├ピエロ・ザ・ジョイ2

 サーカスを模した巨大テントの中には、悪夢のような光景が広がっていた。


 天井からは無数の麻袋が吊り下げられていて、赤い液体が染み出す。


 床に敷かれた斑模様に赤い絨毯の上をノーチェたちは転がる肉片を踏まないように走る。


「ア……ァ」

「また居るにゃ!」


 走っても走っても出口が見えない通路の中、地面に倒れていた人だった物が起き上がる。


「なんか、幽霊船の時みたい!」

『呪いで命を奪った者を利用しておるのじゃろう。あの演劇一座の団員も違う呪詛で縛っておったようじゃし、人間は数を揃えやすいからのう。人由来の者達は抵抗がないようでよく使っておるな。儂らは人間のような忌まわしいもの、側になんぞ置きとうないが』


 肩から上が崩れてなくなっている包帯まみれの屍は、動きだす前にシャルラートの放つ水の刃で両断される。


 再生能力はないようで、一度破壊された屍はそのまま沈黙した。


「シャルラート、なんぞ少し縮んでおらぬか?」

『持ち込めた力はさほど多くはない、消耗戦は不利じゃろうな』


 出現した時より一回り小さくなっている事に気づいたシャオの言葉に、シャルラートは至って平静な様子で答える。


「あの怖いの、また来たりしないかな……」

『来るじゃろう、テラのモノの故郷への執着は強い』


 不安がるフィリアに向かって穏やかに伝えながら前に出て、進む先の様子を伺うシャルラート。


 何か言おうか悩んでいた様子のスフィが、手を上げてその背中に声をかけた。


「あのね、シャルラートちゃ……さん、質問いーですか?」

『スフィか、どうしたのじゃ?』


 気安い返事にほっと胸をなでおろし、スフィが言葉を続ける。


「あの怖い人も言ってたけど、"てら"とか"ぴとす"って何? ずっと気になってたの」

『それは……ふむ、歴史を語る程度ならば協定には触れぬか。ピトスとはこの世界の名、テラとは大陸や儂らのようなモノたちがこの世界に落ちてくる前に居た場所のことらしい。儂はこの世界で形を得た故に又聞きでしか知らぬがな』


 シャルラートは滔々と話しながら通路を進んでいく。


 スフィたちも後に続けば。鉄製の扉が立ち並ぶ牢屋のような場所が目に入った。


「ここってゼルギア大陸じゃないにゃ?」

『それはこの土地に人間どもが付けた名じゃな、うつろうものたちの付けた名もまたうつろう、今まで何度か変わっておる。テラから落ちてきた最初の人間どもはここをレムリアと呼んでおった。当時は他にも大陸が落ちてきたそうじゃが、いくつかは海に沈みいくつかは壊れた。海溝の主が海を隔てて以降は交流がないゆえに他の大陸の仔細はわからぬ』

「大陸の話は聞いたことがあるのじゃ!」

「ほーん」


 覚えている話が出てきたからか、鼻息荒くふんぞり返るシャオの反応に全員の緊張が和らぐ。


『察するにあやつもテラから落ちてきたモノなのじゃろう。人間どもがこの地に満ちる以前より、竜の守る箱を狙うモノは多く在った』

「箱ってなあに?」

「星竜のお宝でも入ってるにゃ?」

『さてな、管理者たる獣たちが重要視していること以外は儂も知らぬ』


 子どもたちはもたらされた情報を受けて、通路を歩きながら腕を組んで考え込む。


「あいつ、アリスにね、その箱を開けろって伝えろってゆってた」

「管理者なんとかって、たぶん神獣のことだよにゃ。星竜の家に忍び込めとか言ってたけど、神獣を敵に回すのはあいつでも無茶じゃにゃいか?」

『このあたりは牢屋か、誰ぞおるな』

「のじゃ?」


 あまりにも露骨な話題の切り替えに、スフィとノーチェ、フィリアと察しの良い面々は"言えないこと"に触れたことを察する。


「あんまり突っ込み過ぎないほうがよさそうにゃ」

「シャルラートちゃん……さんも人間きらいみたいだね」


 シャオと仲が良いからか、あるいはアリスと仲が良いからか。


 シャルラートはスフィたちに敵意は見せていない。その一方で人間に対する嫌悪のようなもの隠そうともしていなかった。


「精霊さんと話すとなんだかひやひやする……ふたりとも凄いね」

「家の中にいつも居るしにゃ」

「フィリアだって仲良くしてるじゃん、ブラウニーちゃんとか」

「今のシャルラートさん、なんか雰囲気がぜんぜん違うもん」


 ピエロは姿を見せないまま、強力な味方とのおしゃべりで少女たちの恐怖はすっかりと消えていた。


 先導するシャルラートを足取り軽く追いかける彼女たちの余裕は、わずか数秒で崩れ去るとも知らずに。



「あ……う……」


 シャルラートは牢屋と言ったが、実態はそんな生易しいものではなかった。


「これ、って」


 鉄格子の入り口は開かれたまま、全ての個室の中は簡単に伺うことが出来る。


 血まみれの錆びた拷問器具が置かれた部屋の中には、まだ息のある少年少女と、既に事切れた少年少女の姿がある。


 全員が獣人で、どこにも傷を負っていない子どもは居ない。


『呪いでこの夢に縛りつけ、逃げられぬよう拷問で恐怖を刻み込んでおったのじゃろう。おぬしらのつけられた痣は目印のようなものであったか』


 凄惨な光景に固まるフィリアとシャオに対して、スフィとノーチェは顔を見合わせておそるおそるひとつの牢の中に入ろうとする。


 地面に横たわり、自ら動く手段を奪われた犬人の少年と少女がひとりずつ倒れている。


「だ、だいじょうぶ?」

「おい、しっかりするにゃ」

「アッ……あ……ギィィ!!」


 ふたりが近づいた瞬間、まだ息があった少年が絶叫をあげながら牙をむき出してノーチェの脚に噛みつこうとする。


「ふぎゃっ!」

「な、なにするの! ……あ」


 近くで見てようやく少年がこの夢の中で自分たちを襲ってくる者達と"同じ"であることに気づき、スフィは目に涙を溜めながら駆け足で牢から逃げ出す。


 一瞬遅れてノーチェも外に飛び出し、開かれたままだった牢の扉を力強く閉じる。


 動く手段がない少年は追ってくることも出来ず、その場でのたうち回るだけだった。


『まだ息があるものと屍が混じっておるようじゃ、近づくでない』

「ひどいよ、こんなの」

「あのクソ野郎」


 怒りを滲ませながらノーチェが握りしめた拳を震わせる。


 外見と種族故に西側で悪意を向けられることは多かったが、ここまで深く濃い悪意を目の当たりにするのは初めてだ。


「しゃ、シャルラート、せめて生きておるものだけでも治してやる訳には」

『力の無駄遣いは出来ぬ。襲ってこないということは儂の消耗を狙っておるのじゃろう。やつの目的を考えれば朝までにおぬしらにできるだけ恐怖を植え付けておきたいはずじゃ』


 どこか楽観的だった理由は、ピエロが殺すつもりがないと明言していたことが大きい。


 ノーチェもスフィも自分が痛めつけられる可能性は考慮していたが、そのくらい耐えてやるという心構えでいる。


 いるつもり、だった。


「ひっく、うえ……」


 最初に耐えきれず泣き出したのはフィリア。


 牢屋の中を見た瞬間、ピエロがわざわざ『起きれば傷は全てなくなる、でも記憶は残る』と言い放った理由を察してしまう。


 自分たちのイメージする暴力と悪意が子どもの想像するおままごとであると、牢屋の中の光景がつきつけてくる。


「うぅ……ごめんなさい」

『正常な意識を保っている者はおらぬ、おぬしらの安全が優先じゃ。先へ進むとしよう』

「――うん」


 悲しそうに牢の中の子どもを見ているスフィをなだめながら、シャルラートは道の奥にある部屋へ向かう。


 留まる余裕が無いことはわかっている、極力視線を向けないように前だけを見ながら少女たちは進んだ。

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