第100話 天へと還る地 (黒魔女・凛花視点)

【黒魔女視点】


「──それでも、あなたに鍵は渡せません。」


 薄汚い聖女の末裔、凛花は、予想外な事に、きっぱりと取引を拒んだ。

 私を真っ直ぐと見つめる、その瞳には、強い光を宿している。


 ……そんな希望に満ちた光が、私は苦手。

 見ているだけで、失くなったはずの心が、むず痒くなる様な、そんな奇妙な感覚に襲われるから。いわゆる、幻肢痛の様なものかしら。


 私は、少しだけ目を逸らしながら、口を開く。


「……残念。良い取引が成立すると思っていたのに。……あなたは、呪いを解くことが出来ず、故郷の邪気を祓うことも出来ず、ここで朽ち果てていくのね。」


 凛花へと手を伸ばし、魔力を込めたその時。


「────ッ!?」


 不意に、凛花も両手を伸ばし、私を抱きしめた。


 ──その温もりは、嫌というほどに、温かかった。


「……何をしているの?離しなさい。」


 私は魔力を込めた手を、容赦なく凛花の背中に強く押しつけるも、凛花は離れようとしない。


「……私は、あなたに、これ以上悲しい想いをさせたくない。あなたを、救いたい。」


 ……突然、何を言い出すのかしら、この子。全く理解不能。


「……私は、悲しくなんかない。私に唯一残っている感情は、この世界に対する憎悪のみ。」


「いいえ。あなたには、“悲しい”という感情が、奥深くに残っているはずよ。……じゃなかったら、どうして、泣いているの?」


「何を言って────」


 そう問いかけた刹那、私は、双眸から頬に伝う、濡れた感触を感じた。


 ──指で掬い取ったそれは、もう二度と流れることのないと思っていた、枯渇したはずの涙だった。


「……何故……?」


「あなたは、アンナちゃんを失ってから、ずっと心にポッカリと穴が開いている。

 その心の隙間を埋める方法は、この世界を──、この世界を滅ぼすことじゃないはずだよ。


 なぜ、私にあなたの過去を観せてくれたの?あなたは、誰かに自分たちの悲痛な想いを、分かって欲しかったからじゃないの?

 自分たちを受け入れてくれる、安らげる居場所が欲しかったからじゃないの?

 ……そして、世界を滅ぼそうとする自分の事を、誰かに止めてほしいと、心の奥底では、そう願っているからだよ!」


「……黙れ。」


 ──私が、誰かに分かってほしかった?誰かに止めてほしかった?


 ──そんなはずない!


 そう否定しながら、再び凛花の背に、グッと掌を押し付け、さらに魔力を込める。


 凛花は、ビクッと肩を強く震わせたが、それでも私を抱きしめたまま、離そうとしない。


 ……否定したのに、何故、涙が溢れ続けるの?


 何故、こんなにも、胸の奥がざわつくの?


 分からないわ。けど、この子を殺してしまえば、もう関係ないはず。


「──ッ!凛花!!」


 我慢できなくなったノアが、拳を構えながら、こちらへと疾駆してきた。


 けど、もう遅い。須臾しゅゆにして、この魔力を発動すれば、凛花だけでなく、この場にいる私以外の生命が、無惨に朽ち果てるのだから。


 そう確信し、掌の魔力を、一気に解放しようとした、その時だった。


「────ウッ!?」


 突然、白い光に包まれ、次の瞬間には、身体が動けなくなった。


「な、…………に?」


「……もう、やめようよ?この世界を滅ぼしても、何にもならないよ……。人間を赦そうとしていたアンナちゃんだって、あなたが本当に、この世界で幸せになってほしいって、願っていたはずだよ。アンナちゃんの為にも、これ以上、自分を苦しめないでよ……!」


 白い光は、そう泣きながら諭す凛花から発しているものだった。


 ……まさか、呪いが解けかかっているというの?


「アンナちゃんは、あなたが泣いている姿なんて、見たくないはず……!だから、アンナちゃんの為にも──」


「黙れ。私は泣いてなど──」


 そう否定しようとする口とは裏腹に、目からは涙が止めどなく溢れ続けている。


 涙の原因は、この女の生温なまぬるい魔力に当てられているからなの?


「────ッ!!!」


 私は、このままでは不利になると思い、やむを得ず、転移魔法を発動し、この場から離脱した。


 瞬く間に、人気のない、何処かの廃墟へと転移した後、私は乱れた呼吸を整え、顔全体を濡らす不要な水滴を、さっさと拭き取った。


 ──この無様な姿を、主に見られたくない。


 そう思いながら、何度か深呼吸をする内に、段々と落ち着きを取り戻し、胸の奥のざわめきも消え去った。


「…………不覚。凛花は、想像していたよりも、厄介な相手。」


 次に会った時は、今度こそ、確実に抹殺する。


 ──次こそ、失敗は許されない。


 そう決意すると、今度は主の元へと、転移魔法を発動し、私の姿は廃墟から一瞬で消え去った。




【凛花視点】


 強く抱きしめていたはずの黒魔女の姿は、一瞬にして消えてしまった。


 それに気付いた直後、気が張っていたせいか、私は一気に腰が抜けてしまい、ガクンッと膝から崩れ落ちてしまった。


「凛花!平気か!?」


「……う、うん……。」


 駆けつけてくれたノアに、何とか頷いた後、右の掌に異変を感じたので、そこに視線を移すと──。


「──ッ!呪いが……!」


 ラビーに引っ掻かれた傷痕が、みるみる内に塞がっていき、それと同時に、身体の内側からは、まるで体温の様に徐々にマナが漲ってくるのを感じた。


「凛花!!」


 アリーシャの声で振り返ると、すぐそこに、他のみんなも駆けつけていた。


「凄いじゃない、凛花!魔法を碌に使えない状態で、あの女を退けちゃったんだから!」


「しかも!呪いも解けたのね!流石ですわ!」


 アリーシャに続いて、ライラも目を輝かせながら、そう賛美してくれた。


 ……でも、私は何だか複雑な気持ちで、素直に喜べずに、伏し目がちに頷くしかなかった。


「……意識の中で、黒魔女と何かあったんですか?」


 私の様子を見て、ロキさんが、三日月の様な目を、さらに細めながら、訝しげにそう尋ねてきた。

 他のみんなも心配そうに、私の事をじっと見つめていた。


「…………うん。……みんなにも話すけど、その前に……。」


 私は、ノアの肩を借りながら、ゆっくりと立ち上がると、一度大きく深呼吸をする。


「……まずは、ここから脱出しないと。」


 正直、黒魔女の悲惨な過去の話を、今は話す気にはなれなかった。

 それに、どっちにしても、早く脱出しないといけないし。


「……脱出法を思いついたのか?」


 そう尋ねた蓮桜に頷くと、私は頭からつま先までの全神経に、強力な魔力を込め始める。


「……この洞窟を、魔法で消し去るの。多分、この洞窟自体が、邪気の源なんだと思う。ここを消滅させれば、魔女の里を覆っている邪気も、消え去ると思う。」


 呪いが解け、マナを感じられる様になってから、この洞窟全体から、強力な邪気が手に取るように感じる。この洞窟を消せば、狙い通りの結果になれる……と思う。やってみないと分からないけど。


 ……それに、呪いのせいで、ずっと魔力を押さえつけられていたから、その反動なのか、私の体の中は今、溢れんばかりのマナに満ち満ちている。


 今なら、何でも出来る様な気がして、少しウズウズしているくらいだ。


 早くここから脱出して、魔女の里を綺麗にしないと!

 ……そして、あの子の事も……、放って置けないし。


 瞼の裏に、黒魔女の涙で濡れた顔が浮かび上がる。

 決意の眼差しで、両目を開けると、足元にいるルナへと手を伸ばす。


 ルナは、私の意図を汲んでくれたみたいで、すぐに「はいなのです!」と、元気よく頷くと、モフモフの白い弓矢に変化へんげし、私の左手に収まる。


 矢を構えながら、矢尻に溢れんばかりの魔力を込めると、すぐに純白の光が宿った。


『──ッ!す、すごく大きな魔力が流れ込んでくるのです!それに、ものすごく、あったかくて、何だかホワホワするのです〜!』


 ──あったかくて、ホワホワする。


 そう言ってくれたルナの言葉に、少しホッとする。

 だって、これから放つ魔力は、攻撃する為のものじゃないから。


「はあっ!!!」


 気合いと共に、矢を地面へと放つと、そこを中心に、地面の紫の藻や、黒々とした岩壁が、純白の薄いベールに包まれ、淡く白い輝きを放ち始める。


 そして、辺りは眩しい程の白い光に包まれ、私達は反射的に、目を強く瞑った。





 少しして、光が消えたのと同時に、頬を優しく撫でる、春風のようなものを感じ、そっと目を開ける。


 すると、眼前に広がるのは、さっきまでの薄暗い洞窟内ではなくて、白い入道雲に、清々しいほどの青空、そして、緑豊かな大地だった。


 ここは、一体どこなのかと、みんなも驚きながら、辺りを見回す。


 すると、草原の上の所々に、焼け焦げた家の亡骸が横たわっているのが目に入り、ハッとした。


「……ここは、魔女の里なの……?」


 里に足を踏み入れた時と、景色が全く変わっている。里自体が、新しく生まれ変わったかの様だ。


 呆然としていると、ふと地面から、白い蛍の様な光が現れる。

 その光は、たんぽぽの綿毛が風で舞い上がる様に、ふわりふわりと、次々に天へと昇り始めた。


 まるで、魂が成仏して、天に還っていくかの様に。


 この幻想的な光景を見守っている内に、ふと、こう思い至った。


「……きっと、魔女の里が成仏して、天に還っていったのかも。」


 そう思いながら、胸の前で祈る様に両手を組み、静かに目を閉じる。


 ──おやすみなさい、私の故郷。どうか、安らかに──。

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