第103話 予感

 みんなに、黒魔女の事を話してから、随分と時間が経った。

 もうすっかり暗くなった星空の中心には、2つの月が、ぽっかりと浮かんでいる。


 私は、少し夜風に当たりたくて、近くの開けた草原の上で、ルナと、ノアと一緒に寝転んでいる。


「気持ち良い風なのです〜。」

「うん、そうだねえ。」

「ハハッ!ルナ、顔がとろけてるぞ!」


 ノアが笑いながら、ルナのお腹を優しく撫でてあげると、ルナはムニャムニャと、口を動かし、目もトロンとしてきた。


 私もクスッと笑いながら、ルナの首元を、こちょこちょと撫でると、ルナはさらに、幸せそうに顔をとろけさせた。

 こうして、モフモフで温かなルナの毛に触れているだけでも、幾分か気持ちが落ち着いてくる。


 ……きっと、今頃みんなも、それぞれの場所で、気持ちを整理しているんだと思う。


 ずっと敵対していた黒魔女の事を突然、助けたいだなんて、突拍子のない話だと思うし、そもそも、今まで黒魔女には、色々と振り回されてきたんだし、みんなが賛同してくれるかどうか、正直分からない。


 特に蓮桜は、大事な美桜ちゃんが危険な目に遭わされたし、ノアだって、辛い記憶を引っ張り出された挙句、心を操られた。


 私も、その事に関しては、今でも許せない。


 ……でも、だからと言って、私は彼女を冷たく突き放したくない。

 彼女の記憶と、かつての心の有り様を見てしまった今だからこそ、そう思える。


 あの時、涙を流した黒魔女は、私の魔力を拒んで、本気で殺そうとしてきた。

 だからきっと、次に会った時も、本気で殺そうとしてくる。


 それでも私は、あの子を救おうとする。


 ──何度、拒まれたとしても。


「……黒魔女の事を、考えていたのか?」


 考え込んでいたら、不意に、ノアが真剣な顔つきをしながら、そう声を掛けてきた。

 顔に出てしまっていたのかもしれない。そう思いながら、私はコクンと頷いた。


 ノアは、ルナの幸せそうな寝顔を見届けた後、光り輝く星が、幾つも散りばめられた天海を仰ぎ見ながら、再び口を開く。


「……前に、オレを操って、仲間に引き入れようとした時があっただろ?黒魔女は、主の命令だからと言っていたが……、今思えば、黒魔女も、“仲間”が欲しかったのかもしれないな。


 オレも、人間に追い立てられて、母ちゃんを惨殺されて、人間を心底憎んでいたからな。……だから、黒魔女の気持ちは、正直痛いほど分かる。」


 ノアは、そう静かに、穏やかな表情で言ったけれど、星々を見つめる朱色の瞳は、微かに揺れていた。


 その瞳を見て、何て声を掛けようかと迷っていたら、「……でも。」と、ノアが、すぐに口を開いた。


「……そんなオレでも、今はこうして凛花達、人間と一緒にいられている。

 だから、誰かと一緒に居れば、どんな人だって、変われると思うんだ。きっと、黒魔女も。」


 そう言って、ニッと、いつもの笑顔を向けてくれた。

 その瞳には、ついさっきの揺らめきは消えていて、まるで星空に負けないような、明るい光が宿っているように見えた。


「……うん。今のノアが、そう言うんなら、きっとそうだと思う。」


 私は安堵すると、微笑みながらそう頷いた。


 その後しばらく、ルナの「すぴ〜。」という小さな寝息を聞き、星空を眺めながら、もう一つ、別の問題について考えていた。


 未だに、正体が分からない人物。黒魔女が、ずっと“主”と慕い続けている白魔。


 黒魔女の様に、その人も救うべき人なのか、それすらも分からない。


 そもそも、顔も声も分からない。

 その人は、一度も私達の前には、現れた事がなかったから。


 ──一体、どんな人なんだろう。


「……案外、もう既に会ってたりしてな。」


「……え?」


 私の心を読み取ったのかと、驚いてノアを見ると、ノアは星空を真剣な目つきで見つめながら、すっと口を開く。


「……黒幕について、考えていたんだ。向こうは、一方的にオレたちの事を知っているだろう?……だから、随分と前に、会った事あるんじゃねーかと。」


「さ、さすがに、それは無いんじゃないかな?黒幕は、黒魔女から私達の情報を聞いていたんじゃない?」


「……確かに、考えすぎかもしれないけどよ、その黒魔女も、初めて会った時には既に、オレたちの事を知っていた。」


「……でも、もしかしたら、魔法で気配を消して、私達のことを、常に監視していたのかも。」


「いや。常に物影から監視されている気配は、微塵も無かった。マナの気配を一番感知できる凛花ですらも、全く感じなかっただろう?」


 ……確かに。あの禍々しい黒いマナの気配は、一瞬だとしても、私が見逃すはずは無い。

 それに、彼女の黒いマナを、肌で感じたのは、直接対峙した時しかなかった。


「……ついこの間から、ずっと違和感を感じる人物がいるんだが……。」


 違和感がある人……。


「……まさか。」


 ノアの言わんとしている事が分かり、私はハッとすると、咄嗟に右の掌を見つめた。

 この前の引っ掻き傷は、もう既に、綺麗に完治している。


 私も、呪いを受けてから、ずっと疑問に思っていた。


「……考えすぎかもしれない。けどよ、ここまで来たら、少しの違和感も見逃さない方が良いと思うぜ。」


 …………まさか、ね……。


 私は、そう思いつつも、右手をギュッと握りしめると、頷いた。


 でも、新たに生まれた不安は、私の胸中で大きくなりつつあった。

 その不安に、少しずつ飲まれそうになったその時、ノアの腕が横からスッと伸びてきて、私の身体をグイッと引き寄せてきた。


 突然の事に、ドキッとしながら、ノアの顔を見ると、ノアは眉間に皺を寄せ、申し訳なさそうに、睫毛を伏せていた。


「……悪いな。まだ本当かどうか分からないのに、不安にさせる様な事を言っちまって。」


「ううん。……まあ、少しびっくりしたけど、私の為に言ってくれたんでしょ?それに、これから何が起こるか分からないから、ノアの言う通り、少しの違和感でも、放って置かない方が良いと思う。」

 

 私が横に首を振り、微笑みながら、そう言うと、ノアの私を抱いている手に、ギュッと力が込められた。


「……何があっても、オレが、凛花を護るから。」


「……うん。」


 私は頷くと、ノアの胸に顔を埋めた。


 ……そういえば、この世界に留まるか、元の世界に帰るか、まだ決めていない。


 一つ、考えがあるけれど、そう上手くいくかは分からない。


 ……だから、もしかすると、ノアと一緒に居られるのも────。


 そう考えたら、ノアの温もりを、匂いを、もっと感じていたいと思い、さらに顔を埋めた。


 ノアも同じ事を考えていたのか、夜が明けるまでの間、ずっと優しく抱きしめてくれていた。

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