第99話 白と黒

 次に開いたアーシェ様の口からは、さっきまでの穏やかさは消え、背筋がヒヤッとする様な、鋭く冷たい声色と化していた。


「それでは、あなたは、一生人間に迫害され続け、殺されるか、いつか暴走したマナでお友達を殺し、絶望して死ぬ方が良いのかしら?」


 アンナちゃんは、ビクッと肩を震わせたが、黒魔女は一瞬怯むも、負けじと眼光を鋭くさせながら、吠え立てた。


「嫌に決まってるでしょ!?でも、だからと言って、心を失くすのは、もっと嫌よ!!それじゃあ、生きているとは言えないわ!!」


 しかし、次の瞬間、黒魔女とアンナちゃんは、見えない重力によって、木製の床に突っ伏され、めり込まれた。


「ぐっ……!!」

「いやっ……!!」


「……愚かだわ。あなた達が、何かを犠牲にせずに穏やかに暮らせる道なんて無いのよ。恨むなら、ご先祖様を恨みなさい。」


 アーシェ様は、氷の様に冷たい瞳で見下ろしながら、そう言うと、這いつくばる二人の前にしゃがみ、二人の頭を乱暴に掴みかかった。

 二人は苦痛で顔をゆがめ、悶えている。


「……あなた達は、これから私利私欲の為に魔法を使わず、人々の為に魔法を使うの。精神的な苦痛も感じなくなるから、暴走する事もなくなる。

 人間達もいつか、黒魔女の事を危険視することなく、自分達の役に立つ存在だと、分かってくれる日が来るはずよ!」


「うううっ…………!!」


 二人の身体から、何かが抜けていくかの様に、橙色の光の粒子が舞い上がっていく。


 段々と苦しむ声が小さくなり、見開いていた双眸も、力無い虚な瞳になろうとしていた。


「…………ふ、ふざける……な……!」


 黒魔女が震える両手で、アーシェの腕を掴み、瞳の中で消えゆく光を必死に灯らせ、キッと睨みつける。


「──ふざけるなッ!!!私達は、奴隷なんかじゃない!!」


 そう激しい剣幕で一喝した、その時。


「ぐっ……!?」


 黒魔女の全身から、黒いオーラが溢れ出し、まるで生きた影の様に、アーシェ様を飲み込んでいった。

 アーシェ様は、二人から手を離し、息が出来ないのか、自身の首を強く押さえ、声にならない嗚咽を漏らしながら、床に倒れ込んだ。


 死を感じた黒魔女の魔力が、暴走してしまった。

 黒魔女は、数秒遅れてそれを理解し、そして一気に青ざめた顔で、恐る恐る傍へと視線を落とした。


「…………ア、ンナ……?」


 そこには、アーシェ様と同じく、黒い影に包まれたアンナちゃんが、肩で息をしながら、虚な瞳で黒魔女を見上げていた。


「アンナ!!!」


 黒魔女が泣き叫びながら、アンナちゃんを抱き寄せると、アンナちゃんは、涙を流しながら、黒魔女の頬にそっと触れる。


「…………ご、めん……ね……。もう……、一緒に……、居られなくて……ッ。」


「何を言っているの!?これからも一緒に居よう!今すぐに、助け──。」


 黒魔女が最後まで言い終わらないうちに、アンナちゃんは、静かに目を閉じ、頬に触れていた手が、だらんと力無くぶら下がると、そのまま動かなくなってしまった……。


 黒魔女は、それを悟った瞬間、無気力になり、瞳の光も涙も、少しずつ消え去ってしまった。


 その場面を最後に、映像は消え、辺りは再び闇と化した。


「うっ…………!!」


 私は、様々な感情が溢れ出し、嗚咽が漏れ出してしまった。

 膝をつき、胃の中の物を全て吐き出したくなったけれど、ここは意識の中なので、それすら出来なかった。


『…………その後、私は主と出会い、この世界を滅ぼす為に、共に行動し始めた。』


 静寂な闇の中、黒魔女の澄んだ声が響き渡った。


『……これで理解したはず。自分に流れる血が、どれだけ穢れているのかを。あなたより私の方が、強い執念を抱いている事も。』


「………………。」


『理解したのなら、もう一度交渉するわ。私にアルマの鍵を渡しなさい。そうすれば────。」


「…………思い出した。」


「は?」


「……昔、お母様が言っていた……。お母様より前の代の聖女様が、とんでもない過ちを犯したって……。

 だから、私達は、その責任を果たし、いつか白も黒も関係ない、お互いが幸せに暮らせる世界を、今度こそ創り上げてみせるって──。」


 いつの日か、真っ暗に塗りつぶされた夜の闇の中で、白く輝く二つの月を見上げながら、お母様がそう言っていた。

 その遠い目は、誰かを哀れむかの様に、悲しそうに揺らめいていたのを、鮮明に覚えている。


『…………そんな戯言、信用できない。……さて、そろそろ時間よ。今から私は、あなたに会いにいく。大人しくアルマの鍵を渡すことね。』


 黒魔女が、吐き捨てる様にそう言った途端、私は強い何かの力で、現実へと押し返された。


 


       ******



「……う……ん?」


「凛花!!」


 目を覚ますと、目の前にはノアの安堵する顔があり、周りを見渡すと、他のみんなもホッとした表情をしていた。


 しかし、ホッとしたのも束の間だった。


「……凛花。」


 玲瓏たる澄んだ声が響き渡った瞬間、私以外の皆はハッとし、一斉に声のする方へと目を向けた。


「何で、こんな時に……!!」


 アリーシャが、ギリッと歯を食い縛りながら、そこに立つ黒魔女を睨みつける。

 皆ボロボロで、もうそこまで戦う体力が残されていなかったからだ。


「……てめえ!!」

「待って!!」


 拳を握り、飛び掛かろうとしたノアを、私は止めると、真っ直ぐとした視線を、黒魔女に向ける。


「……凛花?」


 心配そうに見つめるノアの横を通り過ぎ、私はゆっくりと黒魔女へと歩いていった。


「……ようやく、決心したのね。」


 黒魔女の言葉に、私はたもとに隠し持っていた、アルマの鍵へと手を伸ばし、ギュッと握りしめる。


 お母さんの形見でもある鍵に、祈る様に一度目を閉じた後、私は決意の瞳で、黒魔女を真っ直ぐと捉える。


「…………確かに、私は白魔女として生まれたから、あなたの様に人間に迫害される事がなく、何不自由なく過ごすことが出来た。だから、あなたがこんなに理不尽な仕打ちを受けていただなんて、思いもしなかった。私の心は、あなたの執念に勝てないかもしれない。

 ……それに、私の先祖が犯した罪は、到底許される事じゃない。子孫である私にも、責任はある。」


「……そう理解しているのなら、早く──。」


「──それでも、あなたに鍵は渡せません。」

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