第5話 今も昔もこの先も変わらない、大切なもの 

 たった数分、離れただけなのに、さっきとは明らかに違う森の光景に、目を疑った。


 森全体が黒いマナで覆われ、真っ暗に染まった木々の隙間のあちこちから、太くて鋭い荊棘が顔を出しながら、生き物の様に、ウネウネと動き回っている。


 ……まるで、呪われた森の様だわ。


「ひっ……!」


 未だに、こういう光景に慣れていない為、一瞬、短い悲鳴をあげて、足がすくんでしまった。


 ……だけど、アルが、まだこの中に居て、身動きがとれなくなっているかもしれない!


 私は意を決し、震える足にグッと力を入れて踏ん張ると、雷牙を構えながら、おどろおどろしい森の中を一気に駆け出した。


 さっきまで、綺麗に澄んでいた泉だったものが、今は紫色の不気味な水溜まりと化している。その目の前に、アルが佇んでいるのが見えた!


「……アル!良かったわ!今すぐに、ここから脱出するわよ!」


 そう言い、アルの手を引っ張って走り去ろうとしたが、10歳児のアルの体が、何故か重すぎて、少しも引っ張れなかった。


 ……まるで、大きな岩にでも、なってしまったかの様に。


 そう驚いてアルを振り返ると、やっぱり何か様子がおかしい。


「…………アル?」


 私を見つめる、アルの双眸は、金色の光を放っていた。

 目を逸らさなきゃいけない気がするのに、何故か、その瞳から目が離せなかった。


 アルは金色の双眸で、私を捉えながら、ゆっくりと手を伸ばし、私の腕に、そっと触れてきた。


 その時、心の中を見られる様な、嫌な感じがしたので、すぐに手を振り解きたかったけど、指の一本すら、ピクリとも動けなかった。


「……可哀想に、アリーシャ。ロキっていう男のせいで、君の心は今、グチャグチャになっているんだね。」


「……な、何を言っているの……?あなたは、本当に、アルなの?」


「……ああ、そうだよ、アルだよ。アリーシャが付けてくれた、大切な名前。オレの大切な、友達。大切な人が泣くのは見たくない。

 だから、オレと一緒に、この森で暮らそうよ、アリーシャ。そうすれば一生、悲しまなくて済むよ。」


 アルが不気味な笑みを浮かべた瞬間、四方八方から荊棘が伸びてきて、私の体を絡めとり、全身を覆い尽くそうとしてきた。


「────ッ!!」


 情けない事に、もがく事も出来ずに、ゆっくりと体を覆い尽くす荊棘を、涙で滲む目で、ただただ見つめる事しか出来なかった。


 恐怖で視界が真っ暗になりかけた瞬間、頭に思い浮かんだのは──、


「いやああああああああッ!

 ロキーーーーーーーーーーーーーッ!!!」


 目を瞑り、その名を叫んだ、その時だった。


 瞼の向こう側で、一瞬、眩しい光が見えたと思ったら、荊棘で捕らわれる感触が消え、変わりに優しい温もりを感じた。


 ハッとして目を開けると、そこには──、ロキの顔があった。


「アリーシャさん!怪我はありませんか!?」


「────ッ!!」


 その顔を見た瞬間、思わずロキの胸に顔を埋め、震えて泣いてしまった。


「──ッ!ロキ……!!」


 ロキは、そっと抱きしめ、優しく声をかけてくれた。


「……遅くなってしまい、すみません。怖い思いをさせてしまいましたね。」


 ロキが謝ったので、私は慌ててロキの顔を見上げて、首を横に振った。


「……ううん。謝るのは私の方よ。……ごめんね、ロキ。いつも心配ばかり掛けさせちゃって……。」


 二人で謝っていると、後方から、殺気を感じたので、ロキは私の前に、護るように剣を構え、立ちはだかる。


 その先には、私とロキを鋭く睨みつけるアルがいて、さっきよりも、邪悪なマナを放出させている。


「……何なんだよ、アリーシャ。そいつに泣かされたんだろ?何で謝るんだよ。」


 そんなアルの姿を見て、戸惑ってしまい、返事が出来ない私に、ロキが振り返って、衝撃の事実を告げた。


「……アリーシャさん、この者の正体は、精霊です。しかも、マナが穢れてしまっています。」


「──ッ!黙れ!穢れているのは、お前だろ!アリーシャの心を滅茶苦茶にしやがって!」


「…………確かに私は、アリーシャさんの心を、傷付けてしまいました。もう、アリーシャさんは、十分に自立出来るというのに、私は、いつまでたっても子供扱いして、余計なお節介をかけてしまいました。


 ……ですが、それは、アリーシャさんを大切に想うが故です。穢れていると言われようが、その想いだけは何があっても、ずっと変えるつもりはありません。……私は、アリーシャさんを護る騎士ですから。」


「……ロキ……。」


 これからも何があっても、私のことを、大切に想っていてくれるの?傍で護ってくれるの?


 そう思ったら、ここ数ヶ月間抱いていた、心のモヤモヤが、少しずつ晴れていくのを感じた。


「……ありがとう、ロキ。」


 そう、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ボソッとお礼を言いながら、私はロキの横に立ち、殺気立つアルに向かって叫んだ。


「アル!ロキは私にとって、一番大切な人なの!お願いだから正気に戻って!」


 アルは、一瞬、目を見開いた後、悲しそうに顔を歪ませ、頭を抱えて苦しそうに唸った。


「……ううっ……!何で、何で!そいつの隣に立ってるんだよ!……こんなもの……、もう、要らねーよ!!」


 その時、アルは、私が掛けてあげたジャケットを、こちらへとブン投げた。


 私が手を伸ばして、受け止めようとした瞬間──、


 ジャケットから、鋭い荊棘が3本突き抜けてきて、そのまま私を突き刺そうとした!


「アリーシャさん!!」


 ロキが咄嗟に、剣を振り上げて、荊棘を切り裂くと、その切り口から、緑色の樹液が、まるで血液のように、ドロッと大量に流れ落ちた。


 ジャケットが地面に落ち、目の前の視界が開けてくると、その枝の正体が、すぐに分かった。


 アルの両腕が、太い荊棘と化していて、それが私へと伸びてきたみたいだ。


 それに、変わったのは、腕だけじゃないわ。


 身長が、ロキよりも少し高く伸びていて、黒髪も腰の下まで荊棘おどろと乱れ伸び切っている。

 いつの間にか、はだけていた上半身は、筋骨隆々になっていて、まるで別人の様だった。

 

「……アル……?」


 私が声を掛けても、アルの鋭い金色の瞳は、もう決して緩むことは無かった。


 アルは切られた腕を再生させると、私とロキに向かって、より強い殺気を向けてきた。


「……アリーシャさん。彼は今、マナを暴走させて、正気を失くしています。

 残念ですが、もう私達の声は届かないと思います。」


「……戦うしか、ないのね。」


 ……目の前のアルは、さっきとは別人の様。夕方に、笑って話していたのが、嘘の様だわ。


 私は、歯を食い縛りながらも意を決し、怪物と化したアルへと、身構えた。

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