├閑話 吹雪の中で

 時は遡り、しっぽ同盟のクランハウスから大人たちが辞去した少しあと。

 元近衛騎士、現王立学院の教師であるフォレスは強くなる雪をかき分けて近くの住居へと辿り着いていた。


「フォレス、戻ったか……姫聖下はいかがされた?」

「ああ……ひとまず話はしたが……」

 フォレスを出迎えたのは壮年の男、片目に傷のある角刈りの巨漢。

 つい先程あった騒動の鎮圧にやってきた5人のひとりである。

「やはりというべきか、不信感は拭えなんだ」

「仕方あるまい……守れなかった者の言葉ほど軽い物はない」

 角刈りの巨漢は名前をギルダスという。

 領地を持たない中央貴族の子で、武の才を見込まれて近衛騎士になった男だ。

 事件の当時は1番隊でアリスとスフィの警護をしていたひとりであり、現在は第6隊の副隊長を務めている。

「おぉ、戻ったか」

 フォレスが家に入ると、家具もない薄暗い家屋の中には3人の姿がある。

 肩口までの髪の妙齢の女、長い髪を頭の後ろでまとめた男、ウェーブのかかった髪の細目の青年。

「それにしても……本当にご無事であらせられたとは」

「もしも嘘であれば殺してやろうと思っていたが、かつての同僚を手にかけずに済んでよかった」

 女が感情を吐露するように吐息混じりに呟いた言葉に乗って、長い髪の男が茶化すように椅子に背を預ける。

 彼等もまた元近衛騎士団で、当時の事件を知る数少ない者達。


 当時の事件はあまりに事態が重すぎるため、箝口令を敷かれて知るものは限られていた。

 目立たずすぐに動かせて、なおかつ信用がおけて戦闘にも優れた者……そんな条件で集められた者達だった。

「いやぁ、まさか雪の精霊神を味方につけておられるとは。流石は星竜の姫君というべきか……意外と悠々のご帰宅であったようだ」

「何を言っている! それでも決して平坦な道のりではなかったはずだ、特にアウルシェリス聖下はご幼少より随分とお身体が弱くあられた。幾度も優れた治療士が呼ばれ、ようやくお外に出られるようになった矢先だったのだぞ! 生きてこの地にお戻り下さった……その道すがらの艱難辛苦は想像を絶するものであろうに!」

「不敬だぞカイン、ヴィータも落ち着け」

 長い髪の男に一気にヒートアップする女を、ギルダスがため息混じりに止めた。

 バツの悪そうな顔をする男に対して、目尻に涙を浮かべた女は深く深呼吸をして心を調えた。

 全員が近衛の1番隊出身者ではあるが、事件の後で見てきた光景は違う。

「ヴィータはセレステラ妃を支えてきたのだ、言葉には気をつけろ」

「ああ……悪かったよ」

 古今東西、竜と人の結婚話はあれど種族の差から子供が出来ることは珍しい。

 血を受けて長い時を共有する中でひとり出来れば御の字という程度だ。

 竜と結婚するためには、人間の時間感覚での妊娠を諦めるに等しい覚悟が必要だった。

 元々が家族血族への情が強い銀狼族にとっては身を切るような思いなのもあってか、セレステラの我が子への愛情はそれはもう強いものだった。


 産まれた時から虚弱でいつ死ぬかわからない娘が、何度も死の淵に転がっていくのを繰り返し、何とか持ち直して落ち着き始めた矢先。

 意味もわからないなりに『マーマ』『パーパ』という言葉を真似できるようになったばかりの娘たちを奪われたのだ。

 まともに眠ることすら出来なくなった当時のセレステラの焦燥と狂乱ぶりは見る人々の心すら苦しくさせた。

 ここにいるヴィータも、そんな時期のセレステラを支えたひとりである。

「オウルノヴァ様もお喜びになるだろう。あとはいつ安全な貴族の館にお連れするかだが」

「そのことなんだが……難しいかもしれん」

 感傷にひたる面々を前に話を進めようとするギルダスを、フォレスが遮った。

「どういうことだ……?」

「我々はまだ信用を得られていない、警戒されてしまっている。何よりアウルシェリス聖下は束縛を嫌われるようだ」

 つい先程のやり取りを思い出しながら、フォレスは嘆息した。

 一体どういう教育をすればあんな育ち方をするのか不思議でしかないが、アリスは超越者然とした振る舞いが板についている。

「護衛の際に一度だけオウルノヴァ様からお声がけ頂いただろう。その時のことを思い出してしまった」

 思わず引き下がってしまったのは、彼女の理屈に納得した以上に雰囲気に気圧されたからだ。

「では……」

「方策を考え直した方が良いやもしれん。逃げられてしまえば元も子もあるまい」


 長い間の面会待ちを経てフォレスが近衛騎士団の長と面会できたのはほんの数日前。

 苦労しながら人払いをして貰い、情報を伝えた結果、急遽今回のメンバーが招集された。

 これ以上派手に人員を動かせば今まさに国の中にいる諸外国の者達に『何かあります』と告げているようなものだ。

 多数の精霊を味方につける彼女たちとまともな鬼ごっこが出来るとは思えなかった。

「確かに……本来ならば万が一もあってはならないお方だ。逃げられれば我々も簡単には追えなくなってしまうだろうな」

「そのお方が血の流れるような騒動に次から次へと巻き込まれてるのは何の冗談なんすかねぇ。ミカロルの街での源獣教の原色プライマリとの戦闘に、影潜みの蛇に関係する暗殺者とのごたごた、更には誘拐組織とドンパチ……。軽く調べただけでも一生に一度レベルの出来事ばかりなんですけど」

 ギルダスの言葉に黙っていた細目の男、ジルオが苦笑を浮かべながら口を開いた。

 彼は現在では夜梟騎士団にいるため、アリスという少女についてはこの場の誰より知っていた。

「……姫聖下は災難を招き寄せる性質をお持ちなのだろうか」

「うーん、どっちかというと他人の災難に巻き込まれるついでにその災難をねじ切っているように見えますが……まぁ結果は変わんないすね」

 ジルオが資料を見た限りでは、どちらかといえばアリスは安全圏にいることが多かった。

 自分から最前線に行っているように見えて、読んでいるだけでハラハラしたものだ。

「また騒動や災難に巻き込まれるくらいは想定しておいたほうがいいと思いますね」

「縁起でもないことを言うんじゃない、姫聖下の御身にこれ以上の不幸があってたまるものか!」

 ジルオとヴィータが言い合う横で、フォレスとギルダスは揺れる木窓へ目を向ける。

 強くなっていく吹雪は雪の精霊の怒り以上に、前途の多難さを現しているかのようだった。

「出来ることならオウルノヴァ様が星竜祭へ御降臨される日まで、何事もなくお過ごしになられてほしいものだが……」

「そうあってほしいと、心から願うよ」

 天候すら変えてしまう精霊の力を感じる強い寒さに身震いしながら、フォレスたちはこれからの苦労を覚悟するのだった。

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