第38話 腐魂の水 (ノア視点) 

 何が起こったのか、分からなかった。


 凛花が突然、黒い水の玉に閉じ込められちまった。凛花は、両足を抱えて背中を丸めながら、眠ってしまっている。


「凛花!凛花!!」


 皆で何度か呼んだが、返事がない。水の中に手を入れようとしたが、水に触れた途端、強い電撃に襲われたので、思わず手を引っ込める。


「ぐっ……!!」


 手が焼ける様だ……!凛花は電撃を食らっていない様なので、とりあえず、そこは安心した。


「何なのです?このお水は……。」


『それは、腐魂の水よ。』


 すると、声と共に、奥の方から、女の人が現れた。


 地面につきそうな程に長い黒髪で、前髪も長い。隙間から見える両目は、金色に光っている。ぴっちりとした紫の長いドレスを着ていて、肩には薄くて細長い衣を纏っている。


「あ、あなたは……!」


 ロキが女の姿を見た途端、細い目を見開かせて驚いていた。


「……まさか、アクア様……ですか?」


「はあ!?何言ってんの、ロキ!だって、アクア様は、封印されているんでしょう!?」


「わ、私も信じ難いのですが、昔、精霊文献に載っていた見た目の説明と、ほぼ一致しているのですよ!」


 女は、『フフッ。』と笑うと、余裕たっぷりな笑みを見せた。


『私は、結晶の番人だ。そして、お前の言う通り、この姿は、アクアそのもの。アクアは心に深い闇を抱えていた様でな。マナと共に、その闇を吸い上げている内に、アクアに近い姿になってしまったのだ。』


「んな事より、てめえ!凛花を解放しやがれ!!」


 狭い洞窟に、オレの怒鳴り声が鋭く反響する。しかし番人は、それに怯む事なく、鼻で笑った。


『無駄だ。腐魂の水とは、閉じ込めた者に夢を見させるものでな。夢を見ている間、魂をじわじわと腐らせる特別な水だ。』


 水の中で眠る凛花の顔は、凄く穏やかに見える。だが、こうしている間にも、魂が腐ろうとしているのか!?


「どうすりゃあ良いんだよ!!」


『その女が、夢から醒める意志を持つか、もしくは魂が腐り、抜け殻にならなければ、目覚める事はない。……まあ、前者は、ほぼ不可能に近い。この女の心は、かなり弱っているからな。』


 凛花が、このところ何かに悩んでいたのは、気付いていたが、心が弱ってしまう程、思い詰めていたのか。


 ……クソ!オレがもっと上手く聞き出せていれば、こんな事にならずに済んだかもしれねーのに……!


『抜け殻にしたら、あのお方に差し出す。あのお方は、この女の魔力を高く評価している。操り人形にしたいと、おっしゃっていたわ。』


「ふざけんな!!!」


 オレは地面を強く蹴り、一気に間合いを詰めながら、白魂の拳を構えた。


「凛花は人形なんかじゃねえ!!絶対に許さねー!!」


 番人は、瞬時に水の鞭を創り出すと、オレに向けて振るった。


 オレは、番人から目を離さずに、横に一回転し、それを避けた後、顔面に拳をくらわせようとした。


 ……が、両足に何かが絡みつき、オレは気がつくと、地面に強く叩きつけられた。


「がはっ……!!」


 鋭く息を吐き、痛みに耐えながら、足に視線をうつすと、水の鞭が、オレの両足に絡みついていた。


 避けたはずなのに……。


 番人は、冷ややかな目で、オレを見下ろす。


『水は変幻自在だ。どんな複雑な動きも可能だし、どんな姿形にもなれる。……例えば、こんな風にな。』


「ぐああああああっ!!!」


 鞭に鋭い棘が生え、深々とオレの両足のあちこちに食い込み、強烈な痛みを走らせる。


 水の鞭は、オレの血によって、一瞬で真っ赤に染まっていく。


「ノア!!」


「ノアさん!!」


 ロキが大剣を、アリーシャが短剣を鞭に向かって振り下ろそうとした。


『させないわ。』


 すると、番人が鞭を持たない左手で、巨大な水のハンマーを創り上げ、二人に向かって振り下ろした。


 ロキが間一髪で、結界を張り、自身とアリーシャを護る。


 ハンマーは水で出来ているというのに、頑丈さを増し、メリメリと音を立てながら、結界を潰そうとしている。


 ロキが顔を苦痛で歪ませながらも、必死に耐えている。


 オレも、こんなところで、這いつくばっている訳にはいかない!


「うおおおおおおおおおっ!!!」


 気絶しそうな程の激痛に耐えながら、オレは何とか足を立たせる。


 しかし、動くたびに、棘が足に食い込んでいき、足の感覚がどんどん無くなっていく。


『足を使い物にならなくしてやるわ。』


「…………できる、ものなら……、やってみやがれ!!!」


 ほくそ笑む番人に、そう叫ぶと、両足に白魂を込め、力を入れる。


「うおおおおおおおおっ!!!」


 その時、ブチィッと音を立て、鞭が引きちぎれた。


『なっ……!』


 オレは感覚が無くなりつつある足を、無理矢理走らせ、番人に向かって拳を向ける。


 番人は、ハッと我に返ると、水の鞭を再生成し、再びオレを捉えようと振るった。


「させないわ!!」


 その時、オレの横を稲妻の閃光が走り、鞭を細かく切り裂いた。


 閃光の正体は、雷牙を持つアリーシャだった。


 目が合ったアリーシャに頷くと、オレは一気に距離を詰めようとするが、足の限界が近づき、ぐらつき始める。


「ノアさん!乗って下さい!!」


 その時、ロキがオレの前に移動し、大剣を横に寝かせて構えていた。


「ああ!!」


 頷くと、ロキの大剣の上に飛び乗る。


「はあっ!!!」


 ロキが力一杯に、大剣を振るい、オレを一気に番人の元へと飛ばしてくれた。


 番人は、驚きながらも、瞬時に水の盾を創り、オレの白魂の拳を防ぐ。


 しかし、オレは負けじと拳に力を入れ続ける。


「はああああああっ!!!」


 やがて、オレの拳の勢いが勝り、番人は盾ごと後ろへ吹っ飛ばされた。


 苦しそうに疼くまる番人に、オレはヨロヨロと歩み寄る。


「……さっさと、凛花を目覚めさせろ。」


『……言ったでしょう?外からでは、不可能なのよ。』


 番人は、そう言うと、両手を天井へと掲げた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ…………。


「な、何の音なのです?」


 凛花のそばから見守っていたルナが、キョロキョロと辺りを見回した、その時だった。


 背後の入り口から、海水が押し寄せてきて、一気にオレ達を飲み込んだ。


 オレは、必死にもがきながら、凛花に手を伸ばす。


 黒い水に触れた途端、強い電撃に襲われるが、それでも痛みに耐えながら、黒い水に手を突っ込み、凛花の頬に触れる。


 ──凛花、お願いだ。目を覚ましてくれ!このままでは、お前が死んじまう!


 強く念じたその時、凛花の瞼が、一瞬ピクッと動いた様な気がした。

 





 


 




 

 

 




 






 



 

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