癇癪雪玉

「そもそもだけどさ」

「んゅ?」

「どうしたのじゃ?」

「ぼくたちが何か起こったと思わしき場所に行く必要なくない?」

 ざわつく館内にて、悲鳴の方向を気にするスフィたちを引き止める。

 そもそもだ、ぼくは衛兵でもなければ現場責任者でもない。

 不本意ながら小さな女の子になってしまっているけれど、名探偵を志望している訳でもない。

「必要なくない?」

「でも何があったか気になるのじゃ」

「それにもしノーチェとか、クラスのともだちだったら大変だよ?」

「……正論を」

 そこを言われると弱い。

 仕方なくスフィに手を引っ張られて、何があったのかを見に行くことになった。

 転んで思わず叫んじゃったとかそういうのだよ。

 見えてきた人だかりもほら、別の何かがあったんだって。

「あの、何かあったんですか?」

「何事なのじゃ?」

 集まっている人たちにスフィたちが物怖じせずに話しかける。

 答えてくれたのは男性用館内着姿の壮年男性だった。

「ん? あぁ、いや。私も来たばかりで何が何やら」

「ジョセフィーヌが見つかったのか!?」

 話を聞いている最中、人だかりの向こうから男の人の声が聞こえてきた。

 ていうかジョセフィーヌって、ペットに使われる名前だったような。

「誰かのペットでも逃げたの?」

「……そうみたいだね、外国人の男が喚いてるから君たちは近づかないほうがいいよ」

 鋭い目で人だかりの向こうを見ていた若い男性が、ぼくたちを振り返って言った。

 この人、見覚えがあるようなないような。

「ええい、早く探せ! 無能な平民どもめ! おぉ私のジョセフィーヌ……どこへいってしまったのだ」

 大声で怒鳴る男の声に、遠巻きにしていた上品そうな人たちが顔をしかめる。

「あれ……あ、なんでもない」

「んゅ?」

 愚かにもここってペット持込みできるのかって疑問を口にしかけた。

 答えは今もなお頭の上に堂々と鎮座している。

 いやペットではないけど、外から見るとそう判断されても不思議じゃないので。

「異国の貴族のようだな」

「なんと品の無い」

 小声で聞こえる文句からしても相手は外国からきた貴族のようだ。

「ここってどっちかというと平民の富裕層向けじゃないっけ?」

「そうなの?」

「うん」

 客層を貴族に絞るなら中央セントラル側につくるだろう。

 ここにいるのは平民の金持ちと、そんな大店から接待されてる下級貴族とかのはずだ。

 なんで外国の偉そうな貴族が平民向けの施設で威張り散らしているのか。

「どうやら御婦人が館内を走る獣に驚いて悲鳴をあげたようだね。獣が捕まるまでは慌ただしくなるかな。君たちもスタッフの案内に従って安全な場所に移動するようにして。くれぐれも気をつけてね」

「あ、うん」

「はぁい」

 近くにいた軽い雰囲気のお兄さんが『くれぐれも』の部分に異様に感情を込めて言ってきた。

 なんか……飄々として興味なさそうな表情の割に切実さが伝わるような音がしてる。

 取り敢えずぼくたちの出番でも関係者案件でもなかったようなので素直にその場を離れることにする。

「やっぱりトラブルが起こったのじゃ」

「ぼくに、なにも、いっさいの、関係がなくてよかった」

「アリス、気にしてたんだ……」

「関係がなくてよかった」

「もうわかったのじゃ、悪かったのじゃ」

 今回ばかりは無関係枠として大人しくしておこう、そうしよう。



 すぐにやってきたスタッフによって案内され、客たちは取り敢えず安全が確認された場所へ移動することになった。

 目撃者によると走ってきた小さな獣が足元をすり抜けて、2階へ続く階段を登りギフト店通りへと走って行ったのだとか。

 スタッフと警備兵で2階の出入り口を一時封鎖し、対象を追い込んで捕獲する作戦を取るらしい。

「貴様らそんな物々しい格好をしてジョセフィーヌをどうするつもりだ! もし傷ひとつでもつけたら承知せんぞ! 私はラウド王国に名高きハーニッツ伯爵家の者だぞ、平民などすぐに処刑できることを忘れるな!」

「…………わぁ」

 問題はわめいている貴族が妨害しまくりで混乱を招きそうなことだろうか。

「ささ君たちも早く、1階は大丈夫みたいだから。今ならお風呂も仮眠室も空いてるんじゃないかな」

「……うん」

「なんなのじゃこやつ」

 そして色々教えてくれた軽い雰囲気の男性がぼくたちをこの場から離そうとしている。

 中々強引な感じで、それがスフィとシャオの警戒心を強めてしまった。

 敵か味方かわからないのが何とも怖いところだけど、嫌な音はしない。

「ま、折角だしお風呂にもいってノーチェたちと合流しようよ」

「うーん、そうだね」

 この場に居て余計なトラブルに巻き込まれたら大変なので、スフィに手を引かれて通りを抜けてお風呂の並ぶエリアに向かう。

 お風呂エリアは当然だけど男女で分かれていて、引っ張られているぼくも自動的に女湯の方へと向かうことになった。

 ……いくらぼくがタフとはいえ、男湯に行きたがるとどんな反応をされるかくらいはわかっている。

 わかっている。

「あ、脱衣所あるんだ」

「さすがにね」

 水着になるために館内着を脱ぐための場所のようだ。

 ……また風呂に入るなら濡れてしめった水着を着ることになるんだろうか。

 あと濡れた水着の置き場所にも困るし、水着じゃなくて裸になるほうが着替えが楽な気がする。

 けどまぁ男女共用の露天エリアもあるようだし、水着着用は仕方ないのか。

 何とも利便性に欠けるなぁ。

「このロッカーつかおう」

「うん」

 スフィたちと並んでロッカーを選んで館内着を脱いで中にしまう。

 ふと目に入った先では、従者に着替えを手伝わせている女性の姿が目に入った。

 あぁそうか、利用客の大半は荷物持ちがいるんだ。

 着替えなんて何着でも従者に持たせておけっていうスタイルなのか。

 というかそもそも最初の更衣室で水着まで着る必要はなかったのでは?

 なんだか完全にプール感覚で行動してたわ。

 …………こういう時、詳しく知ってる友達が居ると助かるんだろうね。

「いこっか」

「うん」

 謎の敗北感に打ちのめされながら、ぼくはスフィと寄り添いながらお風呂エリアへ入るのだった。



 アクアルーンの浴室は大きな風呂が立ち並ぶ、とても広い空間だった。

 ところどころに花が植えられていたり橋がかけられていたり、まるで豪華な庭園だ。

 水の精霊が遊ぶ庭をイメージしたとパンフレットに書かれているだけはある。

「ノーチェたちは……」

「すんすん……あっち!」

 耳をそばだてて音を拾っている間に、鼻を鳴らしたスフィが広い空間の一部を指さした。

 この石鹸や薬湯の匂いが混ざる場所で匂いを一発探知とか、相変わらずスフィは凄い。

「くんくん……全然わからんのじゃ」

「薬湯と化粧の匂いしかしねぇ」

「んー? でもノーチェの匂いするよ、あっち」

 疑ってるわけじゃないので、素直にスフィに引っ張られて移動する。

 当然というべきか、円形の大きな風呂に浸かっているフィリアとノーチェの姿があった。

「ノーチェ、フィリア!」

「んにゃ? スフィたちもこっち来たにゃ?」

「うんっ」

 ほんわかした表情のノーチェがぼくたちを見て目をぱちくりさせた。

 最初の頃は嫌がっていたのに、今では普通に湯に浸かれるようになっているなぁ。

「それでさっきねー……」

「にゃんかあったのか?」

 外であった出来事を話し始めるスフィから少し離れて、ぼくも重力制御を解除してお湯の中に入る。

 お湯の中もお湯の中で温かい……。

「ここってペット連れてきていいにゃ?」

「契約した魔獣とか連れてくる人もいるんじゃないかな。……お湯に入れるのはダメだろうけど」

 魔術を用いて契約した魔獣は、普通の動物とは違ってある程度の意思疎通が出来る。

 躾なんかがきちんとしているのなら大丈夫なんじゃないかと思う。

 少なくともぼくたちやシラタマは咎められなかった。

 学院側の方で精霊連れてる子がいるくらいは申し送りしてるとは思うし、だから何も言われなかったんだろうけど。

「そういうもんにゃのか」

「まぁ事前に申し入れなんかは必要だとはおも……シラタマまってダメ」

 咄嗟に手を伸ばして、異様な煙を放つ白い結晶が湯に落ちる直前で受け止める。

「チ゛ュル゛ル゛ル゛ル゛……」

 やばい、岩盤浴室から室内お風呂という暑い空間の連続にシラタマがキレはじめてる。

「にゃ、にゃんだそれ!」

「アリスちゃん、それ素手で触って大丈夫なの!?」

「冷気の結晶、触ると血まで凍るから気をつけて……ぼくちょっと外でてくる」

 早くシラタマを宥めないとここのお風呂を全部氷風呂にされかねない。

 被害総額は想像もしたくない。

「お、おう……」

「ひとりでだいじょうぶ? スフィも行こうか?」

「露天風呂に居るから気が向いたらきて。ぼくはシラタマといっしょだから安心していい」

 もわもわと煙を出す冷気の結晶を抱えたままお湯から出て、外に繋がる扉へ向かう。

 この癇癪は久しぶりだなぁ。

 負い目もあってずっと我慢していたのが爆発しちゃったのかもしれない。

 家では手桶に専用の氷風呂作ってたけど、こっちでは出来ていなかったからなぁ。


 扉から外の露天エリアに出ると、人気のない場所のベンチに座って結晶を左手に持ち、シラタマを右手の手のひらに乗せて視線を合わせる。

「ごめんって言いたいけど、無理矢理ついてきたのはシラタマでしょ。スフィたちもいるから大丈夫だって」

「ヂュルルルル」

 それはそれとして一緒に居たかったと言われると弱いんだけど。

「露天風呂ならそんなに暑くないでしょ、ぼくもお湯に浸かっていれば寒くないしこっちでいい?」

「……ヂュルル」

「うん、怒ってないから大丈夫。これ消せる?」

 左手の結晶を見せると、煙を放つ結晶はみるみる内に空気に解けて消えていった。

 爆弾解除完了っと。

「そのうちスフィたちも来るだろうし、露天風呂も嫌いじゃないから」

「チュピピ」

「いいよ、ぼくもちょっと気遣いが足りなかった」

 肩に乗って頬に身体を擦り付けてくるシラタマに、ぼくも頬を押し付けて歩き出す。

 露天風呂も楽しみだ。

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