├騒乱を呼ぶ者

 レヴァンは焦っていた。

 文化祭が終わった直後に事情聴取の呼び出しを受けたからだ。

 このタイミングでの聴取となれば証拠固めがほぼ終わったのだろう。


「おのれ……下賤の血の獣人めが!」


 レヴァンの不幸はあの狼人の落ちこぼれと共に訪れた。

 最後のチャンスもあっさりと打ち砕かれ、レヴァンの破滅はもう決まった。


 彼とて実力で錬金術師になった身の上だ。

 いかに尊大で他者を見下す傾向があれど、現実が見えないほど愚かではない。

 

 錬金術師ギルドは犯罪行為が明白であるならば庇ってはくれない。

 ましてやレヴァンは本部に近い主流派とは違い、本部とは一定の距離を置く独立派の流れを汲む錬金術師だ。

 権力の中枢である本部からの援護は期待できないだろう。


「このまま終わるのか、私は」


 自分が捕まれば、指示を出しているリーブラ子爵夫人もただでは済まない。

 狙いが下賤の血であり、貴族生徒はできるだけ危機から遠ざけていたとしても、限度というものはある。

 死罪まではいかないだろうがどう考えても未来は暗い。


 いや、司法によって裁かれるだけならまだいい。

 散々失敗してリーブラ家に被害をもたらしたレヴァンが、始末されないと考えるのは甘いだろう。


「おのれ、おのれぇ!」


 手を組んだハーニッツ伯爵家も、警邏の動きを察知すればすぐさま縁を切るだろう。


「何か、何かないのか」


 上流の人間が集う外周5区のアパートメントの1室。

 こじんまりとはしているが、品の良い部屋の中。

 レヴァンは一息に飲み干した酒瓶を床に転がした。


 慣れない酒と怒りのせいで目の前が歪む。


「う、ぐ……」

「おや、大丈夫ですかな」


 椅子から立ち上がろうとして、ふらついたレヴァンを黒い法衣のような物を着たスキンヘッドの男が支えた。


「あ、あぁ……!? な、何者だ、貴様は」


 反応が遅れつつも、レヴァンは慌てて距離を取る。

 部屋に誰かを招き入れた覚えはなく、勝手に入ってきた気配もなかった。

 荒っぽい飲み方こそしたが、正気を失うほど酔ってはいない。


 スキンヘッドの男は強面の顔に不釣り合いな穏やかな笑みを浮かべ、慇懃に礼を取る。


「夜分遅くに失礼致します。ワタクシは源獣オリジンの従僕たる贖罪者がひとり。紫紺のハルファスと申します」

「……源獣教徒オリジンカルトか、どうやって入った? 私に何の用だ」

「そのような呼び方はやめて頂きたいのですが、まぁいいでしょう。手を組みませんかというお誘いですよ」

「なに?」


 スキンヘッドの男。

 源獣の従僕ハルファスは穏やかな態度を崩さずに言った。


「我々はこの街に大きな混乱を齎したいのです。騒乱は大きければ大きいほどいい」

「……私は別に騒乱など望んでいない」

「そうでしょうか? 大きな混乱が起これば、あなたの目的を達したうえでこの地を離れることも容易かと思いますが?」

「…………」

「駒は用意してありますが、あの学院は特に守りが堅くて入れなかったんですよ。あなたの協力があれば手駒を潜り込ませることも出来るかと」

「しかし……」

「何もしなければ、あなたは終わる。だからこそ悩んでおられたのでは?」

「…………ぐっ」


 何者かもわからない怪しげな人物、しかし妙に事情を把握している男の問いかけに、レヴァンはうまく言葉を返せなかった。

 実際問題、これ以上は自力ではどうしようもないのだ。

 リーブラ子爵夫人に救援を求めても切り捨てられるだけだろう。


 生き残る術は一刻も早くここから逃げ出すことだけ、それも今となっては容易ではない。


「……その駒というのは、どれだけ使える?」

「それなり……でしょうか。混乱を起こせるくらいの力はありますよ」

「いいだろう、乗ってやる」


 とうとうレヴァンは男の提案に頷いた。

 レヴァンには後がない、信用できないカルト集団だろうが、手を取るしかないのだ。

 利用するだけ利用して囮にしてしまえばいい。


 どれだけ甘い考えかわかっていても、彼はもうこの道しか選べない。

 いつの間にか、他の道は崩れてしまっていた。



 アルヴェリア外周5区の人気のない高台にて、ハルファスは整った街並みを睥睨していた。

 彼の背中に背の高い女性と、小柄な少年が声をかける。


「ハルファス様、準備は整いました」

「こちらもです」

「ご苦労さまですキャルト、リッシュ。中々上手くは運ばないものですね」

「まさかヘイル様が討たれてしまうとは、予想もしておりませんでした」

「最も寵愛を受け入れる器が大きかった彼が、まさかただの人間に討たれる日が来るとは。精霊ミカロルは簒奪者との争いで深手を負っていたはずなのですがね」


 今回の星竜祭に向けて、彼等もまた多くの犠牲を払いながら準備を進めてきた。

 贖罪者ヘイルによる精霊領域の侵食。街中に潜む不穏分子への支援と発破。

 用いるコストと人員を全て注ぎ込んでなお、決して思い通りにことは進んでいない。


 一番痛かったのは、最高戦力のひとりであるヘイルを失ったことだ。

 贖罪にもっとも熱心であり、実力も申し分なかった。


 惜しい同志を失ったと嘆息しながら、ハルファスは懐から小瓶を取り出して、部下ふたりに手渡した。


「これは?」

「まさか、始原の泥ルトゥム・オリジニスですか?」


 リッシュという少年は知らなかったようだが、キャルトは小瓶を見つめて恐怖とも興奮ともつかない様子でハルファスに尋ねる。


 小瓶の中には濃縮された漆黒の闇が入れられていた。

 瓶を動かしても揺れることなく、時折闇の向こうに薄っすらと銀河のようなものが映る。

 『始原の泥ルトゥム・オリジニス』、源獣教の人間がそう呼んでいる代物だ。


「はい。贖罪のため、我らが主が遺された力の一部。我らに罪人を狩る力を与えてくれるものです」

「身体に取り込めば、精霊の御力を得られるという……」

「資格がなければ魔物と成り果てるだけですが、寵愛を受ける資格があるならば色持ちの贖罪者に比肩する力を得られるでしょう。今回の戦いには決死の覚悟が必要です、最後の手段として渡しておきます」


 ハルファスの言葉を受けて、部下であるふたりの表情が引き締まる。

 彼等のもとには、更に黒いローブの人影が集まってくる。


 ハルファスの指示の元、街中に紛れ込んで騒動を起こし続けていた贖罪者たちだ。

 キャルトが小声で術を唱え、音を遮断する結界を張る。


 それを受けて、ハルファスは贖罪者たちに向けて語り始めた。


「この日に備えて、我々は幾重にも準備を重ねてきました。蛇の神の策略により、憎き星竜は月狼と争い傷を負っています。奪われた竜玉を探すため梟は各地に散っています。蛇の神を出し抜き、聖地へ踏み込めるとすれば今しかありません」


 聞き入る同志たちに向けて、ハルファスの演説は熱を帯びていく。


「かつて世界はあらゆる全てが満たされ、ヒトと精霊が仲睦まじく暮らす楽園でした。しかし星の神に唆された最初のヒトの裏切りにより楽園は滅びました。源獣の力を簒奪したヒトは神を僭称し、源獣亡きあとの世界を我が物としました」


 ハルファスが語るのは源獣教に伝わる聖書の一部分。

 世界の始まりを記した楽園の誕生と崩壊までの物語だ。

 もっとも古い神の一柱、隻眼の翁が贖罪のために書き記した書物と言われている。


「全ての人間は簒奪者の現し身として作られたもの。存在そのものが罪の証であり、我等も、彼等も清められなければならないのです」


 どんな人間よりも、あるいは神よりも壮大で清廉な目的。

 それを共有し、実行へと突き進む過程は人間に大きな高揚感をもたらす。

 元々は学問に近かった源獣教は、いつしか過激派たちによる世界浄化のための組織となった。


「聖典に記された"パンドラの匣"を手に入れ、その力を持って人間と神を消し去り、世界の浄化します。そして清らかなる世界を精霊へと返し……創造主たる源獣への贖罪を果たすのです」

「全ては贖罪のために!」

「全ては贖罪のために!!」


 組織の崩壊という憂き目にあってなお生き延び、志を繋ぎ、簒奪者でもある蛇の神と手を組んでまでここまできた。

 全てはこの日のためだった。


「近く訪れるであろう、きたるべき時に備えなさい」


 ハルファスの号令に従い、源獣の従僕たちは再び街中に潜伏する。

 蠢くものたちが闇の中に消えて息を潜めた。

 

 何事もなく月は沈んでいき、入れ替わるように朝日が昇る。

 そして、前夜祭がはじまった。

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