第59話 福音を告げる女神 (アリーシャ視点)

 カロスが塵と化し、消え散ったのを見届けた後、私とロキは、ようやく一息ついた。ロキの神器も、元の大剣に戻っていた。


「……にしても、驚いたわね。上から雷牙が降ってきたかと思ったら、カロスとノアが落ちてきたんだもの。」


「そうですね。相変わらず、ノアさんは想像を遥かに超える戦法を思いつきますね。」


「ところで、ノアは?」


「カロスを蹴り落とした後、その反動で、上空へと飛んでいきましたね。まあ、彼なら、大丈夫でしょう。」


 相変わらず、とんでもない脚力ね。……にしても、丁度泣き止んだタイミングだったから、瞼が腫れているの、バレていないかしら。


 急に恥ずかしくなり、泣いていたのがバレていないか心配していると、突然ゴキッと音がしたので、その方向に視線を向けた。


 すると、そこには、蓮桜が涼しい顔で外れた肩を入れ直していた。あれって、かなり痛いのよね?


「れ、蓮桜、大丈夫なの?」

「お嬢。もう、平気だ。」


 心配するライラに、そう言いながら手で制する蓮桜に、ロキは静かに歩み寄り、二人とも、しばらく見つめ合っていた。


 そして、ロキはフッと柔らかな笑みを浮かべると、蓮桜に手を差し出した。


 蓮桜も、フッと笑うと、ロキの手をとり、立ち上がった。


 二人とも、何だか清々しい表情をしている。あの仏頂面も、長年の呪縛から解放されたからなのか、スッキリしているわ。


「……さあ、カルド様の元へ急ごう。カロスを倒したというのに、辺りの邪気が晴れない。嫌な予感がする。」


 確かに。カロスの仕業だと思われる、黒い邪気と、黒い羽の雨が、さっきから、ちっとも止まないわ。


 寧ろ辺りが、どんどん暗くなっている気がする。


「恐らく、屋上にいるのであろう。そこへ向かうぞ。」


 蓮桜は、そう言うと、何もない空間に、神器を身につけている手刀で、スッと切り裂いた。


 すると、真っ黒い空間が現れた。まるで、さっきのカロスの転移魔法みたいだわ!


「オレの神器も、距離は限られるが、瞬間転移が可能だ。」


 蓮桜は、そう言うと、ライラの手を優しく取り、ゆっくりと闇の回廊へと入って行った。


「さあ、アリーシャさん。私たちも行きましょうか。」


「ええ!」


 私も、ロキに抱き抱えられると、一緒に闇の中へと入って行った。


 中は、永遠と続くかと思う程の真っ暗闇だわ。ちゃんと前へ進めているのか、分からないぐらいに。


 でも、ちゃんと目的地に近づいているようだわ。その証拠に、段々と聞き覚えのある声が聞こえ始めてきた。


「カロスを倒したのに、どうして邪気が晴れないの?」


 凛花の声だわ。


「ククク……。この邪気は、カロスを倒したとしても、二度と晴れることはない。やがて、世界中を覆い尽くすであろう。」


 ハゲジジイの声が聞こえた瞬間、目の前に、一筋の光が見えてきたので、身を前に乗り出す。


「ロキ!早く走って!」


「はい!」


 ロキは、頷くと、目の前の蓮桜を追い越して、光の向こうへと走った。


 すると、目の前に、傲慢そうに笑うハゲの後頭部が見えたので、容赦なく引っ叩いた。


「ぐぬほっ!?……ゲホッ、ゴホッ……!」


 ハゲジジイは、気管が詰まり、激しくむせ返ったわ。


「アリーシャ!ロキさん!」


 ハゲジジイの向こう側では、大の字で寝転がる、血だらけのノアに回復魔法をかけている凛花がいて、私達を見るや否や、ホッとしていた。


 ノアは、よく見ると、笑顔で眠っているわ。全く、よくこんな状況で幸せそうに寝ていられるわね。


 まあ、とりあえず、無事で良かったけど、心の底から安堵するには、まだ早いわ。


 ロキのおかげで、目線が高くなったので、容赦なくハゲジジイを鋭く見下ろし、口を開いた。


「ちょっと、ハゲジジイ!早くこの邪気を何とかしなさいよ!さもなくば、来世も毛根が生えなくなるように、呪ってやるわよ!!」


「……フン!やれるものならやってみるが良い!わしは、これを浄化する方法など、とうに知らぬ。」


「何ですって……!」


 余裕の笑みを浮かべるジジイの頭に、もう一回引っ叩こうとしたけど、ロキに咎められる。


「アリーシャさん。祖父方は、本当に何も知らないようです。これ以上責めても、意味はありませんよ。」


 ……確かに、ロキの言う通りだわ。私は、「ぐぬぬ……。」と、悔しげにしながらも、渋々暴れるのをやめた。


 すると、丁度その時、闇の空間から、蓮桜とライラが出てきた。


 凛花が、蓮桜を見て一瞬驚いていたが、ロキが凛花に微笑みながら頷いたので、安心したのか、ホッと胸を撫で下ろした。


「……この邪気、ますます強くなっているな。」


 蓮桜は、外に出てくるや否や、濃くなりつつある邪気を、怪訝そうに見渡している。


 一体、どうすれば良いのかしら。このままだと、さらにひどくなってしまう……!


「……私の力で、浄化出来るかもしれないわ。」


 思考を巡らせていたその時、突如ライラが、そう口火を切った。


「ライラ、どういうことよ?」


「福音の神器は、歌によっては、穢れを祓い清める、救いの音色を聴かせると、聞いた事があるわ。だから、きっと、出来るかもしれないわ。……それに、いくら命令されたとはいえ、私がこの事態を招き起こしてしまったのだもの。何もしないなんて、許される事ではありませんわ。」


 ライラは、真っ直ぐと、強い眼差しで、そう言った。


 その決意の瞳を、私は、信じてみようと思い、笑みを浮かべると、頷いた。


「……分かったわ。思う存分、歌いなさい。」


「ええ。……ありがとう、アリシア。」


 ライラは、にっこりと微笑み、私にお礼を言うと、目を閉じながら、ゆっくりと深呼吸し、神器にそっと指で触れる。


 そして、次に大きく息を吸うと、艶やかな口を開き、そこから玲瓏たる歌声を響かせた。


 それと同時に、福音の神器が、神々しい光を放ち始め、ライラを中心に、辺りの常闇を包み込んでいく。


 暗雲の雲から、温かな光が一筋、また一筋と差し掛かると、やがて雲が晴れていき、2つの月が黄金の輝きを照らしながら、顔を出した。


 漆黒の羽の雨も、いつの間にか光の羽と化し、アースベル全体に降り注いでいく。


「綺麗……!」


 神々しい光の景色に、思わず魅入ってしまう。


 その光の中心である、ライラも、全てを優しく包み込む様な、穏やかな表情で、心地良い歌声を響かせていて、まるで女神様のように見えた。


 やがて、歌が終わると、神々しい光が消え、辺りは、満点の星空と、丁度良い、夜の薄暗さへと戻っていた。


 ライラは、一息つくと、ペコリとお辞儀をした。


「ご清聴、感謝致しますわ!」


 そう言うと、ニッコリと笑いながら、顔をあげた。


 私たちは、感動しながら、ライラに拍手の大喝采を送った。


「すごいわ、ライラ!本当に、あのバカでかい邪気を、浄化できたじゃない!」


 ライラは、「えへへ!」と、右手で後頭部をさすりながら、可愛く照れ笑いをした。


 すると、その時。


「ぐうぅ………………っ!!」


 突然、背後からうめき声が聞こえたので、振り返ると、そこには苦しそうに倒れ込む、ハゲジジイがいた。


「と、突然、どうしたっていうのよ!」


「お祖父様!!」


 急いで駆けつけた途端、ハゲジジイの身体から、黒いモヤが浮かび上がってきた。


 このモヤの気配、前にも、感じたことがある気がするわ。


「っ!グレル団長と同じ!?」


 ロキの言葉に、ハッとして、互いに顔を見合わせた。


 そうだわ!黒魔女から力を得たグレルからも、同じ気配がしたわ!


 じゃあ、もしかして、ハゲジジイも……?


「ぐおおおおおおおおおおおおっ!!!」


 ハゲジジイが苦しそうに叫ぶと、黒いモヤは、光の粒子となって、消え去った。


 どうやら、ライラの歌声によって、あのモヤも、浄化されたみたいだわ。


「お祖父様!!」


 ライラが泣きながら呼びかけると、ハゲジジイは、ゆっくりと瞼を開いた。


 さっきまでの鬼の形相が嘘のように、穏やかな表情をしていて、まるで別人のようだったから、一瞬、驚いてしまった。


 ハゲジジイは、優しげな瞳で、ライラを捉えると、しわがれた手で、そっとライラの頬に触れた。


「おお……、ライラックよ。大きくなったのう……。」


「お祖父……、様?」


ライラは、驚きのあまり、最初はポカンとしていたけど、やがて、


「お祖父様!!」


 と、もう一度叫ぶと、ハゲジジイを抱きしめた。


 ハゲジジイは、ライラの背中越しから、私を見つけると、優しく微笑んだ。


「……お主は、もしや、アリシアかのう?リリシアに似てきたのう。」


 私は、ただただ呆然と、ハゲジジイを見つめるしかなかった。

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