あっという間に夜が来て、寮の生徒たちは自分の部屋へと戻っていった。

 ぼくたちも割り当てられた部屋に帰る。


 外は真っ暗で、カーテンを開けると庭を見回りする兵士の灯りしか見えない。


「消灯決まってるの、めんどうだにゃ」

「慣れてないのが大きいと思う」


 そもそも獣人が夜に強いのと、普段この時間は404アパートに集まってだらだらしている事が多い。

 普人にとっては適切でも、獣人にとって20時就寝は早すぎる。


「探検もできなかったしにゃー」

「仕方ないのじゃ、兵士だらけの中を歩き回るわけにもいかんのじゃ」

「たくさん警備してたよね」

「ねー」


 まるで何かあったかのようなレベルで兵士がうろついているので、探検も出来なかった。

 それとなく見守っている護衛組からも、"どうか無用の外出は控えて頂きたく"とお願いされているし。

 立場上イエスマンにならざるをえない彼等が直訴してくるのは相当な出来事だ。


「ま、年明けて落ち着いてる時期にすればいいよ。友達のところへ遊びに来たで通じるし」

「それもそっかー」

「でもまだ全然眠くないし、どうするにゃ?」

「うーん……アリス、なにかない?」


 寝間着に着替えている最中にスフィに声をかけられた。

 おなかに貼り付けてあるポケットの中からトランプを取り出して、投げ渡す。


「ってもう寝間着に着替えてる」

「ぼくは寝るので、おやすみ」

「やっぱり疲れてたんじゃん!」


 スフィにツッコミを受けながらベッドに潜り込む。

 まだ身体を拭いてないけど、体力的にちょっと無理。


「音も明かりも気にしないでいいから、おやすみ……」

「わかったにゃ」

「よいしょ……寝るまで手繋いでてあげる」


 立ち上がったスフィがベッド脇まできて、ぼくに向かって手を伸ばす。

 赤ちゃん扱いだなと思いつつ断る理由もなくて、右手をそっと差し出した。

 手をつなぎながら目を閉じる、なんだかんだ言って安心するのは間違いない。



 そんな訳でいつもの時間スキップをしたわけだけど、ひとつだけ誤算があった。


「午後も結構寝てたんだった」

「んー……ん……」


 部屋は真っ暗、ランプの明かりも消えて4人も就寝中。

 隣で眠るスフィを起こさないようにベッドから降りる。


 変な時間に起きた挙げ句、完全に目が覚めてしまった。

 固まった身体をほぐしながらドアに向かい、ドアノブを掴む。


「ん……」


 スフィの寝息が止まるのが聞こえる。

 起こしちゃまずいか。


「ワラビ、お願い」

「ーーーー」


 風をまといながらふわりと姿を現したワラビが、ベッドの方まで音が届かないようにしてくれる。

 安心してドアノブを開けて廊下に出ると、聞いていたトイレを目指す。


 部屋と別々なのは不便だよなぁ、別に遠くないからいいんだけど。


「チュリリ」


 今度は頭の上にひんやりとした感触。

 人混みを嫌がって姿を消していたシラタマも実体化したらしい。

 よく知らない人間は「雪の精霊を触らせてほしい」ってうるさいから、今日はずっとカンテラの中で待機状態だったのだ。


 1階にあるトイレに入って用事を済ませる。

 流石にこの時間は薄暗くて怖いので、長居したくない。


「はぁ……」


 終わったら用意されている柔紙で拭いて、トイレの中にぽいっと投げ込む。

 王立学院は最新のスライム循環式で匂いも少ない。

 技術的にはもうちょっと頑張れば水洗もいけるかもしれないけど、上下水道の工事があるからまだ難しいか。


「ーーそれで、賊は」

「全て捕らえました」


 服を直している最中、壁の向こうから聞こえてきた声にピタリと止まる。

 トイレは立地上庭に近い位置にあって、壁もそこそこ厚い。


 当然、普通なら聞こえない。

 だけど夜の静寂とぼくの耳の良さが合わさって、壁一枚隔てた外の会話が聞こえてしまう。

 そして聞こえるとなれば気になるのが人情というもので、反射的に耳を壁の方に向けてしまった。


「他にも愚か者がいるかもしれん、警戒を怠るな。今宵の警備は殿下の指揮の下にあるのだ、ネズミ一匹通してはならん」

「ハッ!」


 会話内容から察するに、今日一日平穏だったのは警備がしっかりと仕事をしていたおかげみたいだ。

 こればかりは素直に感謝の念を抱きながら服を直す。

 おかげで今夜は安心して眠れます……っと。


 あくびを噛み殺しながら個室を出ると、ちょうどそのタイミングで人がトイレに入ってくるところだった。


「あ」

「うえ!?」


 ぼくを見るなり変なポーズをして変な声を出す、紛れもない変態がいた。


「変態?」

「ちがっ……!」


 ぼくの端的な言葉に涙目になったミリーが、反論しようとして言葉に詰まる。

 女装して女子トイレに入ってる時点で否定できまい。

 ……角度によってはぼくにも刺さるなコレ、今後この話題はやめておこう。


「し、仕方ないじゃん……女子の格好のまま男子寮のトイレまで行くほうがやばいよ……」

「まぁ、うん」


 年齢的にギリ許されるか許されないかってラインかな?


「うぅ……ごめんアリスちゃん、漏れそうだから、言い訳はあとでさせて……!」

「気にしないでいいよ」


 内股気味のミリーに苦笑しながら、水を出す魔道具が設置されている洗面台へ向かう。

 魔術で水を生み出すタイプだ、これだと少量なら下水はいらないんだよね。


「水すくねえ」


 問題はぼくの魔力が少なすぎてちょろちょろとしか出てこない点。

 使用者の魔力に左右されるのは欠陥だ。


 そういば、帝国で開発中だっていう魔石電池の新しい論文とかないんだろうか。

 むしろ祭りに乗じてこっちに来てたりしないのかな。

 あのでっかい錬金術師に紹介してって頼んだら案外いけたりして。

 魔石電池を実用化できれば、魔道具でやれることが一気に広がる。


 手紙でも書こうかなと振り返ると、ミリーが青ざめたまま入口で固まっていた。


「何してんの?」

「…………」


 声をかけると、首を左右に振られる。

 その横からぬっと口元を隠した女が顔を覗かせる。


「チッ、他にも生徒がいたのか」


 トイレの弱い光量のランプが反射して光るのは、細長い短剣の刃。

 それが向けられているのは、ちょうど女装男子の首元。


 ミリーお前…………でかした。


「運のない娘だ」

「あんたのこと?」

「……ふざけているのか? 随分と余裕だな」


 静かに殺気を向けてくる女、こっちを仕留めるつもりのようだ。


「でもまぁ、おかげで試せるーーフカヒレ」

「何をーーうわっ!?」


 女は突然地面から姿を現したサメに足を噛まれ、床の中に下半身を引きずり込まれる。


「せっかく作ったから実地でつかいたかった」

「え!? へ!? 何事!?」

「な、なんだ!? 何が!」


 懐から取り出すフリをしてポケットから出した呪符を構えて、魔力を通す。


意識を揺らす一撃ブレインシェイク


 起動句を唱えると呪符に刻まれた複雑怪奇な回路図が暗い光を帯びる。

 試験的に作った圧縮術式の呪符だ。

 伝導率の違うインクを使って刻印することで3つの術式を擬似的に重ねて、コンパクトに少し複雑な術を発動できるようにした。


 刻印に魔力を流す方法で起動する場合、魔力を満たすのは一瞬でも術は発動する。

 常時発動させる必要がある魔道具だと無理だけど、発動さえすればいいタイプの術ならこれでもいける。

 共同研究の中でそんな気づきを得られたのは収穫だった。


「アビッ」


 そんな訳で放たれた半透明の術がゆっくり飛んでいく。

 女の頭部に直撃すると、パァオンみたいな奇妙な音を立てて周囲に軽い衝撃波を生み出した。

 空間を振動させて、頭を銅鑼みたいにグワァァァンとさせる術だ。


 変な声を出した女は一瞬で白目を向き、その場にうなだれた。

 相手を昏倒させたりひるませるには十分な威力か。

 呪符を使えばぼくでもそれなりに魔術が使えるな、水の魔道具とこの一発で魔力切れ寸前になって吐きそうだけど。


「シャアアアー!」


 フカヒレが勝利の雄叫びをあげながら女の脚を噛んでビタンビタンと床に叩きつけている。


「た、たすか」

「何をなされているんですか……」

「うひゃあああ!?」


 ミリーが助かったと安堵したところで、すぐ後ろから聞こえた声に悲鳴をあげてトイレの中に転がり込んできた。

 学院のトイレは掃除が行き届いていてそんなに汚くはないけども。


 因みに声の主はヴィータだった。

 兵士の格好をしているので、そっちの方向で紛れ込んだようだ。

 女が「運のない娘だ」って言った時点で、既に女の背後に立って武器を構えていた。

 ぼくが何もしなければ、ヴィータによって仕留められていただろう。


「折角作ったのに使い道がなかったから……」

「不審者と出会った際はまず距離を取ってください……お怪我はありませんか?」

「無事、ぼくは」


 ミリーの尊厳はちょっとわからないけど、ひとまずぼくは無傷だ。

 賊の女は頭をかち割られずに済んだのだから感謝して欲しい。


「すぐに兵を呼びますので……その、この子を止めていただけますか?」

「フカヒレ、おいで」

「シャアー」


 ぼくの呼びかけに応えて、フカヒレは女をぽいっと床に転がしてから飛びついてくる。

 ヴィータはすぐに女を後ろ手に縛り上げ、大きく息を吸った。


「……申し訳ありません、耳を塞いでください」

「あ、うん」

「――誰か! 誰かいるか! 賊を捕らえた!」


 ぼくが耳をぺたんと寝かせるのを確認してから、ヴィータが声を張り上げる。

 すぐに足音がこっちに向かって近づいてくるのがわかった。


 やってきたのは女性兵士が数人。

 賊の状態に軽く引きながら抱えて引きずっていく。


「君にも事情を聞かせてもらう」

「いいけど……ぼくは巻き込まれただけだから大したことは知らない」

「すぐに終わるから、大人しくしなさい」


 ちょっと高圧的な女兵士の口調に、ヴィータがやきもきしはじめる気配を感じる。

 視線で制すると不承不承といった感じで止まってくれたけど、ここでは無関係な臨時の警備兵と臨時の宿泊生徒って関係なんだから気をつけて欲しい。

 今ならマレーンや王子様の気持ちがわかる。


 スフィはこういう視線で指示を出すとか、行動を抑制したりとかはまだ出来ないから、結局ぼくがやるしかないんだよな。


「君も事情を……」

「あ、あの……すいません、先に、トイレだけ……オネガイシマス」

「……手早く済ませるように」 


 許可を得たミリーが内股で駆け足という器用な移動法で個室に駆け込んだ。

 よく尊厳を破壊せずに我慢したなぁ……。

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