第百七十六話 言葉にできない感情【後】

(蒼く燃える剣気……剣罡けんこうだと!)


 剣罡とは、体内の気を練り合わせることよってかたちづくられた剣をさす。

 内功を自在に操る卓越した実力が必要不可欠であり、剣罡の使い手とはすなわち、武功の達人であることの証。


 剣罡は使用者の内功を反映する。

 暗珠アンジュも街で一度目にしたが、憂炎ユーエンの内功は蒼い炎功えんこうだ。

 早梅はやめが止めに入らなければ、燃える剣に、首を掻き切られていたかもしれない。


「ちがうから……その子の父親は、彼じゃない!」

「……はぁ、なるほど。よくよく考えてみればそうですよね。理解しました。胸糞悪いことに変わりはありませんけど」


 早梅の訴えを受け、眉間をおさえた憂炎が嘆息。


「失礼いたしました、殿下。わたしの早とちりだったみたいで」

「早とちりで殺されそうになった私の身を思えば、そう悪びれもなく上辺だけの謝罪はできぬはずだがな。そして、だが?」

「おや、これはおみそれしました。かさねてお詫び申し上げます」


 暗珠が皇子であることに動じず、追及に難なく返すさまは、の口ぶりだ。


「まぁま! うぁあ、まぁま、まぁま~!」

小蓮シャオリェン! お母さんだよ、そばにいてあげられなくてごめんねぇ……!」

「んん、んうう……」


 あれだけ泣きわめいていた赤ん坊が、早梅に抱き上げられたとたん、暴れるのをやめる。

 ひとしきりあやし、泣き疲れた赤ん坊が寝入ると、室内はふたたび静けさに包まれる。

 あとには、ばつが悪そうな早梅のすがたが残された。


梅雪メイシェ、念のため確認しますけど、その子は」

「私の息子だ」

「そのへんから拾ってきたとかじゃないですよね」

「私が生んだ」

「うん、まぁ、でしょうねぇ……最悪だ」

「息、子……生んだ、だって……どういうことだ!?」

「ああもう、わからないひとですね」


 めまぐるしくくり広げられる光景に、混乱極まれり。

 うろたえる暗珠を、憂炎が苛立たしげに一刀両断する。


「いいですか、あの子からは、梅雪ともうひとり、あなたとよく似たにおいがします。だからあなたに斬りかかったんです。でもちがった。父親はあなたじゃない。わたしがなにを言いたいか、さすがにわかりますよね?」

「っ……待て……そんな、はずは」

「えぇそうです。あの子の父親は皇帝陛下。もっとわかりやすく言いましょうか? あなたの父親が、梅雪に乱暴をして生ませた。それがあの赤ん坊であり、あなたの弟なんですよ」

「うそだ、そんなはずはない! うそだと言ってくれ、梅雪……!」

「……憂炎の言っていることは事実です、殿下。この子の父親は、ルオ飛龍フェイロン今上陛下です」

「なっ……そん、な」


 彼女は、なにを言っているのだろうか。

 最愛の女性を、尊敬する父が犯したなど。

 そのようなことが、あってはならないのに。 


「誤解のないよう申し上げますが、蓮虎リェンフーを生んだのは私の意思。後悔はしておりません。そして陛下への私怨に、この子は一切関わりがありません」


 早梅の言葉が、暗珠には、どこか遠くにきこえる。

 茫然自失へおちいったさなか、とん、と肩を叩かれる感触がある。


「おまえは物事の側面が見えてない。俺の言った意味が、わかるな?」


 晴風チンフォンの瑠璃の双眸が、静かに、暗珠の動揺を見透かす。


「……ちち、うぇっ……!」


 悲痛な声とともに腹の底からこみ上げる感情がなんなのか、暗珠には理解できなかった。

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