第102話 昔と今と、これからの未来 (アリーシャ視点)

 黒魔女の過去の話を聞いてから、かなり時間が経ち、今ではとっくに、大きな月が天中に浮かび上がっている。


 今、私は一人で、里から少し離れた所にある、小さな洞穴で、両足を抱え込む様に座りながら、ぼんやりと青白い月を見上げている。


 こんなに時間が経っても、正直、頭の中はモヤモヤしっぱなしだわ。だから、気持ちを落ち着かせる為に、一人で魔女の里周辺を歩き回っていたら、丁度良い感じの洞穴を見つけた。

 

 物心着いた頃から、母さんと二人で、小さな洞穴で身を寄せ合って暮らしていたから、こういう場所が、私にとっては一番落ち着く。


 ……母さんが死んだ時も、洞穴で一人、月に想いを馳せながら、何日も泣き続けていたわ。

 その時の事を思い出すと、今でも胸が張り裂けそうになる。


 小さな胸を、ギュッと押さえながら、凛花の話から聞いていた、昔の黒魔女の事を考える。


 人形の様に表情を変えない、あの子が泣いている姿なんて、まるで想像できない。

 だけど昔は、もっと感情的に生きていたみたいだから、その頃は、かつての私の様に、一人で泣いていた日があったのかもしれない。


 今の私には、みんなが居るから、もう寂しくないわ。


 ……けど、黒魔女は……。


 そう考えると、段々と哀れに思えてきたわ。


「……ちっとも、モヤモヤが晴れないわ。」


 モヤモヤを晴らす為に、落ち着ける場所に来たのだけれど、結局、意味が無かったのかもしれない。


「……帰ろうかしら。」


 ため息を吐いて、そう呟きながら立ち上がった、その時だった。


 ──グルルルルル……。


 獣の唸り声が聞こえたので、ハッとし、雷牙を構えながら、辺りの暗闇を見回す。


 すると、前方の少し離れた闇の中から、小さな金色の光が見えた。目を凝らしてみると、うっすらと、夜闇に溶け込む様な、真っ黒な毛並みを持つ、四肢の獣の姿があった。


 しかも、大きな体格の獣の後ろにも、一回り小さな獣がいて、少し高めの唸り声を上げている。この2匹は、親子なんだわ。


 きっと、私が座り込んでいた洞穴が、この親子の住処だったのね。


「……洞穴に住む、親子……、ね。」


 段々と、この親子が、私と母さんと重なってしまった。


 私は、意を決すると、雷牙を腰の鞘に、そっと戻し、ゆっくりと立ち上がる。


「……ごめんね、すぐに行くから。」


 獣を興奮させない為に、極力優しめに声を掛けて、そっと立ち去ろうとしたが、どうやら、そう上手くはいかないみたい。


 ──グオオオオオオオオッ!!!


 大きな獣が、月に向かって雄叫びを轟かせると、周辺の空気が、一気に重たくなるのを感じ、私は思わず足がすくんでしまった。


 その刹那、大きな獣が、私へと突進してきた。


 気が付いた時には、もう既に間合いへと突入されていたので、私の体は、いとも簡単に吹っ飛ばされ、後方の木に叩きつけられてしまった。


「がはっ!────ッ!!」


 呼吸と体勢を整える間も与えずに、獣が鋭い牙で噛み砕こうと向かってきたので、私は咄嗟に、鞘で納めたままの雷牙で、攻撃を受け止める。


 けれど、小さな腕力だけでは、当然押されていく一方だわ。


 鞘から抜かずに、雷を放出する事は可能だけど、この獣の命を奪ってしまうかもしれない。

 

 そうすれば、後ろの子供は、一人きりになってしまう!


「くっ……!このままじゃ……!」


 獣の鋭い牙が、私の眼球を貫こうと、スレスレまで迫ってきたので、ヤバいと思い、反射的に目を瞑ってしまった。


 ……が、次の瞬間、腕に突然、重みを感じなくなったので、驚いて目を見開いた。


「よしよし、大丈夫ですよ。」


 目の前には、ロキがいて、何と、大きな獣を軽々と抱き上げている。

 獣は、訳が分からず、鳴きながら四肢をバタつかせたり、ロキに噛みつこうと暴れまくっている。


 子供の獣も、甲高い声で一吠えすると、ロキの右脚に噛みついてきた。


「ッ!ロキ!!」


 私が子供を引き離そうとするも、ロキは首を横に振って制し、笑顔を絶やさないまま、再び獣に話しかけた。


「私達は、あなた方親子に危害を加えるつもりはありません。」


 そう、優しげな口調で、真っ直ぐと親子の目を交互に見ながら、そう言った。


 すると、バタバタと暴れまくっていた親の獣が、あんなに鋭かった目つきを、段々と穏やかなものへと変化させ、手足も、ブランと力なく垂れ下げた。


 子供も、親の様子を見て、噛みつくのを辞めると、不思議そうに小首を傾げながら、ロキを見上げた。


 ロキは、その様子を見届けると、親の獣をそっと下ろした。


 親子は、すっかり戦意喪失したみたいで、ロキをじっと見つめた後、そろそろと洞穴の中へと入っていった。


 ロキは、一息吐いた後、呆然としている私に、手を差し伸べてくれた。


「……素振りをしていたら、獣の鳴き声がしたので、急いで駆けつけて正解でした。大丈夫ですか、アリーシャさん。」


「……え、ええ……。」


 ロキの手をとり、立ち上がった後、私はようやく我に返り、ハッとすると、ロキの右足に視線を落とす。


「け、怪我は大丈夫なの!?」


「ええ。まだ子供なので、少し穴が開いたか開いていないか程度です。全然大丈夫ですよ。」


 確かに、ロキの真っ白いズボンは、血で滲んでおらず、綺麗なままだったので、ホッと胸を撫で下ろした。


「……それにしても、ロキ、凄いじゃない!傷一つつけずに、獣をなだめちゃうなんて!」


「そんな大した事はしていませんよ?動物は、人の目を良く見ているので、強く訴えかけただけですよ。」


「いやいやいや、それを凄いって言ってるの!普通の人には出来ないわよ。……ロキが、心から優しい人だから、獣もすぐに感じ取ってくれたのよ。」


「……アリーシャさんこそ、心から優しいと思いますよ?」


「え?」


 ロキの言葉に、目をパチクリさせていると、ロキはクスッと笑いながら、そんな私の頭を撫でてくれた。


「例え、獣相手でも、親子には優しいんですね。普通の人は、命の危険がある状況で、攻撃をためらう事はありませんよ。アリーシャさんが、攻撃をしなかったから、私も攻撃をしませんでした。」


「……だって、目の前で、お母さんが殺されたら、獣だって悲しいでしょう?」


「その通りです。……やはり、アリーシャさんは、優しい心の持ち主です。」


 ニッコリと微笑みながら、そう言われると、何だか恥ずかしくなり、赤くなった顔を見られたくなくて、咄嗟に顔を背ける。


 ……が、次のロキの言葉で、再び視線を戻す。


「……その優しい心で、の事も、助けてあげましょう。」


「……え?」


「黒魔女の事です。アリーシャさんも、その事について悩んで、散策していたのですよね?私も、気持ちを整理させる為に、先程まで素振りをしていました。


 ですがやはり、敵も関係なく、救うべき人物がいるのならば、私は救ってみせたい。それが、私の目指す騎士道ですから。」


 ロキは、背中にある大剣の柄に、そっと触れながら、真っ直ぐとした瞳で、そう告げた。


 ……やっぱり、ロキは凄いわ。

 こんなに真っ直ぐなロキになら、恥ずかしがらずに、胸の内を何でも曝け出せる気がする。


「……私も、黒魔女の過去の話を聞いたら、昔の自分と重ねて、何だか可哀想に思えてきたの。私は、凛花が、みんなが手を差し伸べてくれたから、今の私がいる。


 だから、みんなが、そうしてくれた様に、私も黒魔女に、手を差し伸べたいの。例え、彼女が拒否したとしても、ずっと手を伸ばし続けるわ!」


 ここまで胸の内を曝け出したのは、初めてだから、やっぱり恥ずかしくなって、すぐに、そっぽを向いてしまった。

 ……何か、裸を見せるよりも、恥ずかしい気がしてきたわ……。


 羞恥心で悶々としていると、目の前にロキの手が差し伸べられた。

 一気に我に返り、ロキを見上げると、ロキはいつも以上に優しげな眼差しで、私を見ていた。


「……私も、共に手を差し伸べます。絶対に、救ってみせましょう。今まで、色んな事を乗り越えてきた私達なら、きっと成し遂げられます。」

 

 銀色の月を背にするロキの姿は、清廉で美しく輝いている様に見える。


 その濁りなき、綺麗で真っ直ぐな光を、目を細めて見つめながら、差し伸べられた手をとり、強く頷いた。


「……ええ!当然だわ!」


 ……やっぱり、ロキと話して、良かった。


 そう安堵しながら、私たちは手を繋いだまま、帰り道を歩く。


 少しドキドキしていると、不意にロキが、「そういえば。」と、話しかけてきた。


「この旅が終わったら、アリーシャさんは、どうされるつもりですか?」


 ……旅が、終わったら?……そういえば、旅に夢中で、その後のことは考えていなかったわ。


「う〜ん……。とりあえず一回、ライラと一緒に、お祖父ちゃんに会いに行ってみるつもり。……まだ怖いけど、少しずつ、顔を出しておかないとね。


 ……けど、一緒には住まないつもり。どこで生活するかは、まだ決めていないけど……。ロキは、どうするの?」


「私は、孤児院に帰ります。子供達と約束しましたからね。」


「……そっか。」


 ……ロキには、帰る場所があるけど、よくよく考えたら、私の帰る場所は、どこにも無いんだった。

 ライラと一緒に、実家に住むという手もあるけど、私は後継ぎになるつもりは無いから、世話になるつもりもない。


 ……ロキと暮らせたら良いのに。


 そんな事を思いながら、繋いでいる手に、さらにギュッと握りしめていたら、


「……提案なのですが、アリーシャさんは、まだ子供ですし、孤児院で過ごしてみませんか?」


 と、願いが通じたのか、突然ドストライクな提案をしてきたので、私は目を丸くしながら、ロキを見つめた。


 そして、私は素早く何度も頷いた。


「え、ええ!是非そうしたいわ!家事も一緒に手伝うし、子供達の相手も、幾らでもしてあげるわよ!」


 ロキは、物凄く食いつく私の反応を見て、驚いた表情をした後、クスッと笑った。


「……では、決まりですね。よろしくお願いします、アリーシャさん。」


「ええ!こちらこそ、よろしくね!ロキ!」


 何だかお見合いみたいで、心が、こそばゆいけど、それよりも、嬉しさが込み上げてきて、自然と笑みが浮かんだ。


 旅が終わっても、ロキと一緒に過ごせる。


 これ以上にない喜びが、私の胸を躍らせる。

 表情も、自然と穏やかな笑みを作っているのが、自分でも分かる。


 そして同時に、何が何でも、絶対に生きて帰ってくる。……勿論、黒魔女の事も、悔いのない結果で解決させなきゃいけない。

 だから喜ぶには、まだ早い。そんなことは分かっている。


 ……けれど今は、心の中を、この幸福感で満たされていたい。


 だって、旅が終わった後も、初恋の人と一緒に過ごせるんだから。

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