├砂漠の狐

 本館での戦闘が終わって暫くして、内部に武装した警邏騎士団が乗り込んできた。


「おお、ご苦労さん」

「……カイン、なんでこんなところに?」


 警邏騎士団における一般人枠である衛兵を引き連れていた、隊長らしき男の騎士が賊を縛り上げるカインを見て呆れた声を出した。

 偶然なことに同じ騎士学校に通っていた同期であり、実家の爵位も同じということで仲良くなった友人であった。


「休暇中だよ、ちょっと巻き込まれてさ」

「そうか……それは災難だったな」

「ああ、まったくだ。それよりも随分と警邏の到着が早かったな、従業員の誰かが伝えにいったのか?」

「ああ、何人かの従業員と王立学院の教員が駆け込んできた。食堂にあった隠し通路から抜け出せたらしい。それで大慌てで出動してきたんだ」

「……隠し通路? あぁ、生徒さんたちは無事かい?」


 カインは頭に叩き込んだ見取り図の中になかった情報に一瞬戸惑いつつも、平静を装って最重要人物の安全を確認する。

 たとえ友人でも迂闊に情報を与えてはいけないのだ。


「獣人が6人、全員無事だよ。今は詰め所で保護している。雪の精霊の実物をはじめて見たと女どもが騒いでいたよ」

「へぇ、それはよかった。身体張った甲斐があったな」


 アルヴェリアの騎士ならば、弱きを見て助けるべく動くのは当然である。

 さしたる疑問も抱かず、警邏の隊長はカインが欲して止まない情報を出した。

 雪の精霊が同行しているのであれば間違いなくアリスだ。

 この世に雪の精霊を引き連れて人間の街を歩ける子供なんてふたりと居ない。


 安堵で力が抜けそうになりそうなのを気合で堪え、カインは気を失っている賊たちが運ばれるのを横目で見た。


 『砂漠の狐』は傭兵団とは名ばかりの盗賊まがいである。

 最近では東方に流れてきて悪さをしているという情報は得ていたが、まさかアヴァロンに入り込んでいるとは思わなかった。


「(マジでザルになっちまってんな)」


 姫聖下の行方不明を受けて、夜梟の精鋭たちが探索の任務を受けて国外に旅立っている。

 元々人数が潤沢とは言えない中で、本当のギリギリ最低限だけが残された。

 平常時であれば何とか回せていたものの、今回のような祭りと重なるともはや手が回らない。


「(姫聖下のことを知られる訳にもいかないからなぁ)」


 極秘任務を知っているのは派遣された人員をまとめる隊長格のみ。

 送られた文が順次届き、祭りの前にはある程度の人数が帰還する見込みではあったが、現状でザル状態なのはどうしようもない。


「(俺とジルオも抜けちまったし、あいつらの帰還まで持てばいいんだが)」


 今回極秘の護衛として抜擢されたカインとジルオは、両名ともに近衛から姫探索のため夜梟に移った人間である。

 ふたり揃って別任務で警戒網から抜けることになった時は、人員1名あたり6グループの監視を担当している同僚たちにすがりつかれたものだが……世の中には優先順位というものがある。


「それでカイン、休暇中にすまないが……事情を聞きたいから詰め所の方に来てもらえるか?」

「ああ、いいとも」


 騎士に声をかけられて、カインはちょうどいいと衛兵に案内されて本館を出ていく。

 詰め所の中とはいえ長時間護衛から外れていいわけでもない。

 宿泊棟に向かう衛兵たちの背中を見送りながら、カインは内心でそっとエールを送った。


「(そっちは頼むぜヴィータ)」



 アクアルーン宿泊棟1階では犯罪集団と警備部隊の戦いが起こっていた。

 片方は西方からやってきた復讐者と、それに雇われた傭兵団『砂漠の狐』。

 もう片方はといえば、支配人率いる警備部隊。


「いつまでかかっているんだ! 一刻も早く賊を倒せ無能ども!」


 1階の最奥にある特別室の手前では、支配人1人と10人を超える復讐者たちがにらみ合っていた。

 周囲には砂漠の狐が使役する狼の遺体が2頭分、支配人によって斬られた固体だった。

 宿泊棟に控えている警備部隊は他の客を守らせるため、通常客室のある2階へ行かせている。


 支配人が守る部屋には今、『ペトロ・ハーニッツ』という男が宿泊していた。


 彼はラウド王国南東部に領地を持つハーニッツ伯爵。現当主の姉の息子にあたる人物で……一言でいえば当主の甥である。

 非常に問題のある人物で、町を練り歩いて気に入った女性や使役されている魔獣を見付けては難癖をつけ手に入れる。

 そんな貴族からしても顔をしかめる愚行を繰り返していた。


 近隣の盗賊と繋がっているという噂もある。

 女性に恋人や夫が居る場合や魔獣の持ち主が素直に渡さない場合など、盗賊をけしかけて命を奪うことすらあった。

 しかも最悪なことに現当主が姉に頭が上がらず、甥の愚行を見逃し庇う始末。


 そういった行動が祟り、彼は当然のように被害者たちから命を狙われていた。

 武器を持って特別室の前に押し寄せているのはペトロに大事な人を奪われ、故郷を追われることになった者たちだ。

 

「私はハーニッツ伯爵家の者なんだぞ! 命をかけて私を守れぇ!」

「………………」


 背後から聞こえる罵声を受けて、最前線で長剣を手に襲撃者を説得していた支配人が深い溜め息を吐いた。

 凍死寸前の猿の魔獣を連れていった際、ペトロは予定していた食堂にすらいかず襲撃が起こるまで支配人を呼び止め罵っていたのだ。

 忍耐強い彼だからこそ耐えきれたが、精神的にはかなり疲弊している。


「バルザさんどいてくれよ! あんただってそいつに奥さんを殺されたんだろう!? どうしてそんなやつを庇うんだ!」

「…………それが、私がこの街で任された仕事だからだ」


 アクアルーンの支配人の『バルザ』もまた、ペトロの被害者だった。

 幼い娘を連れて市場で買い物をしている途中、ペトロに見初められて力ずくで連れ去られたのだ。娘は近くに居た知人が側に居て連れてきてくれたが、妻はそのまま行方不明になる。

 何度も足を運び、時に門の前で頭を垂れて妻を返してくれと願い続けた。

 妻は半年後、裏町の森の中にて変わり果てた姿で見つかった。

 ペトロが脅しに使っている盗賊の一派に慰み者にされたようで、拷問された後もあった。


 バルザは怒りのままに盗賊を討ち、殺人の罪で囚われそうになった。

 盗賊と繋がっていたペトロの怒りに触れた彼だったが、同情した人達によって娘とともに故郷を逃されることになる。

 伯爵の手を逃れるために危険な山脈を越え、旅の途中で野盗の襲撃を受けていた錬金術師に助太刀した。

 

 助けた錬金術師は貴族であったが、好人物でバルザの旅の理由に同情し、アルヴェリアの首都で仕事と新しい身分を与えてくれた。

 そうして、ペトロの手が届かない場所で穏やかな生活を取り戻している最中だったのだ。


「私はお客様を守らなければならない」


 それが腸が煮え繰り返る相手でも、今でも悪夢を見る憎しみの対象であっても。

 あれほど踏みにじった自分のことをケロリと忘れ、当たり前のように他国で横暴を振りまく相手でも。

 全ての感情を飲み下し、バルザは歯を食いしばって復讐者の前に立ちはだかる。


 "受けた信頼を絶対に裏切らない"という彼の中の矜持によるもの。

 愚かだ間抜けだと言われてもなお、貫き通した真面目さ。

 流れ者の異国人でありながら居住権を与えられ、積み上げた信頼で大きな施設の雇われ支配人を任されるに至ったのはそれがあったからだ。


「私が、娘がこの土地で生きていくために、私は私の職責を果たさなければならない」


 何よりも守るべき娘が残っている。感情に任せて全てを捨て去ることはできなかった。

 バルザは静かな怒りを拳に込めて、右手の剣を同郷の復讐者たちに向ける。

 部屋にあった飾りの剣だ、ないよりはマシと言う程度のもの。

 だがバルザとて以前はCランクの冒険者、たとえ徒手空拳でも武器を持っただけの素人に負けるつもりはなかった。


「アンタには失望した……アンタなら力を貸してくれると思ったのに!」

「……失望したのは、こちらの方だ」


 吠えたのは襲撃者の中に居る若い青年。数年前に婚約者をペトロによって奪われた被害者だ。

 いわれなき罪で故郷の村を追い出されて、流浪の果てにアルヴェリアに流れ着いた。

 他にも同じようにこの地に流れ着き、バルザから仕事を貰った者たちもいる。


 同じ故郷、同じ被害者だからと甘く対応したのが失敗だった。

 彼等が今回の凶行を手引したのだ、バルザもタダでは済まないだろう。


「復讐に逸るだけでなく、盗賊どもまで引き込むとは」

「仕方ないだろう、俺たちには力がなかったんだ!」


 襲撃のために雇った砂漠の狐の団員たちは、指示を無視して2階に居る宿泊客を襲いにいってしまった。

 本来ならば食堂を制圧し、ペトロ一行を薬で眠らせて夜のうちに密かに連れ出す心づもりだったのだ。

 宿泊予定は今日までだ、我儘なペトロは夜のうちに居なくなってしまえば周囲も「いつもの癇癪か」と思うだろう。

 上手く行けばアルヴェリアの騎士団に事態を把握される前に国外に脱出できたはずだった。

 それが魔獣の騒動でペトロが食堂にくる予定がなくなり、外に運び出したペトロたちを押さえる役回りだった傭兵団も引き込んでの強硬策に出るしか無くなってしまう。


 哀れな復讐者たちは、今となってはただの武装強盗犯でしかない。

 こんな計画に加担してくれるまともな強者など居なかったのだ。

 ならず者を頼ったのは間違いだったと後悔しても遅い、彼等は既に引き下がれ無いのだ。


「せめて捕らわれる前に、あの男を討つ!」

「ウオオオオ!」

「何をしておるのだ! 殺せ! 賊どもを私に近づけるなぁ!」


 やり取りが聞こえているせいか、また聞こえてくる醜い声にバルザは頭痛を覚えた。


 そもそもが平民用の施設になどこなければ、接点など持たなければ彼等の復讐心を刺激することなんてなかったのだ。


 叔父であるハーニッツ伯爵についてたびたびアルヴェリアに来た際に、ペトロはこの施設がいたく気に入ったようだった。

 その理由が貴族たちの住む中央セントラルではペトロが最も格下になってしまうが、ここなら設備として十分な上に威張り散らせるから……というものだから救えない。

 他国でも変わらない態度がスタッフとして必死に我慢していた彼等を爆発させてしまったのだ。


 もう黙っていてほしいと願いながら剣を構えたバルザの視線は、気配に引っ張られて男たちの背後に向かう。

 ひとりは左目を隠す眼帯をつけて、砂漠の民の布を頭に巻き付けた男。もうひとりはそれに付き従う、目算で3メートル近い体躯の背丈の覆面の男。


半巨人族デミギガント……?」


「いつまでもたついてんだ雇い主さんよ。略奪が終わり次第逃げる予定なんだが、しっかりしてくれよ」

「略奪はしないでくれと何度も頼んだだろう!」

「うるせぇな、略奪は正当な権利だろうが。こっちはよぉ、はした金で危ねえ橋渡ってやってるんだ、文句言うんじゃねぇ」


 アルヴェリアは基本的には平和な街だ、浮浪者が集まる場所にさえ近付かなければ護衛もいらない程度には。

 そのためかペトロの傍には最低限の従者しかおらず、戦闘においては頼りにならない。

 ここでバルザが止めるしか手はなかった。


「クッ……」

「まぁなんだ、あまり暴れすぎるとやべぇ奴らが動くだろうからな同意はしたがよ。半獣のガキどもが居るなら話は別だ。いま西の方じゃ半獣の需要が高くてなぁ、特に犬科のメスは高く売れんだ。折角のボーナスタイムを邪魔しないでくれや」

「……下衆が」


 西側では昨今の光神教会の煽りもあって再燃しているが、獣人蔑視自体はもとから少なくなかった。

 中でも砂漠の民は水源を巡り、西北部の乾燥地帯の獣人部族と争ってきた歴史を持つ。

 アルヴェリアで何年も暮らしてきたことで価値観が変わりつつあるバルザは、まるで動物扱いするような言動に不快感を覚えていた。


「俺は上の階に行く、おいネゲブ、そいつ潰しとけや」


 砂漠の狐の頭目の指示を受けて、覆面の巨体が拳を握りながらバルザへと無造作に近づいていく。


「(まずいか)」


 宿泊棟は広く作られており、半巨人の男でも十分に動けるだけのスペースがあった。

 正直復讐者たちだけなら何とでも出来た自信はあった。

 十分な装備があれば別だっただろうが、武器の差、相性の差というものはいかんともしがたい。


 一歩、また一歩と間合いが縮まる。

 半巨人の男ネゲブはメイスにも似た短めの武器を腰のベルトから外し、巨体に見合わぬスピードでバルザへと挑みかかった。

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