第96話 意識の中へと……

 カルマは、ノアと蓮桜の渾身のキックを顔面に受け、そのまま後頭部を強く、地面に叩きつけられた。

 そして、鼻血を大量に流し、力無い白目で、穴の空いた天井を仰ぎ続けている。


 その様子を見届けた二人は、フーッと息を吐くと、ガクッと膝をついた。


「ノア!」

「蓮桜!」


 私とライラが、急いで駆けつけると、ノアは肩で息をしながらも、手で制し、傍へと視線を向ける。


「蓮桜っ!!」


 そこには、泣き叫ぶライラの膝の上に頭を乗せ、脇腹の傷を押さえながら、苦しげに顔を歪ませている蓮桜の姿があった。


「……蓮桜は強いが、オレとは違って普通の人間だ。これ以上動くと、危ねえかもしれねー……。」


 ノアが、険しい顔つきで蓮桜を見下ろし、そう憂慮した。


「……私が、呪いを解けていれば……。」


 ……折角、蓮桜が信じてくれていたのに。


 ノアもボロボロになりながらも、必死に戦っていたのに。


 ライラも、大量にマナを消費しながらも、蓮桜の手助けをしていたのに。


 ……結局、私は何も出来なかった。しかも、未だに呪いが解けていないから、みんなを回復させる事も出来ない。


 ──私は、こんなにも無力だったんだ。


「……凛花さん……。」


 ルナの憂いを帯びた視線を感じながら、悔しげに呪われた右手を固く握りしめる。


 その時だった。


みんな!!」

「遅くなってしまい、申し訳ありません!」


 アリーシャと、身体中のあちこちに火傷を負っているロキさんが駆けつけた。


 ロキさんは、蓮桜の異変に気が付くと、ハッとし、瞬時にコートの裏から、ポーチ型の救急箱を取り出し、テキパキと応急手当てをしてくれた。


「……酷い傷だ。凛花さんの治癒術では効かなかったのですか?」


 まだ事情を知らないロキさんとアリーシャが、不思議そうな表情で、私の事を見つめたので、私は右の掌をゆっくりと開き、二人にそれを見せながら事情を説明した。


「なっ……!あの女、本っ当に卑怯な奴ね!……どこかから隠れて見ているのかしら。もしそうだったら出て来なさいよ!」


「落ち着いて下さい!アリーシャさん!」


 ロキさんは、バチバチと閃電を帯びる雷牙を構え、憤激ふんげきするアリーシャの肩を抑えながら、


「今は、ここから脱出する事が先決です。皆、激しい戦闘で体力の限界です。」


 と諭すと、アリーシャはハッとし、ノアと蓮桜とロキさんのボロボロな姿を見ると、渋々、雷牙を腰の鞘に納めた。


「……けどよ、どうやって脱出するんだ?出口らしき穴なんて、どこにも無かったぞ。」


「ノアの言う通りですわ。わたくし達が入ってきた井戸の穴も、なくなっていましたし……。そもそも、魔女の里を覆っている邪気の出所も、結局分からず終いですわ。」


 みんなで思索に耽けるも、あまり良いアイデアが思いつきそうにない。


 どうしようかと思っていた、その時。


『……凛花。』

「────ッ!!」


 私の頭の中に、黒魔女の澄んだ声が響き渡ったので、慌てて辺りを見回すも、その姿は見当たらなかった。


「……どうかしましたか、凛花さん。」


 みんなが、キョトンとした顔で私を見ていた。どうやら、私にだけ聞こえたみたい。


「今、黒魔女が私を呼んでいたの。……でも、どこに居るのか分からなくて……。」


「……恐らく、凛花の意識に、直接呼び掛けているのだろう。……さっきのオレみたいに。」


 すると、ライラの膝の上で眠っていたはずの蓮桜が突然口を開いたので、驚いて見下ろした。


「蓮桜!大丈夫なの!?」


 蓮桜はライラに頷くと、ライラの肩を借り、ゆっくりと起き上がった。


「ロキのお陰で、気分が幾分か増しになった。感謝する。」


 と、ロキに頭を下げると、蓮桜は私へと向き合うと、再び口を開く。


「……さっき、意識の中で、黒魔女と会話をした。オレの邪魔をするつもりだった様だが、お嬢の歌声のお陰で撃退できた。」


「──ッ!あれって、黒魔女の仕業だったのね!わたくしの蓮桜の心の中に、土足で入り込むなんて!!許しませんわ!!コソコソと隠れていないで出てらっしゃい!!」


「ラ、ライラさんも落ち着いて下さい!」


 今度はライラが地団駄を踏み始めたので、ロキさんが慌てて宥めて落ち着かせると、フーッと息を吐き、蓮桜に尋ねた。


「……つ、つまり、今度は凛花さんの意識の中に、侵入しているかもしれないと?」


「ああ。恐らくは。オレに対しては、意識の外へ追い出そうとしてきたが、魔法で傷を付けることはしないと思う。」


 蓮桜が頷くと、みんなが一斉に、心配そうな表情で私を見つめる。


 私は呪われた右の掌を、じっと見つめると、グッと力強く握り締め、顔を上げる。


「……分かった。」


「凛花!!」


「どの道、出口も邪気の出所も分からないんだから、直接聞き出してみるよ。……それに、黒魔女と対峙する事で、呪いを解くきっかけが生まれるかもしれない。」


 制止するノアの声を遮り、私はそう決心する。


 そして、大きく深呼吸すると、祈るように両手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じ、意識を集中させた。



      ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 目を閉じ、しばらくすると、みんなの声が聞こえなくなった。


 その代わりに、鈴の音の様な、澄んだ透明な声が、私の頭の中に響き渡った。


『……来たわね。取引の時間よ。』


 ──取引って?


『あなた達全員を、ここから出してあげる。その代わり、完成したアルマの鍵を、私達に頂戴。』


 ──当然、お断りよ。呪いを解いて、私の魔法で脱出して、魔女の里の邪気も払ってみせるわ!


 私は、そう毅然とした態度で、黒魔女にそう宣言した。黒魔女に対しては、前回ノアの心を操られた事もあり、恐怖心よりも憤りが増してくる。


 それに、強い心を見せつける事で、呪いを跳ね返せるキッカケを、少しでもつくれるかもしれないと思ったけれど、今のところ、まだ変化は現れなかった。


『……あなた、本当に無駄に強いのね。……さすが、忌々しい聖女の血筋の末裔。』


 ──え?


 いつも、感情の無いロボットの様に、淡々とした声色の黒魔女だったけれど、最後に吐き捨てた言葉には、ズシリと重みを感じたので、背筋が一瞬凍った。


 けれど、再び淡々とした口調に戻り、私に話しかけてきた。


『……あなた、呪いが解けなくて、本当は焦っているのでしょう?残念だけど、あなたでは、私には勝てない。』


 ──ど、どういうこと?何で、そう言い切れるの?


『……分からないなら、見せてあげるわ。私の絶望を。……失くなったはずの心が、今でも蝕ませる、あの忌々しい記憶を。』


 黒魔女が、そう凛然たる声で言い放つと、真っ暗だった意識の世界に、一つの映像が映り込んだ。


 その中には、寂しげな大地に一人立ち尽くす、燻んだ紫色の髪をなびかす女の子の姿があった。

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