氷穴の因縁
学院生活2学期目。
馴染むための1学期は十分に機能しているから、クラス内でのいじめみたいなのは今のところ発生していない。
権力勾配の影響で、"ある程度のいじめ"は避けられないと事前に言われていたけど、Dクラスにいる貴族や商家の子は愉快枠だったので完全に杞憂に終わっていた。
クラス内権力トップであるブルーローズ子爵家のマリークレアが「民を虐げるなんて地味なことしたくもありませんわ!」と言って、ぼく含めた地味な子たちの心を傷つけていたけれど、せいぜいがそのくらいだ。
平和で非常にありがたい。
■
王立学院の食堂はいつきても盛況だ。
人気のある席はすぐに埋まり、少し遅れてくるとすみっコの陰になっている席しか空いていない。
とはいえ密談するにはちょうどいいので、ぼくとスフィはふたりきりで奥側の陰になっている席で四角いパスタをつついていた。
「フォレス先生、まだもどってないんだって」
「何かあったのかな」
新しい学期がはじまって1週間、フォレス先生はまだ中央から戻っていないらしい。
マレーンが深く肩を落としながら教えてくれたとスフィが言った。
直接話せれば手っ取り早いんだけど、ぼくたちもおじいちゃんから「迂闊に話してはいけません」と言い含められているし、マレーンも衆目がある場所で詳しく話そうとするのは極力避けている。
もうひとり事情を知ってるフォレス先生に投げるのは、立場を考えれば正解だと思う。
クラス違いとは言え教師だ、ぼくたちが相談するのは不自然ではない。
問題はウィルバート先生と入れ替わりになる勢いで中央に行ったきり戻ってこないことだけだ。
「フィリアのお兄さんもね、いまとっても忙しいんだってルークが」
「そっちはぼくも聞いてる」
錬金術師経由ではあるけど、サーカス団の残党の自供を受けて調査が一気に進んだらしい。
きっかけは単純で、ザインバーグ子爵の分家にあたる親族が当主の座を狙って起こした事件だったそうだ。
光神教会にそそのかされるままゲドラを雇い入れ、ザインバーグ子爵を暗殺。毒を使って子爵夫人を暗殺し、その罪を子爵の愛人だったフィリアの母に被せようとした。
誤算だったのは2人の関係が驚くほど良好だったこと。毒に倒れながらも、意識を失う前にフィリア母子を逃がすよう命じた子爵夫人の英断が明暗を分けた。
それによってふたりは逃げ延び、捕らえて尋問している最中にうっかり逃げられ長男も狙われる……。
かなり無茶に見えるけど、事が起きたのは何しろ領主が亡くなったばかりという混乱の真っ最中だ。
本格的な調査が始まるまでに既成事実を積み重ねていれば、目論見通り乗っ取られていたかもしれない。
領主殺害の実行犯が捕まり、そこと繋がりのあるところから証言も出た。
フィリアのお兄さんはいまが踏ん張りどころだろう。
「シャオの件もフィリアの件もあとは待つだけ」
「そーだね」
「犯人逮捕が少しでもフィリアの慰めになるといいんだけど」
「うん」
テーブルの上のトマトソースのかかったパスタをスプーンでつつきながら、スフィが生返事をする。
「おとーさんとおかーさんかぁ」
「……実感が湧かないよね」
何となく手の届く位置まで迫っている気はする。本気で探せば案外あっさり見つかるのかもしれない。
どんな人なんだろう、ぼくたちに対してどんな考えを持っているんだろう。
前世の記憶のおかげで罵声も拒絶もぼくは慣れてる。でも親を恋しがってるスフィがそれを受けたら……そう考えると積極的に探す気にはなれないままだ。
向こうの方から見付けてくれたらいいのにと、最近は益体もないことを考える。
「頭をなでたり、抱っこしたり、してくれるかな」
「…………」
スフィのつぶやきに答える言葉が見つからなくて、スプーンですくいあげたパスタを口に運ぶ。
美味しいはずのパスタが、今日に限ってはなんだか味気ない。
■
手を繋いで廊下を歩いていると、窓から運動場の前で人だかりが出来ているのが見えた。
「なんだろ……?」
「んー」
耳を動かして音を拾ってみるけど、流石にこの距離だと正確な会話を拾うのは難しい。
「見に行ってみる?」
「そうしよっかー」
ぼくは午後の授業はあまり取っていないし、スフィも今日は暇している。
気分転換に野次馬してみることを決めて運動場へ出ていく。
近づいていくと見知った後ろ姿があった。スフィのクラスメイトのルークだ。
「ルーク、何してるの?」
「ん? スフィたちじゃないか。後期の試験を受けている子がいるんだ」
「……この時期に?」
王立学院の入学試験は通常は7月と12月、今年は星竜祭があるので1ヶ月ずれて行われているはず。
暦の上ではまだ10月前、試験には少々早い気がする。
「もともと去年の試験に合格はしていたけれど、病で一度見送ったから特例だそうだ。一時期話題になったよ」
「もしかして有名な話?」
随分詳しいなと思ったところで、貴族方面で有名な子なのかもしれないと思い至った。
「あぁ、火熱病という病にかかってあわやというところで、姉君が治療薬となる希少な薬草を未踏破領域から持ち帰ったとか。元から優れた魔術師という評判はあったから社交界では随分話題になっていたよ」
「……へぇ」
「……?」
隣でスフィが首を傾げる。ぼくもなんか微妙に記憶に引っかかる話だった。
「因みにその子、名前なんていうの?」
「珍しいな、興味があるのかい? エレオノーラ嬢だよ。フィルマ伯爵家の御令嬢だ」
「――!!」
フィルマ伯爵家という単語を聞いてスフィが強く手を握りしめっていたいいたい。
「おねえちゃんいたい」
「あっ、ごめんねアリス、だいじょうぶ?」
握りつぶされるかと思った。慌てるスフィをなだめながら小さく息を吐く。
それにしても、まさかここで『フィルマ伯爵家』と接点が生まれることになろうとは。
もちろんあいつ……正確にはお付きの騎士だけど、やられた事は忘れていない。ぼくが居たから死ななかったのだ、普通ならほぼ確実に詰んでいる。
仕返ししてやりたいところだけど残念ながら証拠がない。
荷物なんてとっくに処分されてるだろうし、権力でゴリ押しされたら潰されないまでも事態がややこしくなるのは請け合いだ。
とはいえ忘れもしないあの女騎士には、スフィを悲しませたぶん一度ぎゃふんと言わせてやりたい。
そう、あの……あの、えっと……えー……忘れもしないあの女騎士にはだ。
「……スフィのそんな険しい顔はじめて見たな、何かあったのかい?」
「んー……!」
しっぽを水平に持ちあげてご機嫌ななめのスフィを見て、ルークが驚いた様子を見せた。
比較的年齢の近い子たちと遊んだり勉強ができる環境はスフィも楽しんでいるみたいで、あからさまに機嫌が悪くなっている姿はここ最近殆ど見たことが無い。
驚いているルークにどう説明しようか悩んで。
「ちょっと、フィルマ家の女騎士に永久氷穴で追い剥ぎされて殺されかけただけ」
「なるほど……それは思うところがあってもおかしくないな」
出来るだけさらっと言うと、ルークは確かにそれなら怒っても仕方がないと頷いた。
やっぱり貴族の権力の強さを考えると、平民相手にはこのくらいやってもいいって考えが主流なのだろうか。
「…………? ん? え、はあ!?」
口の中でぶつぶつと受け取った情報を反芻していた様子のルークが突然不思議そうに顔をあげて、首を傾げて、ぼくらを見下ろして素っ頓狂な声をあげた。
「主家を守るために騎士ならそのくらいしたりす」
「する訳無いだろう! 名高き国の騎士道をなんだと思っているんだ!」
どうやらあの女騎士のやらかしたことは、他の貴族から見てもだいぶ良くないことだったらしい。
上手く話を持っていけばあいつだけでも処罰できるかもしれない。そうすればぼくだけじゃなくスフィやノーチェの溜飲も下がるだろう。
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