決戦前夜・それぞれの夜
第101話 約束 (ライラック視点)
すっかり邪気が祓われ、穏やかな平原と化した、魔女の里。
その上に残っていた、家の残骸達に手を合わせ、凛花がそれを火の矢で全て燃やし尽くし、完全に灰にして地面に還した後、私達は、凛花から驚くべき真実を告げられた。
それは、あの
……あの黒魔女が、生まれた頃から、可哀想な出来事ばかりを味わっていただなんて、思いもしなかった。
彼女が、この世界を滅ぼしたくなる気持ちも、今なら分かる気がするわ。
なんて事を考えながら、私は今、月明かりが照らす2階のベランダで、一人で黄昏ている。
他の皆も、きっと、複雑な想いを抱えながら、それぞれ落ち着ける場所で、考えに耽っていると思うわ。
……きっと、蓮桜も……。
「……お嬢。」
その時、ナイスタイミングで聞こえた愛しの声に、ドキッと胸を踊らせながら振り返ると、そこには、薄いTシャツに、黒い半ズボンを履いた蓮桜の姿があった。
こんなラフな姿、見た事なかったから、思わず目が釘付けになる。
「れ、蓮桜!その格好でも、素敵だわ!!」
「ん?……ああ。実は、ついさっきまで水風呂に入っていたんだ。」
「み、水に浸かっていたの!?」
「ああ。精神統一をして、先程の凛花が話していた事について、色々と考えを巡らせていたんだ。
……もう少し、楽な姿で気持ちを落ち着かせたいから、部屋着にしたんだ。」
そう言いながら、隣に立つ蓮桜の姿が、いつもと違うせいなのか、ドギマギしてしまう。
バクバクと鳴る心臓を押さえながら、蓮桜の横顔にチラッと視線を向けると、蓮桜の横顔は俯きがちで、黒い瞳は微かだけれど、揺れていた。
こんな蓮桜、初めて見たわ。……相当、悩んでいるのね。
私が、声を掛けようか悩んでいると、蓮桜の方から口火を切った。
「……なあ、お嬢は、どう考えている?」
「ど、どうって?」
「凛花は、黒魔女を救いたいと話していた。確かに、ヤツの半生には、同情すべきところは幾つかある。だから、凛花の考えに素直に賛同したいが……。やはり、美桜の事もあったからな。……オレは正直、ヤツに手を差し伸べたくない。」
そう言った蓮桜の表情は、いつになく、とても複雑そうに見える。
……やっぱり、そうよね。
黒魔女の事を、可哀想だと思う反面、美桜ちゃんを危険な目に遭わされたんだもの。
……でも、正直、蓮桜の複雑そうな表情を見て、不謹慎かもしれないけれど、少し嬉しい気持ちの私もいる。
以前の蓮桜は、全っ然、表情一つ変えなかったから、こんなに悩んでいる蓮桜を見ていると、蓮桜も段々と、変わってきているのだなと、少し微笑ましい気持ちになるの。
「……どうした、お嬢。」
「……いいえ。でも、蓮桜の気持ちは、よく分かるわ。美桜ちゃんを危険な目に遭わせたんだもの。許せないのは当然だわ!だから、無理に許そうとしなくても良いのよ!」
「……だがそれでは、凛花の期待に応えることは、難しいかもしれない。怒りに身を任せて、アイツを救うことなど、考えられなくなる可能性がある。」
「……でも、それでも、美桜ちゃんの為にも、救わなければいけないと思うわ!」
「……美桜の為?」
「ええ。蓮桜想いの美桜ちゃんの事だもの。自分の為に、蓮桜の手を汚して欲しいだなんて、願ってもいないはずだわ。
それに、黒魔女には、美桜ちゃんにキチンと頭を下げて、謝ってもらわないと!悪い事をしたんだから、まずはそこからよね!!」
正当な事を言ったつもりだけれど、蓮桜は何故か、目を見開き、ポカンとしながら、私の顔をガン見している。
ん……?顔に何か、ついているのかしら?
そう思い、首を傾げると、
「……プッ。ハハハハハッ!お嬢は、こんな時でも、お嬢らしいな。ハハハッ……!」
と、蓮桜が突然、片腹を押さえて笑い出した!
こ、こんなに笑っている蓮桜も、初めて見たわ!どこで、こんなにスイッチが入ってしまったの!?
……というか、もしかして、これは夢なのかしら!?
信じられない気持ちで、目をまん丸にしながら、ほっぺたをムギューっと、つねってみたけれど、ものすごく痛いわ!
「わ、私、変な事を仰ってしまったのかしら?」
「いや、お嬢の発言は、いつも真っ直ぐで道理的だ。不思議と悩んでいた気持ちが、一気に振り払われる。……やはり、お嬢には不思議な魅力があって、最高だな。」
「え……?」
さ、最高……!?今、蓮桜が私に最高って言ったの?
今まで、蓮桜から、そんな風に言われたことなんて、露ほどにもなかったわ。
今日の蓮桜には、驚かされてばかりだわ!
そんな蓮桜は、ひとしきり笑い、落ち着いた後、何かを思い出したのか、目を丸くさせると、再び私に向き合う。
「……そういえば、お嬢。大事な話があるんだが。」
「………………へ!?だ、だだだだ大事な話!?」
ま、まさか!!このシチュエーションで、大事な話といえば!!
──愛の、告白!?
そう確信すると、私の中で、パァンッ!と、何かが弾けた様な気がした。
「……お、お嬢?何か今、お嬢から破裂音がした様な気がしたんだが……、平気なのか?」
「ええ!!気にせず!!続きを言って下さいまし!!」
訝しげに尋ねた蓮桜に、私は前のめりに顔を近づけ、双眸を穴が開くほど見つめながら、そう促した。
蓮桜は驚きながらも、「そ、そうか。」と、頷いてくれた。
「……だ、大事な話というのは、お嬢と交わした約束の事なんだが……。」
「もちろん、オッケーですわ!!…………え?約束……?」
私は、数秒間、ポカンと固まると、
「………………あ。」
ようやく、思い出した。
……そうでしたわ!洞窟から出たら、蓮桜にお願いがあるって、言いましたわ!!
まさか、黒魔女の一件で、つい、忘れてしまっていたなんて……。
ぐっ……!超絶不覚!ですわ!
「……それで、お嬢の望みとは何だ?」
蓮桜の問いかけに、ハッと我に返った私は、コホンと咳払いをして、改めて蓮桜に向かい合う。
蓮桜の大きくて立派な胸板が、白銀の月明かりで輝いて見えて、今すぐに歓喜の声を上げたいところだけれど、今は我慢よ!ライラック!
「…………そ、その……。ほら、今は私達、お屋敷に居ないでしょう?」
「ああ、そうだな。お嬢とここまで遠出したのは、初めてかもしれないな。」
「……その、“お嬢″って呼び方なんだけど、旅をしている間だけでも良いから、……名前でね、呼んで欲しいの。」
「名前で?……だが……。」
「だって、今は、お嬢様と使用人じゃなくて、共に旅する仲間でしょう?
……私以外の皆には、名前で呼んでいるから、いつも、羨ましかったというか、嫉妬していたわ。
それに、蓮桜だからこそ、名前で呼んでほしいなあ、なんて……。」
胸の内を告白している内に、段々と恥ずかしくなってしまって、最後の方は、声が少し小さくなってしまった。
でも、蓮桜は、私の声がどんなに小さくても、いつも最後までちゃんと、聞き取ってくれていた。
蓮桜は、驚いた様に、目を見開いた後、「……そうか……。」と、呟きながら、腕を組みながら考えていた。
少しすると、真っ直ぐな瞳で、私を捉えると、頷いてくれた。
「……分かった。ライラックが、そう望むのならば。」
ラ、ライラック!!
てっきり、皆みたいに、ライラって呼ぶのかと思ったけれど、まさかの本名!!
──思っていたより、イイ!!
「ど、どうした、ライラック!?」
感極まりすぎて、ふらついてしまった私を、蓮桜がそっと抱き寄せてくれた。私は、ハッと我に返ると、蓮桜に、とびっきりの笑顔を向ける。
「──イイ。」
「え?」
「──ッ!じゃなくて!物すっごく嬉しいですわ!!」
「そ、そうか……。」
私の笑顔を見て、蓮桜は安心したのか、クスッと笑った。
「……にしても、ライラックの願いが、名前を呼ぶ事だったとは、正直意外だった。」
「そうなの?」
「ああ。…………てっきり、恋仲になろうとか、そう言ってくるのかと身構えていたが……。」
私の問いかけに頷いた後、ボソッと何かを呟いていたけれど、私には聞こえなかった。
「え?今、何て言ったの?」
「……いや、何でもない。そういう話は、この旅を終わらせてからでも良いだろう。」
「だから、何の話!?」
何て言っていたか、物凄く気になるのに、蓮桜は答えてくれなかった。
……でも、私を見下ろすその瞳は、まるで私を包み込んでくれる様な、今までで一番優しい瞳だった。
その瞳の奥に、答えが秘められている気がするけれど、今は、探ってはいけない気がする。
超絶、気になるわ。今すぐにでも、問いただしたいわ!
……でも、何を言っても教えてくれないと思う。いつか、蓮桜が教えてくれる事を信じて、ここはグッと我慢するのよ、ライラック!!
心の中で、自分と格闘し、唇を引き結んでグッと堪えた後、私は少しムッとしながら、蓮桜にビシッと指をさす。
「……じゃあ、旅が終わって、二人で無事にレーベンヴァルトのお屋敷に戻ったら、その話とやらを聞かせて頂戴!これは命令よ!」
「……今は、お嬢様と使用人の関係じゃないって言ってたじゃないか。
……まあ、お嬢様とか関係なしに、ライラックの頼みなら、どんな状況でも聞くが。」
「本当!?約束ね!」
「ああ、勿論だ。」
私と蓮桜は、初めて指切りげんまんをし、白銀のお月様の元で、約束を交わす。
……こんな夜に、次に交わすのは、口付けが良いなあ。……なんて。
約束を果たす決意と共に、密かに、そんな願いも一緒に、絡めた小指に強く込めた。
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