第10話 白髪
家の前にスーパーカブを停めると、僕は一目散に寝室のパソコンの前に座り検索を始めた。先ずは、情報収集だ。気になるスーパーカブのパーツを見つけると、鉛筆で商品名と価格をメモっていく。予算は決めていないが、嫁さんに駄目出しをされると困るのでなるべく予算は押さえないといけない。でも、検索をかけるたびに欲しくなるパーツが次々と表示されて困ってしまう。
チェーンはもちろん交換する。
スプロケットは前後とも交換したい。
タイヤも交換する必要がある。
穴が空いているしマフラーも交換したい。
この際だから、ブレーキシューも前輪後輪交換しておこう。
ヘッドライトも割れているので使えるけど、交換したい。
レッグガードを白色から黒色にしようかな。黄色と黒の配色はちょっと派手かもしれないけれど。
前輪の泥除けの腐食もけっこう酷い、まだ使えるけど全体的に細かなヒビだらけ。
エンブレムは走ることに直接は関係がないけれど腐食は進んでいる。
出来たらシートを少し大きなものにしたいな。
リアサスペンションのプラスチックカバーが割れている。もっと格好良いものに変えたい。
修理を終えたスーパーカブの美しい姿を思い浮かべながら、他にもっと魅力的なパーツがないかと更にサイトを覗いていると、階下から嫁さんの呼ぶ声がした。
「パパ、買い物に行くよ。早くして」
そういえば今日は木曜日だ。木曜日は嫁さんの仕事が休みなので、僕が仕事から帰ったら、必ず一緒に買い物に行くようにしていたのだ。
「分かった、ちょっと待って、もうすぐ終わるから」
嫁さんから急かされているのに、更にサイトをめくっている僕。何度目かの催促でやっと重い腰を上げた。車に乗り込みハンドルを握ると、いつもお世話になっているスーパーに向かう。助手席では嫁さんが、嫌なお客さんの話をしている。チンピラ風の客がクリーニングの染み抜きをお願いしておいて後から「高い高い」とゴネたそうなのだ。僕はフンフンと頷いているものの、実はうわの空。運転をしながら僕はスーパーカブのことばかり考えていた。嫁さんの話が一段落したので、僕は切り出した。
「あんな、スーパーカブの修理の話やねんけど」
「いいよ。修理しても」
「それな、自分で修理しようかなって考えているねん」
「えー、大丈夫?太田くんに頼んだ方がいいと思うよ」
「いや、調べてみたら、自転車の修理と基本は変わらんみたいやねん」
「いいけど、あんまり高いのは嫌や」
嫁さんから金銭面でのブレーキの言葉が出た。
「いや、自分で修理するから安くなるし、」
僕は咄嗟に言い訳じみた返事をする。いつもそうだ。嫁さんの口からお金に関する話が出た瞬間に、僕の気分は少し憂鬱になる。嫁さんは僕のことをよく知っている。やりたいことを見つけると脇目も振らず走り出すことを。ただ、凝り性の僕はそれに必要な予算に甘いところがある。自分では考えているつもりだが、蓋を開けてみると足が出ている。とにかく、大雑把でどんぶり勘定なのだ。そのいい例が、フルーツカフェ「くだもんやYUUKKO」だ。僕はそれ以降、少し無口になった。
スーパーに到着して嫁さんと買い物をしていると、鮮魚売り場でバナメイエビが安く売っているのを見つけた。エビは嫁さんの大好物だ。機嫌を取り直して僕は嫁さんに話しかけた。
「エビが安いで。エビチリでも作ろうか」
「嬉しい、エビチリにしよしよ」
「冷蔵庫にニンニクと生姜のストック、あったっけ」
僕は、上を見上げて冷蔵庫の中にストックがあったかどうかを思い出そうとする。そんな僕に嫁さんは無邪気に話しかける。
「ほら、これ、エビチリのソースがあるよ。簡単にできるよ。」
この嫁さんの一言に、僕はまた不機嫌になる。美味しいエビチリを調理するイメージを膨らませている時に、調理方法について指示されることに不快感を感じたのだ。しかも、インスタントなんて。
「じゃ、ユキゴンが作ってよ」
嫁さんは、僕のぶっきらぼうな言葉に慌てたように口を噤む。結婚した頃は、晩御飯は嫁さんが作っていた。ところが、嫁さんが弟の仕事手伝うようになってから、晩御飯は僕の仕事になっていった。初めのころは、「なんで毎日毎日、俺が作るねん」という気持ちが強くて嫁さんに不満を言うこともあった。でも、状況は理解できるので納得するように努めていた。その納得する為の僕の方法は「美味しいものを食べたい」という僕の中の欲求を高めることだった。
「そのソースじゃ僕のモチベーションは続かへんねん。簡単に作りたいわけじゃない」
言わなくてもいいのに更に僕は言葉を継いでしまった。車中での不機嫌がまだ残っていたようだ。僕と嫁さんとでは、料理に対する考え方が違う。嫁さんはどれだけ簡単に調理を済ませるかということを優先する。僕は、手間がかかっても、それが美味しさに直結するのであれば、そうしたいのだ。この考え方の違いは、金銭面でも如実に表れている。嫁さんは何にも優先して節約したい。僕は、節約の意識はあるのだけれど、ケチったことで価値が大きく削がれてしまうのであれば使いたいのだ。でも、言ってしまって後悔をした。何も嫁さんと喧嘩をしにきたわけじゃない。これまでにもこのような考え方による小さな衝突は度々あった。いつも僕が悪い。心の中のもう一人の僕は「人間が小さいな」と呟いている。
嫁さんを見た。僕に視線を合わせようとせず、今の出来事はなかったかのように振舞っている。もう次の買い物の続きを始めている。僕はエビが敷き詰められたパックを手に持つと嫁さんを追いかけた。追いかけて嫁さんの後姿を見たときに、白髪を見つけた。嫁さんは女性なのに美容院には行かない。お金が掛かるからだ。白髪染はしているが安く済ませようとするので、その効果はどうしても微妙になってしまっている。そんな嫁さんを見て、僕のスーパーカブとダブった。乗り回すだけ乗り回して手入れをしていない僕のスーパーカブと。太田の言葉がよみがえる。
「しやけど、ヨネのバイクを触ってみて感じたんやけどボロボロやな。あっちこっち凹ましてるやないか。車もそうやったけど、道具としか見てないやろ。愛してないな〜。きれいに乗ろうとか全然ないな〜。」
ハッと思った。これは僕の本質だ。僕は、エビのパックを買い物かごに入れた。
「腕によりをかけて、美味しいエビチリを作るわ。楽しみにしてて」
「楽しみにしてる」
少しだけ心が軽くなった。今日は美味しいエビチリを作ろう。嫁さんのために。
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