錬金術師の遺産

「は?」


 パパ(建前)役にハートランド伯爵が決まってから数日後、平穏に過ごしているぼくたちの元に妙な報せが届いた。

 リビングでみんなとおやつを食べている時に護衛のジルオがやってきたのだ。


「引き下がる様子がない……?」

「はい」


 聞かされたのは、ラウド王国側が追求をやめる気配がないこと。

 相手が色々準備している間にこっちも工作が終わり、今のぼくとスフィは伯爵の庶子という扱いになっている。

 ぼくたちの現状を調べる過程でその情報は相手も掴んでいるはずなんだけど……。


「まだ知らないだけじゃ?」

「先日最初の申立がありました。裁判所の方から該当の人物……つまりお嬢様がたはハートランド伯爵の子であるという返答が届いたはずなのですが、追求の準備を止める気配がないのです」


 予定と違ったせいかジルオも困惑しているようだ。

 というか裁判所とのやりとりを把握してるレベルで監視してるのか、完全に危険因子扱いじゃん。


「潜入させている者によると、どうやらおふたりそのものではなく何か別の目的があるようでして……」

「うーん……?」

「まさか正体がバレたにゃ?」


 思いついた可能性に険しい表情をするノーチェだけど、その心配は必要ない。


「それはない」

「ええ、その心配はいりません」

「なんでにゃ?」

「気づいたならなおさら引くから」

「そこまで抜けている人物ではありませんでしたよ、少なくとも暴走している方の周囲は」

「にゃ?」

「貴族だろうと確実に消されるのがわかってるのに、わざわざ突っ込んでこないよ」


 内情がどれくらい漏れているか次第だけど、気付いているならリスクの大きさに逃げを選ぶだろう。

 強引に狙うなら護衛組が危惧しているような、混乱を起こしてからの誘拐劇になる。


「今はお嬢様のご希望もあって密かに動いていますが、表立って騒ぎになるのであれば教会の全騎士団と竜騎士たちも総動員してお守りすることになります」

「らしいよ」

「ふにゃ……」


 現状の密かに動いている状況はぼくの希望とあっちの希望がマッチした結果だ。

 ぼくはできれば街で一般人として過ごす可能性は残したい。

 聖王国側は聖都アヴァロンに混乱を起こしたくないし、国の恥を晒したくないのだろう。


 ただしそれは「できることなら」というレベルの話だ。

 取られるくらいならなりふり構わなくなるのは、むしろ貴族側にいる人間の方がよく理解している。


 そもそもこっち陣営でも『消す』に票が大きく傾きつつあるし、気付いた気配が出ただけで何らかの事故に遭うだろう。

 しっぽ同盟のマスコットにいたっては朝夕2票の勢いで『消す』に投票しているので、精霊の監視の目もある可能性が高い。

 そういう意味で、まだ健在なことが気付いていない証明でもある。


「伯爵の庶子という厄ネタを承知で手を伸ばす何か……?」

「アリスが精霊さんに好かれるから?」

「どっちかというと、世間の評価的にそれはまだスフィの方だけど」


 因みにぼくの評価は未だに前のままである。

 カモフラージュが思った以上に強力に効いてしまったのと、前回の騒動で雪の精霊の実情を知った人たちの口が予想以上に固かった。

 シラタマが雪の精霊神だってことも、雪の精霊が家にいっぱい居ることも学院内ですらぜんっっっぜん広まっていない。

 おかげで評価は変わらず、愛子である姉のおこぼれにあずかる落ちこぼれ妹である。

 こっち側の人員どころかローディアスまで秘密を守る側に回ってくれるとは誤算過ぎたよね。

 

 そんなわけで思い当たる節なんて精霊関係くらいなんだけども。

 なんか……いまいちしっくりこない。

 周囲の愛子の扱いが雑すぎるだけで、本来は生きた核爆弾みたいな存在なわけだし。

 迫り方が強引すぎる。


「何かを村から持ち出したようなことを疑っているようなのですが……。心当たりはございますか?」

「……村の人にぜんぶとられちゃったから、何にも持っていけなかったもん」

「持ち出せたのはギリギリ服に使えるボロ布と、隠していた作業用のナイフとペンダントくらいだし」


 ちゃんと準備してたものを持ち出せていたら、序盤でもうちょっと楽が出来た。

 ノーチェたちと出会えたから結果オーライってことにしておくけどさ……。


「……だとすると、なにかの勘違いでここまで執着しているのでしょうか」

「そもそもおじいちゃんの持ち物でお金になりそうなのは全部村の連中がうばっていったしなぁ」


 ジルオから感じる怒りを押し殺すような音が隠しきれないほど大きくなってくる。

 村での境遇や扱いをあんまり細かく話すと見えないところで爆発しかねないな。

 

「でもおじさんたち、近くの町で捕まったんだよね?」

「流通違法物品の取引でね、錬金術師しか取り扱っちゃいけない品物も多かったから」


 おじいちゃんの死後、村人たちは奪い取った遺産を町で売ろうとして逮捕された。

 前にフォーリンゲンの錬金術師ギルドで聞いた話だ。


 当然だけど、危険なので錬金術師しか扱っちゃいけないと法で定められている素材や薬品も多い。

 このあたりは国際基準みたいなのがあるので、錬金術師ギルドを受け入れている国では共通となっている。

 違反すると結構重めの罪に問われる可能性が高い。


「それ、その錬金術師が亡くなったときはどうするのじゃ? 捨てるのじゃ?」

「普通は縁のある錬金術師……師弟関係とか友人とか、あとは近くのギルドに連絡して職員に立ち会ってもらう」


 錬金術師が亡くなった場合、本来は近隣の錬金術師ギルドに死亡報告をして、やってきた職員立ち会いのもとで遺産の整理をするのが通例である。

 おじいちゃんはそういう説明しないタイプじゃなかったし、村の連中が理解していなかったか欲をかいて高く売ろうとしたんだろう。

 実際それなりに手数料だったり手間だったりはかかるんだけど、基本的には判断や売買の難しいものも適切に処理して換金してくれるので必要なルールだ。


 たまーに騙すような悪いやつもいるけど……詐欺はどんな業界にもある。


「違法に売ろうとして罪になったならだけど。法律でおじいちゃんの遺産は全部没収されて、罰金として接収地の領主……つまりあの人たちの手元にいってるはずだよね?」

「……だとすると、ますます目的がわかりませんね」


 詳しい法律を思い出すのが面倒だけど、没収物は錬金術師ギルドで処理されて最終的に罰金として領主の元にいくはずだ。

 おじいちゃんの遺した物の中で貴族が狙うようなものなん……て……。


「……まさか」

「んゅ、アリスどうかした?」

「うーん、もしかしてだけど」


 求めているのが"所在が判明しているもの"じゃなくて、"どこにあるかわからないもの"だとすれば……ひとつだけある。

 価値のわかる人間には金貨の山よりも遥かに大きく見えるもの。


 おじいちゃん、『ワーゼル・ハウマスの研究手帳』だ。


「おじいちゃん……いや、第9階梯錬金術師の研究手帳なら、無理する価値はあるなと思って」

「……確かに。ラウド王国は現在錬金術に力を入れていますね。今回の訪問でも重鎮クラスが錬金術師ギルドへ足繁く訪問しているようです。最高位に近しい錬金術師の研究は喉から手が出るほどほしい代物でしょう」

「そんなに凄いものなのじゃ?」

「全部ぶちまけたら今聖都にきてる帝国のひとたちが直々に文句言いに来るくらい?」


 内容的には錬金術で絶賛躍進中の帝国の核となっているハウマスキューブの根幹だし。

 わかったからって簡単に再現できるものじゃないけど、帝国的には『お願いだから今はやめて』という心境になるだろう。


「あの四角いやつにゃ?」

「そう」

「じゃあ作れるアリスもやばいんじゃにゃいか?」

「実物を再現しただけ。こういうのは個人の技術で作れるかどうかより、量産体制を作れるかが重要」


 帝国のでっかい錬金術師が『帝国の至宝』なんて呼ばれているのは、ハウマスキューブを作ったことよりも、量産できるようにした功績が評価されているからだ。

 発表済みの論文から自力でその答えに辿り着いて、試行錯誤の末にその技術を確立させた手腕こそが帝国の至宝たらしめているのだ。

 多少の知識や技術があるからって真似できるようなことじゃないし、実物を個人で再現できること自体は国としてそこまで重要じゃない。

 そういう一般化はぼくの不得意な分野でもある。


「……おじいちゃんの手帳に書かれてたのは、その量産化のヒントだったのは確か」


 おそらく帝国の錬金術師がヒントを得たであろうおじいちゃんの論文。

 それを書いた時点よりも、手帳のほうが研究は進んでいた。

 知識があるからぼくは今のハウマスキューブの欠点や問題点を指摘できるし、たぶん改善方法についても口を出せる。


 内容はわかっていなくても、錬金術に興味ある国なら欲しがるのは必然かも。


「お嬢様、できればお答えいただきたいのですが……その研究手帳は実在するのですか? 存在しているのであれば我々としても看過出来ない代物なのですが……」


 諜報員であるジルオとしても無視できない内容みたいだ。

 そりゃ錬金術師ギルドの本部がある国の暗部にいる訳だし、気になるのも仕方ないか。


「手帳は存在しないよ」

「その割には随分と詳しいのじゃな?」

「正確に言えば研究手帳は"もう"存在しないよ、燃やして捨てたから」

「のじゃ!?」


 内容はすべてこの頭の中に入っている。

 ぼくに受け継ぐことはおじいちゃんもスフィも納得している。

 受け継ぎが終わった研究手帳なんてわざわざ残しておく訳がない。


 燃やして捨てたと聞いて全員の反応は複雑に分かれた。

 ちょっと寂しそうにするスフィと、ほっとした様子のジルオ。

 それから驚愕した表情を浮かべるシャオとフィリア。


「もったいないのじゃ! 凄い錬金術師の遺産なのじゃろう!?」

「まぁそうだけど、燃やしちゃったものはしかたないじゃん」

「はあ!?」


 ないものはないのだ、仕方ない。


「それを聞いて安心いたしました。相手の目的について、お聞きした話を念頭にもう少し調べてみましょう。その情報が共有されている場合、うかつに手を出すとあらぬところへ波及しかねませんので」

「よろしく」


 報告を終えたジルオが足早に家を後にする。

 そっか、『ワーゼル・ハウマスの研究手帳』を軸にすると話ががらっと変わってしまうのか。

 消す選択を取るとしても、『アルヴェリア貴族の私生児に手を出そうとしたバカの不審死』から、『第9階梯錬金術師の研究手帳を探していた貴族の不審死』になってしまうのだ。


「めんどくせえ……」


 厄介なことに、遺産狙いならぼくたちを手に入れようとすることはドンピシャなんだよね。

 何しろ錬金術師が『ハウマスの遺産』と呼び示すものがあるとするなら、ぼくたちのことにほかならないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る