたあなた達と仕事が出来たのは、もう奇跡としか思えません。あの日が帰らないことは承知しています。でも、でも、そんなことを繰り返し思い返してしまいます。




 僕は店前に停めてある黄色いスーパーカブに跨がる。このスーパーカブは、中央卸売市場で買い物をした果実を運ぶために購入した。忙しいときは、パイナップル、バナナ、オレンジ、桃をリアキャリアに積み上げて茨木からこの新町まで運んでいた。四十キロを超えるこの重量は発進時にスーパーカブの前輪を浮かしたりもしたっけ。ところが今では、空で走ることも多くなった。片道二十キロメートルもある道のりを毎日毎日走り続けて、一年半でもう二万キロメートル。よく一緒に走ってきたなと思う。


 キックペダルを踏んでエンジンを回す。アクセルを吹かしてスーパーカブを走らせ四ツ橋通りに出る。深夜とはいえ走る車両が多い。北上して靭公園を抜けていき梅田までやってくる。信号が赤信号に変わり、交差点で停まる。街はクリスマスのイルミネーションがジングルベルの音に合わせてキラキラと輝いていた。赤や青や緑色。楽しさを演出している光景の中、僕は強い疎外感を感じている。さて、今日は乗り切ったけど、明日からどうしよう。信号が青に変わったので、僕はアクセルを回した。

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