便利な道具
増田朋美
便利な道具
寒い日であった。日が照っているときは良いのであるが、日が陰ると途端に寒くなってしまう。まあそれが正常だと思っている人も居るだろうが、やっぱり寒いのは嫌だなと思う。
その日、製鉄所ではいつもどおりに、杉ちゃんが着物を縫って、水穂さんは、寝たり起きたりしているという日常が続いていた。それが続いていれば、まだ良いのかなと思われるのであるが。変なところで、大騒動はやってくるものである。
いきなり玄関の引き戸が開いて、こんにちは、右城くんいますかと言いながら、浜島咲が四畳半にやってきた。何だ、また来たのかと杉ちゃんが言うと、
「ええ、右城くんの事が心配だから、こさせてもらいました。理由はそれだけよ。それ以外に理由も無いわよ。」
と咲は、したり顔で答えた。またお琴教室でお稽古があったらしく、ピンクの色無地の着物に、大きな菊の花がついた、名古屋帯をお太鼓に締めている。
「おお、はまじさん、しっかり着物が着られるようになったじゃないの。色無地も、名古屋帯も、バッチリ、決まってるよ。」
と、杉ちゃんが言った。咲は、
「そんなお世辞は良いわ。それにこれは種明かしすると、作り帯です。たまたま、リサイクルショップに売っていたのを買ってきたのよ。800円で。」
と、答えた。
「はあ、なるほどね。まあそれでも、色無地に古典的な柄で、良いじゃないか。ちゃんと、着物の格もあってる。それなのに、また着物の相談に来たの?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「ええ、今回は、そういうことじゃないわ。着物のことは、少しづつ覚えるようになってきたから、少しづつ自信が出て着られるようになってるわよ。それよりも、杉ちゃん、今日は、これを製鉄所に差し出したいと思って持ってきたの。」
咲は、そう言って、持っていた箱を開けた。
「これなんだけど、きっと右城くんのような人には需要があるだろうなと思って持ってきたのよ。私のお琴教室に来ている人がね、通販で買ったんだけど、間違ってワンサイズ大きなものを買ってしまったので、使い道が無くて困ってたわけ。メルカリに出しちゃおうかとも思ったらしいんだけどね、あのフリマはあまり信用できるものではないし、そういうことなら、ここへさしあげたほうが良いかなと思って、それで私が、持ってきたわ。」
そう言って咲は、箱を開けて電気ケトルを取り出した。
「はあ、これはどういう使い方をするもんなのかな?」
と、杉ちゃんが言うと、隣で寝ていた水穂さんが、
「ええ、スイッチを押せば数分でお湯が沸くというものですね。」
と杉ちゃんに言った。
「つまりお湯をわかす道具か。幸いなことに、僕らは鉄瓶があるから、それで大丈夫。これは要らない。」
と、杉ちゃんがいうと、
「そんな事いわないでよ。これだったら鉄瓶よりも、早くお湯が湧いて、その上すぐに使えるのよ。それに、一点八リットルのお湯が沸く大容量だし。それが、一分で湧くなんてすごいものだと思わない?ぜひ使ってちょうだいよ。きっと鉄瓶より使いやすいわよ。」
と咲は強引に言った。
「で、でもねえ。そんなものを使うほど、僕達は、急いでお湯を沸かすシーンも無いし、第一、そういうものは、何か欠点があるもんだろ。あんまりね、便利すぎるものを使っちまうと、進歩がなくなっちまうということもあるよ。だから、こういうものは使わないほうが良いや。」
と、杉ちゃんは、なんだか嫌そうに言った。
「なんでそうなるのよ、杉ちゃん。なんでも欠点があるけど、そういうふうに否定的にとるのはやめたほうが良いわよ。」
咲がすぐ言い返すと、
「確かに、電気ケトルは、保温ができないので、すぐにお湯が湧いても冷めてしまうと聞きました。それが、中途半端に沸かしてしまうので、食中毒が発生したとか、そういう事故もあったとか。」
と、水穂さんが言うのであった。
「まあ、右城くんまで。そんな事言わないで、これを有効活用する方法を考えてよ。せっかく良いものを手に入れたんだから、いい方向へ使うようにしましょうよ。」
「そうなんだけどねえ、はまじさん、その顔は、そのケトルを、なんとかして処分したいと言いたげに見える。」
咲がそう言うと、杉ちゃんは、本当の事を言った。確かに咲の顔は、もらって困るプレゼントを貰ったので、それを早くなんとかしたいという顔になっている。
「まあ、変なこといわないでよ。あたしは、生まれつきこの顔です。そんなすぐに処分したいじゃなくて、ただ、右城くんたちに使ってもらいたくて持ってきただけよ。」
咲は、急いでそう言ったが、
「浜島さん、もし処分したくて、メルカリで販売するのも気が引けると言うのなら、リサイクルショップとか、そういうところに買い取ってもらったらいかがですか。それは、二束三文かもしれないけど、処分することはできると思いますから。」
と、水穂さんが言った。
「まあそうなんだけど、それだったら、信頼できる友達のところへ持っていったほうが良いわ。私は、少なくともそう思う。そんなにいわれるんだったら、ちょっと今ここで試してみましょうか。じゃああたし、水を入れてくる。」
咲は、そういわれて、強引にそういった。リサイクルショップは、着物を買う店としてよく利用しているが、それに売る側として利用したくなかった。なんだか、買い取りを申し込むのは、ちょっと悲しい気がしてしまうのである。とりあえず、電気ケトルを台所に持っていって、水をたっぷり入れて四畳半に戻り、すぐに電源スイッチを入れた。
「じゃあ、二分くらいで、お湯が沸くから、それでお茶にしましょう。」
と、咲はそういった。それと同時に、冷たい北風が、四畳半に差し込んできた。日本家屋というものはどうしても風通しが良いように作られているから。四畳半にも風がはいってきた。そのせいで、水穂さんが少し咳き込むと、
「ああ寒いなあ。ストーブ入れようか。」
と、杉ちゃんが布団の近くにあった、電気ストーブの電源を入れると、突然ブーッという音がして、四畳半の電気がきれてしまった。当然のことながら、電気ケトルの電気もきれてしまう。
「あれれ、どうしたんだろう。」
と、杉ちゃんが周りを見渡すと、
「分電盤の電気がきれたんですよ。電気ケトルは、消費電力がすごいと聞きますし、電気ストーブも同時に電気を使うものだから。」
と、水穂さんが静かに言った。
「そうか、そうなっちまうのか。でも、ストーブはかけておきたいものだから、そういう弱点があるんだったら、やっぱり使いたくないな。はまじさんさ、悪いけど、電気ケトルの電源を切って、分電盤を直してきてくれ。台所にあるからよ。僕は立てないし、水穂さんにはちょっとかわいそうだし。」
と、杉ちゃんが急いでいった。咲は、そうねとだけ言って、仕方なく電気ケトルの電源を止めて、台所に行き、椅子に登って分電盤のブレーカーをあげた。
「もう仕方ないな。分電盤操作するのは、雷が落ちたとか、そういうときにしてくれよな。」
と、杉ちゃんがカラカラと笑った。
「やっぱり数分でお湯を沸かすなんて、そんな魔法みたいな事ができるわけないよ。それなら、やっぱりやかんを使って、ガスで沸かしたほうが、良いってことだよな。」
「そうねえ。」
咲は、がっかりしてしまった。杉ちゃんにいわれたとおりなんだけど、何故かそれには納得行かなかった。便利な道具を手に入れたのに、なんか、それを否定されると面白くないものである。
「じゃあ、僕、お湯を沸かしてくるよ。ガスでちゃんと沸かしたほうが、必要ある分だけわかせて、良いってことよ。ケトルのことはどうでも良いから、お茶にしよう。」
「杉ちゃん切り替えが早いのね。」
咲はそれだけいった。杉ちゃんは、それを無視して、台所に行ってしまった。まあ確かにケトルは電力を食うということは知らなかったが、それでも便利な道具だと思ったのだが、杉ちゃんには通じなかったらしい。
「でも、浜島さんが持ってきてくれて嬉しかったです。気にかけていただいて、ありがとう。」
水穂さんが布団に寝たまま咲にいった。
「そういうことなら、右城くんも早く元気になる努力をしてよね。」
思わず咲も嫌味を言ってしまいたくなってしまう。
それにしても、このケトルをどうしようか、と咲は思った。実は、彼女は、嘘をついていた。先程、お琴教室の人からもらったものであると言ったのだが、実はそうではない。相模原の家族から送られたものである。もしかしたら、家族が、自分の様子を探るため、このケトルを送ってきたのではないか。そんな不安があるので、咲は、水穂さんにやってしまいたかったのだ。もう、自立したんだから、家族のようになることはない。そうなりたいのに、なんで家族がわざわざ送ってくるのだろう。
「浜島さん。もし、処分したいなら、リサイクルショップに持っていくのが一番いいんですよ。メルカリに出品するのは、誰に渡るか不安何だったらそれが一番良いです。」
と、水穂さんがいうが、
「右城くんには敵わないわね。結局、そうするのが一番いい方法かな。若い人は、メルカリで売ってしまえばいいって思うんでしょうけど、これを見てるだけで、嫌な気持ちになるのよ。今の仕事はやめたくないし、それなのに、親が邪魔してくるのはおかしいと思うしね。」
と咲は言った。
「親御さんは、どんな事言ってくるんですか?」
水穂さんが聞くと、
「まあ、ね。きっとここでお琴教室のしごとをしているよりも、相模原に帰って、ちゃんと会社に勤めて、いい人と結婚してとか、そういう事をやって欲しいんだと思うけど、あたしは、相模原には帰りたくないわ。あたしは、このまま富士で過ごしたい。それで良いと思ってるのに。なんで親が邪魔してくるのかしらね。」
咲は、大きなため息をついた。
「まあ、そうですね。僕は、家族を持ったことがないのでわかりませんが、きっと、浜島さんの事を心配してくれてそれを送って来てくれるんじゃないでしょうか。こういうご時世ですし、なんか寂しくなったりするんじゃないのかな?」
水穂さんがそう言うと、
「それだけなら、良いんだけどね。あたしの人生はあたしのものだし、それは、あたしが決めていいとしてくれないかな。一応生活費だって、あたし足りてるんだし。生活には困ってないから、もう邪魔しないでくれればいいのにな。」
と、咲は、大きなため息をついた。
「まあ、親はいつでも親ですよ。そういう事をしてくれるんだったら、それだけでも幸せだと思わなきゃ、行けないじゃないんですか。」
水穂さんがそう言うと、
「そうねえ。あたしは、そうすれば良いのかな。」
咲は、もう一回ため息を着いた。それと同時に、
「お茶持ってきたよ。やっぱり、お湯は、ガスで沸かしたほうが、必要なだけわかせるし、余分に沸かしすぎて保存ができないこともない。ああ、この方がよほど便利だよ。」
と、杉ちゃんが車椅子用のトレーに湯呑を3つおいて、四畳半へ戻ってきた。そうねえと思った咲は、杉ちゃんの車椅子用のトレーからお茶を受け取った。お茶は、沸かしたばかりのお湯で作ったので、たいへん良い味がした。
それと同時に、何かを壊した音がガチャン!となった。別に地震が起きたわけでもないし、突風が吹いたわけでもない。なんだろうと咲は思ったが、
「はあ、また、西川さんが、何か仕出しましたね。」
と、水穂さんが言った。
「ちょっと僕見てくるわ。」
と、杉ちゃんは、車椅子を方向転換させて台所に行った。
「一体どういう事?」
と、咲が水穂さんにいうと、
「ええ。利用者さんの一人なんですが、なんだか親御さんのことで辛いことが会ったようで、時々思い出して、ものを壊したりするんです。」
と、水穂さんは答えた。咲は、心配になって、杉ちゃんの後を追いかけ、台所に行ってみる。
と同時に、何かがまた、ガチャンと叩き割られた音がした。
「おいおい、湯呑を壊すの何回目だよ。それでは、お前さんの悩んでいることは、いつまでも解決しないよ。そうやってものに当たり散らすよりも、人に話したほうがよほど楽になるってもんよ。ちょっと話してみな。」
と、杉ちゃんがでかい声で言う。確かにそこには女性がいた。でも、髪はぐしゃぐしゃになっており、服もジャージを適当に着ているような感じで、明らかに精神を病んでいる子だなとわかった。
「なあ、お前さんのその怒りというか、その、悲しい気持ちを聞かせてもらえないだろうかな。お前さんは、きっと悲しいと思っているんだろうが、それは、成文化しないとだめだと思うぜ。」
杉ちゃんにそういわれて、彼女は杉ちゃんの方を振り向いた。確かに髪や容姿は恐ろしいほど汚れているが、その目は、汚いものを見るような目つきではなく、何か悲しい事があるのではないかと言いたげな目をしている。
「確かに、人の湯呑をぶっ壊すことは、いけないことだけどさ。理由のない事件は無いだろうし、理由がなく病気になることもない。まして、精神の病気ではそうなるだろう。だから、それを話しちまえよ。ここに居る、僕とはまじさんは、何もしないし、別にお前さんを変なやつだと見て、すぐに捨ててしまおうとか、そういう事もしないから。」
杉ちゃんのやっていることは、説得屋といわれる商売人と同じようなことだった。最近精神障害者を病院に引き渡すことを、専業にしている商売があるという。そういうときは、いろんな口実を作って、患者をある意味では騙すような事をして、病院につれていくこともあるが、それはある意味、患者を余計に傷つけてしまうことにもなる。
「だからさ、僕達のこと信じてくれないかな。それで、お前さんがなぜ、湯呑を壊したのか、教えてもらいたいな。」
と、杉ちゃんはもう一回言った。
「私、、、。」
西川さんと呼ばれた女性は、小さい声で言った。
「寂しかったの。」
「はあ、そうか。話してみたまえ。なんで寂しいんだ?」
杉ちゃんがそうきく。
「私、お母さんがいなかった。いつも家の中で一人だった。」
「そうなんだね。なんでお母さんは、いなかったの?仕事が忙しかった?それとも他に理由があるのか?」
彼女の言葉に杉ちゃんはすぐに言った。
「そうかも知れない。だって、お母さんは、毎日展示会のことがどうのこうので、釜の温度とか、そういうことで私の事、全然。見てくれなかった。」
「窯の温度ね。瀬戸物でも作ってたのか?」
咲は聞いていてなるほどと思った。つまり彼女のお母さんは、陶芸家ということだろう。それで四六時中釜の前にいて、彼女の事の事を見てあげることができなかったのだ。もしかしたら、お母さんの方は、ちゃんと彼女を見ていたというかもしれなかった。でも、彼女にはそう見えてしまったのだ。それは、もうどうしようもなく、修正できないすれ違いだった。
「ええ、西川陽子って知ってるでしょ。有名な、陶芸家よ。私のお母さんは。」
と、彼女はそういった。西川陽子。聞いたことのある名前だった。それは咲も知っている。女性陶芸家として、多くの新聞にも雑誌にも乗っている。そういう人物なら、彼女が寂しいと言ってしまうのもわかる気がする。
「そうなんだね、僕も聞いたことあるよ。確かにあれくらい有名になっちまうと、自分のことで手一杯で、お前さんのことは構わなくなっちまうよな。それで、お前さんは、陶器の湯のみをぶっ壊したのか。」
と、杉ちゃんが言う。
「でも、それは人の湯呑でさ。お前さんのものじゃないよ。お前さんだけではなく他の人間も、それを使うことがあるはずだよな。それをぶっ壊してしまうのは、いけないことだぜ。わかる?」
「そうかも知れない。でも私は、母がああして湯呑を作っていたのが、すごく悲しい。だから、壊してやりたくなるの、母が、それに没頭していたのを。」
彼女は涙をこぼしてそう語った。
「だって、暇さえあれば展示会で、お母さんは、展示会にだす作品の出来栄えばかり気にしてて、あたしのことは何もわかってくれなくて、だからあたしも、あたしの方を向いてほしいから。」
「そうなんだね。お前さんのことはよくわかったよ。お母さんにお前さんのことを見てもらいたかったんだ。まあたしかにさ、お前さんは、悲しいと思うけど、お母さんは、それしかできなかったのかもしれないな。大変だと思うけど、これからも生きて行けや。生きてれば良いことあるとか、そういうことはいわない。ただ、お前さんは、辛かったんだ。それさえ思えば、大丈夫。」
杉ちゃんが、彼女を励ますが、彼女の涙は止まらなかった。彼女の年齢は、35歳と聞いていたが、それとはとても見えないほど幼く見えるのであった。
「大変だったんですね。本当に寂しかったんだと思います。誰かが、代弁することもなく、本当にそうだったんだと思います。それは変えようの無いことですから、僕達も、そう思うことにします。」
二人の近くに水穂さんがやってきて、彼女にそういった。咲は、右城くん大丈夫?と聞いてみるが、水穂さんはそれには答えなかった。
「でも、もしかしたら、お母さんも、それをすごく後悔しているかもしれませんよ。それは、本人に聞いてみないとわからないことだから、話してみてはいかがですか?」
「そんな事、あの人が思っているでしょうか?」
西川さんは、小さい声で言った。
「いえ、もしかしたらあるかもしれません。誰でも機械ではなく人間ですからね。電源押したら、いわれた通りの事をするというものではありません。それは、人間同士話してみなければわからないことでもあると思います。」
「あれだけ私の事を邪魔と思ってた人が、後悔などしているなんて、思えないのですが。」
と、西川さんは、そう続けた。
「でも、機械ではありませんよ。」
水穂さんは優しく、でもきっぱりと言った。それを聞いて彼女は、更に涙をこぼして泣き出すのだった。そういうふうに、水穂さんのような人の智慧を借りなければ、立ち直れない人も居るんだな、と咲は思った。同時に、電気ケトルを送ってきた家族も、まだ良いのかなと思った。
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