第3話 コーヒー飲むか
声の主は友人の太田だった。荷物運搬用の電気自動車ターレットに乗った太田が、ワザと眉間にしわを寄せて僕を上から睨みつけてきた。白いツナギを着たその男は細身でノッポ、白髪が混じり始めた風貌が作り出す芝居じみた睨みには無邪気さが漂っていた。僕はニヤニヤと彼を見上げながら、
「今、配達から帰ってきたところやねん」
「そんなこと、どうでもいいねん。出撃の時は来たナリー」
そう言って、太田は僕を睨んだまま顎を斜め上に突き上げると「ぼさっとせんと、早く後ろに乗って」と言った。僕は言われるままにカマボコ板にタイヤを取り付けただけのようなターレットの荷台に乗ると桟につかまった。「コーヒー、飲みに行こうか」カラカラと照りつける青空のもと、ターレットはノロノロと走り出す。
太田は僕の古くからの友人で、この中央卸売市場でターレットをリースする会社で仕事をしている。仕事の主な内容はターレットのメンテナンスだが、トラックや乗用車といった車両全般の整備も行っている。今朝、チェーンが外れた僕のスーパーカブの修理も太田にお願いをしていた。
ターレットが中央卸売市場の中にあるコンビニエンスストアに到着した。僕と太田は真っ直ぐにレジに向かいコーヒーを注文する。カップを受け取ると専用のコーナーに行きコーヒーマシンにそのカップをセットしてコーヒーを抽出するボタンを押す。
むかし、僕がフルーツ専門のカフェを営んでいた頃は、注文されたコーヒーを提供するのに早くても十分くらいは時間が必要だった。段取りとしては、お客様からコーヒーの注文を受けたら、まずはポットに水を入れて火にかける。コーヒー豆の分量をメジャースプーンで計ってミルで細かく挽く。ペーパーフィルターを丁寧に折ってドリッパーに収めて、先程挽いたコーヒーの粉を入れる。その頃にはポットのお湯が沸き始めるので、そのお湯を鶴口のポットに勢いよく移し替えることで、空気を含ませて温度を少し下げる。挽いた豆に少量のお湯を注いだら蒸らす時間を心の中で20秒数える。ここまでの準備を済ませてから、本番であるコーヒーの抽出が始まる。蒸らしたコーヒー豆のちょうど真ん中に細いお湯の糸を垂らし細かな豆がゆっくりとドーム状に膨れ上がるのを確認する。ここからはお湯の注ぎ方に人それぞれのやり方があるみたいだけれど、僕の場合はドームが崩れないようにゆっくりゆっくりと注ぐ。3回とか分けずにペースを乱さずにゆっくりゆっくりと注ぐ。そして最後まで落とし切らない。そうして出来上がった一杯のコーヒーをお客様に提供していたのだけれど、それがコンビニではボタン一つ。しかも、結構美味しい。「なんだかな〜」と思ってみたり。コーヒーマシンが抽出が終わったことを知らせるランプを点灯させた。僕は淹れたてのコーヒーのカップを持つと太田と一緒にコンビニエンスストアに設置されているイートインスペースに腰掛ける。
「バイクのチェーンは直ったで、はい、これバイクのカギ」
そう言って、太田は僕に鍵を手渡す。
「ありがとう。前々からカチャカチャ音がしててんけど、チェーンが外れるとは思ってもみなかったわ」
「まー、走れるようにはなったけど、あのチェーンはもう寿命や。伸びきってる。一杯まで絞って調整はしたけど後がないで。それとな、ギアもかなり削れてるから、もう替え時やな」
「そうなんや」
「なんぼ走ったんや」
「えっと、もう直ぐ六万キロになるんやったかな」
「そら凄いわ。普通そんなに走らへんで。流石にカブやな」
「ほら、僕がフルーツカフェを開いたとき、店までの荷物運搬用に買うたから、もう、かれこれ十四年は走ってるわ」
「そうやった。大阪の四ツ橋やったっけ。ようあんなところまで、毎日毎日バイクで行ってたな」
「懐かしいな。あれからもう十四年。俺たちも来年で五十の大台やもんな」
僕は太田から視線を外すと、右手に持っていたコーヒーカップを口元に近づけ一口飲んだ。少し苦い。これまでの様々な思い出が詰まっているようで心地が良い。更にもう一口飲んだ。
「あん時は、太田に店でサックスを吹いてもらったりして、世話になった」
僕は太田に視線を戻すと、懐かしそうにそう言った。
「憶えてるか、ヨネ。ライブん時の客の一人にまるむし商店のいそべっちが来ていたやろ。ライブが終わったあと俺がいそべっちに挨拶に行って」
「憶えてる。むっちゃ恥ずかしいなその話。演奏が終った太田が気安く話しかけに行くから、てっきり太田の友達が来てくれたんやと思ってん」
「ほんまにアホやで、テレビに出てる人に、”太田君の友達ですか?”って言うか、本人傷ついたと思うで」
「あんまりテレビとか見てなかったから。ほんまに知らんかってん」
「大阪人なら知っとけ。俺はサンテレビの”THE Hit!”を観てたから、会えて嬉しかったけどな」
「”THE Hit!”ってなんなん」
「何!あの番組を知らんのか。関西では有名な釣りの番組やないか。ってもうええわ」
大阪ならではのリアクションに力を込めた太田は更に続けた。
「兎に角、その釣り番組にいそべっちが出ててん。そんなことより、今度バイクのチェーンとか交換するんなら、また言ってな。部品はそんなに高くはないで、工賃はいるけど」
「うん、ありがとう。嫁さんと相談してみる」
「しやけど、ヨネのバイクを触ってみて感じたんやけどボロボロやな。あっちこっち凹ましてるやないか。車もそうやったけど、道具としか見てないやろ。愛してないな〜。きれいに乗ろうとか全然ないな〜。」
「まー、そうやなー。エンジンは元気でよう走るから、それでええかなみたいな」
「よー走るっていうても無茶はあかんで。憶えてるか?ヨネが乗ってたマークⅡバンが壊れたときのこと」
「えっ、また、何のこと」
「若い時、一緒にゲームセンターに遊びに行ってたやろ。あん時、ハンドルを握るドリフトのゲームに夢中になって、その後、俺と別れた後も夜中に山ん中に走りに行って、技術もないのにドリフトかまして車をぶっつけて、ほんまにアホ。現場の茨木の採石場のガードレール、まだ、ヨネが凹ましたままになってるで」
「あー、あったなー、そんなこと。実際に車がどんなふうにドリフトするのかが気になってしもうたんや」
「一回だけちゃうで、山ん中の田んぼに落っこちた事もあったやろ。その度に俺に電話を掛けてきてたやないか。ほんまに救いようのないアホ。俺の身にもなれっちゅうねん。だいたいヨネはもう一人やないんやで。家族もおるし気をつけなあかんで」
「うん、そうやな、気を付ける。太田には世話になりっぱなしやな」
「そうやろ、よく分かっとるやないか。今度はヨネの奢りで飲みやな。出陣の時や。覚悟せいよ」
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