鳥籠を厭う

「休学します」

 昼食での会合を終えたぼくは、その足でホランド先生の執務室に直行した。

 担任はウィルバート先生なんだけど、付きっきりで面倒を見てくれているのはホランド先生だ。

 どうしてもこっちを頼ってしまう。

 座っているホランド先生は以前痛めたっていう腰もすっかり良くなった様子で、静かな夜風のような気配をまとったままぼくを見やる。

「休学ですか……ふむ。嫌がらせを受けていると聞いていますが、その関連でしょうか?」

「そう、それ」

 ホランド先生に促されながらソファに座り、ふぅと息を吐きながら柔らかい背もたれに身体を預ける。

 本と紙の匂いで満ちたこの部屋はなんだか落ち着く。

「教師としては難しいところですが、距離を取るのは良い判断かもしれません。教員たちも対応に困っていましたから」

「……どっちが悪いかわからないって?」

「まさかここまでやり返すとは思わなかったようです。おかげで仲裁しにくいこと。古株の方たちは大人しすぎて錬金術師ギルドの推薦だということを忘れていたと嘆いておりました」

 どうにも錬金術師ギルドの前評判のせいで、ぼくの評価はずっと『大人しい子』に分類されていたようだ。周囲の物言いからして、今でもその分類から大きく外れてないように思える。

 錬金術師の先輩がたは学院でどれだけ大暴れしたんだか。

「やられっぱなしはしゃくだからね。でも、めんどくさくなってきたから、ほとぼりが冷めるまで逃げようかなと思い直した」

「そうですね……一般的に噂というものは距離を取ると薄れていくものですから。噂の動きを見る限り姉君やご友人に被害が向くことはないと考えて良いでしょう。君の突拍子もない反撃に注目が集まっていますし」

 ホランド先生は少し楽しそうに口元を緩めた。

 そういえば入学してから色々やらかしたけど、この人にも怒られた記憶がないな。

 おかげで何とか授業にもついていけている。

 噂についても知っているあたり、気にして調べてくれてはいたのだろう。

「それにしても……」

「?」

 一呼吸置いてから、ホランド先生が困ったようにぼくを見下ろす。

「アリスさんは不思議な子ですね」

「よく言われる」

 不思議ちゃんだの、独自枠だの。

 何故かしっぽ同盟の面々だけじゃなく、クラスメイトからも。

「いえ……普通はそこまでの力を持っているなら誇示しようとするものです。子供ならば余計に」

「そんな大層な力なんてもってないから」

「そうでしょうか、あなたならばもっと己を客観視できていると思っていますが」

 買いかぶりすぎだと言おうとしたところで、ホランド先生の瞳の奥に鋭い光を見てしまった。

 それ以上喋れなくなる。

「錬金術師たちにとって、あなたという存在の価値は途方もなく大きい。上手く利用すればもっと強力な庇護を受けることだって叶うでしょう。何より、己の才覚を知らしめていれば、このようなくだらない嫌がらせに興じるものたちはもっと少なかったでしょう」

「…………」

「しかし学院の中で、あなたは劣等生として振る舞いその評価を良しとしている。まるでわざと自分の"価値"を低く見せているかのようです」

「…………」

「本来ならあなたは仮宿を選ぶ立場だ。錬金術師ギルドがある限り、粗雑な扱いを受けることは決して無いでしょう」

「……わかってる」

――あなた達みたいな化け物から世界を守るために私たちがいるんです!

 なぜか、出来ることならずっと忘れていたかった一幕が頭をよぎった。

 このセリフを言ったのは誰だっけ、前世では似たような事を言われまくったから覚えていない。

 理由をつけてはいるけど……やっぱり前の記憶を引きずっているのが一番の原因かも。

「ふむ……ハウマス老師に何か言われていますか?」

「そういうわけじゃない」

 おじいちゃんの名誉のためにも否定しておく。

 物凄く慎重な人ではあったし、庇護を受けるべき相手をちゃんと選ぶようにと教えられている。

 もしも直に会えるならばグランドマスターや最上位の錬金術師への弟子入りを暗に勧められていた。

 なのに無視して庇護下に入らない道を選んでいるのは純粋にぼくの事情だ。

 研究者の下に入るという状況が、世界を害をもたらさないようにと白い部屋の中に閉じ込められていた日々を思い出してしまう。

 多くを与えられ、わがままを許されていたけれど……たくさんの自由を諦めなければいけなかった。

 あの頃に戻りたいとは思えない。

「……少々踏み込みすぎましたか。ウィルバート先生には私の方から伝えておきます、落ち着いたら直接相談してみても良いと思いますよ。彼は貴女の担任なのですから」

「善処する」

 ホランド先生はそれ以上突っ込んでくることはなく、休学の手続きをやると約束してくれた。

 簡単な打ち合わせを済ませてから必要な書類を書き終え、身体を伸ばす。

「……んー、こんなに休んで大丈夫なのかな」

「あなたに関しては体調のことも重々含められていますので、問題ないでしょう。入学時点で想定されていることですから。……良い結果に落ち着くことを祈っていますよ」

「そうなるといいんだけど……それじゃ、失礼します」

「ええ、帰り道にお気をつけて」

 挨拶をして執務室を後にする。ぼくはほっとしながら校舎を歩き出した。

 すっかり涼しくなった風が木々を揺らし、さざ波のような音をさせた。

 学校生活はぼくなりに楽しんでいたけれど、こんな形で途切れるのはちょっと寂しい。

「こっからは持久戦……かな」

 拗れ続けていつまでも解決出来ないでいるより、折れて鷹揚な態度を見せたほうが良い。

 相手にそう思わせることさえ出来れば、想定しうる中で一番穏やかな解決に行けそうな気がする。

 ノーチェたちからすればスッキリする解決ではないだろう……でも仕方ない。

「はぁ」

 それにしても、事情を知ってるらしいフォレス先生は一体いつまで中央に行ってるんだか。接触が殆どないから文句も言いづらい。

 あとでスフィたちと合流して話を伝えたら、気分転換にしばらく引きこもって研究に没頭しようと思った。



「居残り?」

「そうなの、せんせーがね、来週から休暇らしくて……」

 基本的な授業が全部終わったあと、スフィたちとの合流場所に向かうと暫くは授業後に居残りがすると伝えられた。

 自分の唐突すぎる報告を棚にあげて驚きそうになった。

 どうやら彼女たちの中でいま一番熱い講義の教師が来週から暫く休暇みたいで、いまのうちに単位が取れるよう特別に放課後の課外講義を行っているそうだ。

「応用戦技って講義にゃ。超たのしいにゃ」

「いまね、新しい必殺技の練習中なの! かんせいしたら見せてあげるね」

「うん……楽しみにしてる」

 目をキラキラさせながら剣を振る仕草を見せるスフィにそれ以上は突っ込めず頷く。

 応用戦技っていうと、たしか武技アーツを実戦で使ったり組み合わせたり、武技の習得を目指す授業だったっけ。

 男児が好きそうな授業だけど、こっちの女児も楽しんでいるらしい。

「終わりが夕方になっちゃうけど、アリスは待つ? ひとりでだいじょぶ?」

「帰りはひとりで行けるんだけど、暫く休学する予定だって伝えたくて」

「えぇ!?」

 驚くスフィたちに事情を話すと、最終的にはため息混じりながら納得はしてもらえた。

「なにかこう、がつんと一発でやり返す手ってにゃいのか……?」

「うーん……一応あるにはあるけど」

「あるの!?」

 詰め寄ってくるスフィを手でそっと抑えて、首を横に振る。

 あるには、ある。

 少し前に貴族組とした会話の中で思いついたものだ。

 簡単に言えばカウンター、敢えて相手の暴発を誘って証拠を押さえる。

 ただなぁ……。

 当然のように危険を伴うから、可能な限り避けたい手段だ。

「相手をわざと暴発させるのは……さすがにちょっと。というかこれ以上やり返すと本気で爆発しかねない」

「あ、やり返しすぎの自覚はあったんだ……」

 フィリアを無言で見つめると、長い耳がふにゃっと寝て視線をそらされた。

 いくらなんでも自覚くらいはあるわ。反省はしてないけど。

「やりすぎじゃないもん! アリスなにも悪くないのに!」

「スフィ、大丈夫だから落ち着いて」

「むぅぅぅぅ」

 このあたり、貴族というものに対する距離感の差なんだろうなぁ。

 学院という特殊な環境下で、誰も怪我してない子供のいたずら合戦レベルだから見逃されている。

 だけど、外でやったら最悪処刑もありうる所業だ。

「そういうわけでぼくは雲隠れするけど、もしもそっちに何かあったらすぐ教えて」

「わかったにゃ、お前も帰り道は気をつけるにゃ」

「チンピラごときに負ける気はないから大丈夫」

「……身体よわよわなのに、有言実行しそうって思えるのが不思議なのじゃ」

「……そうだね」

 フィリアとシャオを無言で見つめるとまた視線をそらされた。弱いからこそ一応身を守る手段は大量に準備してるのだ。

 そこらの雑魚に負けるつもりはない。

「シラタマちゃん、アリスのことぜったい守ってね?」

「チュリリリ」

 肩の上で任せろと反り返ってるシラタマだっているし。苦手なタイプが来ない限りはなんとかなる。

「あ、みんな、そろそろ課外講義はじまっちゃうよ!」

 そんなふうに話しているうちに、授業の時間がきてしまった。

「ほんとだ! じゃあお姉ちゃんたちいくから、アリスも帰り気をつけてね!」

「うん、みんな授業がんばって」

 激励しつつスフィにハグをしてから別れ、走っていくみんなの背中を見送った。

「……シラタマ、今日はゆっくり帰ろうか」

「チュピ」

 遠くなっていくみんなの背中に妙な寂しさを覚えつつ、ぼくは家路につくことになった。

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