第4話 腐れ縁
太田という男は僕にとっては不思議な男だ。僕に無理難題を言ってくるかと思えば、妙に素直だったり。そんなところがどこか憎めない。彼の無理難題はもしかすると僕に対する優しさなのかもと考えたりする。二十三歳のときに出会ってから、今日まで友人関係が破綻することなく続いてきたのは本当に不思議なことだ。
若い頃から一緒に飲みに行くのは頻繁だったけれど、太田の場合はその時が突然やってきたりする。たとえば、僕がもう寝ようかなと準備をしているときに、その電話が掛かってきたりする。
「何しんねん、俺が電話したらすぐに出る。ヨネ、暇やろ。今すぐ京橋に来い、今晩は京橋を討取るぞ」
太田からの電話を受け取った時点で、僕もある程度の予想はついている。「はい」か「いいえ」か、どちらかの選択を迫られている。「はい」と返事をすれば間違いなく今日中には帰ることが出来ない。良くて寝ずに仕事に行く。悪くて遅刻をして先輩に叱られる。
「どうしたん、太田。かなり楽しそうやけど」
「お客さんとこの宴会に出てたんや。もうお開きになったけどな」
「もう、帰らへんの。遅いで」
「何言ってんねん。夜はこれからやないか」
軽いジャブを打ったつもりだが、簡単にいなされてしまう。
「これからって、俺、あんまり持ち合わせがないで」
「アホ、金のことは言うな。嫌いやねん。金のことでウジウジ言う奴。ヨネは心配せんでええねん。とにかく、来いったら来い。着いたら電話をくれよ」
そう言って、太田は一方的に電話を切った。僕はといえば、そうした無茶ぶりに実はそんなに悪い気もしてなかったりする。いや悪い気どころか先程までの眠気も冷めてしまって、心は臨戦態勢。上着を羽織ると、一目散に京橋に向かった。
大体において二人の性格は真逆で僕にないものを太田は持っている。僕が太田に感じる憎めない気持ちというのは実は憧れだったりするんだろう。
僕が大学を卒業して大阪府中央卸売市場の北部青果に就職したときに、水産のアルバイトでお世話になった先輩から太田を紹介された。初めて出会ったときの印象はよく覚えている。初対面の僕に不機嫌そうな顔を見せる太田に対して、まともに挨拶も出来ないのかとビックリした。また、太田からは自分との人種の違いのようなものを感じた。例えるならば、僕はどちらかというと平々凡々に生きてきた羊だ。太田はというと荒れた学生生活を送ってきた狼といった雰囲気でちょっと近寄りがたいものを感じた。
ところが、次の日から太田は僕を見つけると近づいてきては何かと話しかけてくれるようになった。引っ込み思案だった僕は小さな頃から自分の方から友達を誘うという事が苦手なところがあったので、そうした太田の強引な接しかたは僕の心を開くのに十分だった。
ある時、太田は僕に合コンを開いてくれと言ってきた。僕と同期の新入社員の女の子達を連れて来いと言うのだ。そうしたことの経験がなかった僕はあまりのハードルの高さに初めは抵抗を見せたものの、実は僕にも気になる女の子がいたので、勇気を振るい起こして合コンのセッティングをすすめることにした。
合コンは、ライブハウスで音楽を一緒に楽しむという形でまとまり当日をむかえた。いざ会場に到着すると右も左もわからない僕達は要領が分からないまま小さな丸いテーブルに男子三人女子三人ときれいに別れて座ることになり、しかも距離も少し離れてしまった。暗い照明の中、僕たちは連れてきた女の子と会話も出来ないまま興味もない音楽を聴きビールを飲んでいた。
僕の脛がコンコン蹴られた。顔を横に向けると、太田が僕を睨みつけながら、「赤い服の女の子を呼んでこいよ」と僕に言う。酒に酔っているのかどこか目が座っている。僕は女の子を呼びに行くような気持ちにはなれず、太田の要求には応えないまま、ただ時間だけが過ぎていくのを待っていた。楽しくもないライブが終わると、しびれを切らした太田は立ち上がり女の子たちのテーブルに向い「次はどこに行く」と誘い始めた。酔った太田の態度はかなり強引で誘えば誘うほど女の子達は顔を見合わせて小さく萎縮していき「もう帰ります」と言い出した。
そんな様子を傍から見ていた僕は、今日の合コンを企画したことをかなり後悔していた。誰も喜んでいない。太田にお願いされたとはいえ今回の合コンを企画したのは僕だ。女の子の意見を取り入れてライブハウスにしたことも、配席の段取りが必要なことに気づいていなかった事も、僕自身が皆が楽しくなるために何も行動を起こさなかった事も何もかもが僕を責め続けた。僕も早く帰りたい、そんな思いに駆られていると、目の前で太田が帰ろうとする赤い服の女の子の腕を掴んだ。咄嗟に僕は、
「太田!」
と、声を荒げて叫んだ。叫ばれた太田は、女の子の腕を離すと、振り返るなり「なんやコラ!」と叫んで僕を睨みつけた。時間が止まったように感じた。酔いが回っているせいもあったかもしれないが、とても長い時間、互いに目を離せないでいたように思う。その後、どのようにして帰ったのかよく覚えていない。
次の日、いつも通りに中央卸売市場に行き仕事をした。気まずい気持ちを抱えたまま白菜やジャガイモの箱を先輩に言われるままにパレットに積んでいくことを繰り返していたのだが、昨日の出来事を思い出す度に「太田なんか友達でもなんでもない」と呪文のように心の中で叫んでいる自分がいる。そんな僕の目の前に、ターレットが停まり運転していた太田が僕を見下ろしていた。僕が顔を上げて太田を見ると、彼は顔を背けて「昨日はスマンかったの。また飲みに行くぞ」と言って走り去っていった。僕は太田を見送りながら、先ほどまで反芻していた恨みの気持ちが氷解していくのを感じた。というより、素直に凄いやつだと感じてしまった。それからというもの太田とはよくつるむようになり、音楽やバス釣りだけでなく飲む打つ買うの三拍子を二十代の頃は一緒に楽しんできた。
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