第九十一話 沈黙のそよ風【中】

「悪かったって! このとおり!」


 金玲山こんれいざんの西にある金王母こんおうぼの私宮をおとずれて間もなく。

 両手を合わせて直角に腰を折る晴風チンフォンを前に、黒皇ヘイファンはしばらく沈黙したのち、口をひらく。


「私は青風真君せいふうしんくんに、なにかされましたか?」

「はっ? 心当たりがないとは言わせねぇからな! こないだの恋愛相談からだぞ、おまえがとんでもないことを言いだ──」

「あちらで詳しいお話をうかがいましょうか」

「まてまてまて、そんな真顔で近寄んなって、怖い怖い怖い!」


 こどもに聞かせられる話と、そうでない話の区別もつかないのだろうか、この仙人は。

 と半ば腹立たしく思うも、黒皇はすぐに思い直した。

 晴風は、黒皇が考えるよりずっと人の機微に敏い。

 それは、ほかでもない黒皇自身が知っていることだ。


「いいか小慧シャオフゥイ、果物を盛りつけたこの皿をだな」

「はい!」

「そこにいる金王母さまに届けるんだ!」

「わかりました!」


 黒嵐ヘイランから皿を受け取った黒慧ヘイフゥイが、とてとてとて、とみじかい足で三歩すすんだところに、椅子へ腰かけた金王母のすがたがある。


「おしょくじをおもちしました! どうぞ!」

「まぁ、ありがとう」


 そうして卓の上に置かれた皿から、金王母は葡萄をひと粒とって、「上手にできたご褒美です」と黒慧へ差し出す。


 ほほ笑ましげな金王母。瞳を輝かせる黒慧。それを見守る黒嵐。

 紅白の蓮池をはさみ、いつもと変わらぬ光景を横目で見やった黒皇は、神妙な面持ちで正面の晴風へと向き直る。


「それで……『お話』とは?」


 黒皇の知る晴風とは、実に聡明な男だ。

 こうして巧みに、黒皇を連れ出すほどに。


「なんつーかな。最近、いやぁな予感がしてよ」


 なんとも漠然とした発言ではあるが、晴風の『勘』はいつもするどい。

 黒皇は無言で見つめ返し、言葉の続きをうながす。


「一応、占いをしてみた。そしたらどうも、火気と水気の流れが妙なんでね」

「火気……もしや、私たち兄弟のことですか?」


 木気もくき火気かき土気どき金気ごんき水気すいき

 万物ばんぶつはこれら五行によって構成される。

 そのうち太陽をつかさどる黒皇ら兄弟は、この金玲山において、もっとも強い陽功ようこう、つまり火気を有する。


がだれを指すのかまでは、わからねぇがな。水気に関してはお手上げだ。この山に水脈なんてごまんとあるしな」

「では瓏池ろうちにも……近づかないほうがいいでしょうか」

「念のため、な」


 霊水で満たされたかの池は、唯一愛した女性とのつながりの地。さびしくないと言えば、うそになる。

 表情を翳らせた黒皇へ、晴風はこころを鬼にして告げる。


「それと、具体的な占い結果も出てな。『千百十九』の数に『凶事あり』とのことだ」

「千百十九、なんて中途半端な……」


 と、そこではたと思考停止する黒皇。

 そうだ、たしかに中途半端な数だ。

 まるでように。

 そのが、黒皇にはわかった。わかってしまった。


「……失礼いたします。小慧たちをよろしくお願いします」


 口早に告げるなり、黒皇は漆黒の衣をひるがえした。

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