├ピエロ・ザ・ジョイ3

「ギャハハハハ!」


 牢屋エリアを通り抜けた途端、通路の先で待ち構えていたピエロが4人を襲う。


「出やがったにゃ!」

「いやあああ!」

「のじゃあああ!」


 即座に警戒態勢に入る4人だが最初の相対時と比べて腰が引けてしまっている。


 悪意の塊に狙われることの意味をほんの数秒前に散々見せつけられたばかりだ。無理もなかった。


「どの仔にし、よ、う、か、なぁ!」


 おどけた様子で手を伸ばし、口ずさむリズムに合わせてひとりずつ指をさす。


 振り子のように大袈裟に揺れていた指先が、ちょうどシャオのところで止まった。


「狐のおちびちゃん! 君は実によさそうだぁ!」

「いやなのじゃあああ!?」

「ちょっ! シャオちゃん!?」


 耳としっぽの毛を逆立て、シャオは慌ててフィリアの背中に隠れる。咄嗟に盾にされたフィリアの表情が盛大に引きつった。


 カラフルなゴムボールをジャグリングしながら近づいてくるピエロ。


 シャルラートが少女たちを庇うように前へと泳ぎ出た。


『そういう魂胆か、下郎』

「守ってみなよぉ!」


 投げつけられたゴムボールを、シャルラートは水の刃で迎撃した。


 細く鋭く放たれた水は外皮のゴムごと中の錆びた金具を粉砕。


 ピエロは攻撃を撃ち落とされたことも気に留めず、ズボンのポケットからボールを取り出しては投げる行動を繰り返す。


「ヒャハハハハ!」

「どうするにゃ、これ!」

「むぅぅ!」


 死が飛び交う戦場を前に、スフィたちは手をこまねくしか出来ないでいた。


 ピエロの攻撃よりも危険なのはシャルラートの攻撃だ、出現した水球が弾ける度に地面を抉り肉を裂く水圧の水鉄砲が放たれる。


 掠っただけで致命傷になりかねない攻撃は少女たちにとっても危険だった。


『一度弾き飛ばす、駆け抜けよ』

「わかったにゃ! フィリア、シャオ!」

「あ、あしがふるえるのじゃ」

「シャオちゃん背中つかまって! いくよ!」


 シャルラートの言葉を聞いて、震えるシャオを背負ってフィリアが走る準備をする。


「ヒャハア!」


 大量の水がピエロを襲い、ズタズタに引き裂きながら壁に叩きつける。


『行け、世界の層が薄い場所ならば早く目覚めることが出来るやもしれん』

「いくにゃ!」

「フィリアはまんなか!」

「うんっ!」


 ノーチェを先頭に最後尾にスフィがつき、フィリアとシャオを間に挟む陣形で4人は駆け出す。


 壁にぶちまけられたようになっているピエロを青ざめた顔で見ながら、少女たちは通路の更に奥へと進んでいった。



「姉ちゃん! 姉ちゃん! しっかりしろ!」

「いい、から、逃げ……」


 血と錆と悪意が満ちた夢の世界にもう一組の少女たちがいた。


 サーカス『幻想の夜』に囚われていた獅子人の姉妹、エルナとリオーネ。


 勝手に外に出たこと、外部の人間に話を伝えたことの"ペナルティ"により手足を奪われ腹を割かれたエルナ。


 あちこちに負った傷で血に塗れながらも、リオーネは瀕死の姉の腹部を押さえている。


 夢の世界に入った時に、ピエロから言われたことだ。


『ペナルティだ、これからそいつは夢に入ればもうその状態だ! 死なせたくないよなぁ、じゃあ腹の中身が飛び出ないようにちゃんと押さえとかないとねぇ!』


 夢の世界にリオーネが来るのを今か今かと待ち構えていたピエロは、悪意を隠そうともしない笑顔で死にかけのエルナを指さして言った。


 悲鳴をあげながら手で姉の腹部の傷を押さえるリオーネを散々いたぶったピエロは、何かに気づいた様子で去っていった。


 しかし状況が好転したわけではない。傷の痛みを堪えながら、再びピエロが現れる恐怖に耐えてリオーネはエルナに声をかけ続ける。


「姉ちゃん、しっかりしろ! 朝までがんばれ!」

「も、う……私の、ことは、い……」


 夢の世界で負った傷は反映されない、しかし死は反映される。


 痛みと恐怖に負けて見捨てれば、もう二度とエルナは帰ってこない。


 サーカス団はあちこちで獣人を集めていて、少し前まではもう少し人数がいた。


 いなくなってしまった子たちは、夢の世界で命を奪われた子だ。


 中にはリオーネの目の前で惨殺された子もいる。


「嫌だ、もうこんなの!」

「リオ……ネ……おね……が」


 経験上、眠りによって夢の世界に留まる時間は限界がある。


 自分たちを捕らえていたサーカス団は壊滅したと言われた、呪術の専門家が総力をあげて解呪の方法を探してくれるという。


 朝まで凌げば生き残れる可能性がある、その希望だけを頼りにリオーネは耐え続けていた。


 何をしているのかはわからないが、あの悪意の塊のようなピエロのことだ。


 哀れに悲鳴をあげて命乞いをすれば、自分をいたぶることに夢中になるだろう。


 どれだけ助けを求めても応えてくれる人間なんていない、それは旅の中で十分に思い知らされている。


 自分が頑張らないといけないのだと、リオーネは悲壮な覚悟を決めた。


「ここっ、て!?」

「あの娘……」

「!?」


 リオーネたちがいたのは、目が覚めた時に居た拷問室のような部屋の中。


 奥につながる暗い通路の向こうから突然飛び込んできたのは幼い獣人の少女たち、しっぽ同盟の面々だ。


『貴様っ』

「ヒョホー! ちょうどいい!」


 少女たちの背後から、地面や壁を跳ねるように部屋に戻ってきたピエロにリオーネは思わず悲鳴をあげかけた。


 何故か3頭身程度に身体が縮んでいるが、凶悪な面相はそのままだ。


「オラッ! どけ!」

「ぎっ! い、いやっ!」


 ピエロはリオーネの無防備な二の腕に錆びたナイフを突き立て、力尽くでエルナから引き剥がす。


 止血するための圧力を失った腹部、その真一文字の傷から再び血が溢れ出す。


「姉ちゃん!」

「ヒヒヒ、いい壁があったなぁ!」


 エルナに手を伸ばすリオーネを盾にしながら、ピエロは笑い声をあげた。


 地面を這うように肉片が集まり、ピエロの身体が少しずつ復活していく。


『儂に対してそんなものが盾になると思うか』

「そうだなぁ! でも目の前でこいつをバラバラにしたらお前の大事なチビ狐がどう思うかなぁ!」

『……』

「いくら僕でもお前の攻撃を受け続けるとちっと良くないからなぁ! ヒヒヒ」


 先ほどと比べてややサイズの縮んだシャルラートが、ピエロの言葉に黙り込む。


 一瞬にして作り出された膠着状態の中、ピエロの体がどんどん再生して元の長身へと戻る。


「おかげで助かったよぉ」

「あぐっ……うぅ!」


 リオーネの首を腕で締めながら、ナイフで肌に傷をつける。


「姉……ちゃ……」


 涙で頬を濡らしながら姉へと必死に手を伸ばすリオーネを気にも留めず、ピエロは笑う。


「さぁてショーの仕切り直しだぁ!」

「こんにゃろ……」

「うぅ……」


 エルナの命が零れ落ちていく、全員わかっているのに誰も動けない。


 緊張感の中で時間だけが無為に過ぎていく。


「姉ちゃん……誰か、誰か……助けて」

「ヒャハハ! 助けなんてこねぇよ! ここは僕の、僕のための悪夢の――」


 影が舞った。


 ノーチェたちのやって来た方角から走ってきた小さな人影が、少女たちの頭上を飛び越えてピエロの顔面を蹴り飛ばした。


「ぶヘグッ!? い……いってええええええ!!」


 鼻血を出しながら・・・・・・・・ピエロは真後ろに倒れ、顔を押さえてのたうち回る。


 人影は着地した後、立ち上がりながら解放されたリオーネを抱きとめた。


「ぁ……」

「えっ!?」

「――助けに来た」


 右手を振れば、倒れているエルナの腹部の傷を氷が覆って止血する。


 どこか落ち着いた雰囲気をまとった、癖のある灰色髪の狼人の少年だった。


 グレートーンのジャケットにシャツと半ズボン、アルヴェリアでは見ないスタイルの服装と靴。


 青い炎を灯すカンテラをくくりつけた毛量の多い灰色の尻尾を不機嫌そうに持ち上げて、少年は右手に氷の杖を作って顔を押さえるピエロに突きつける。


「覚悟しろ、クソピエロ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る