├ピエロ・ザ・ジョイ
血の滲む包帯で全身を覆った細身の男が、服の隙間から血を零しながら手を振るう。
袖から飛び出した錆びたナイフを、ノーチェは身を捩って避けた。
「ちぃっ!」
「ノーチェ!」
通り過ぎたはずのナイフが、空中で弧を描いて再び戻ってくる。
「やあっ!」
ノーチェが魔力で覆った拳でナイフを払おうとした瞬間、一気に加速したスフィが手にする剣でナイフを弾き飛ばした。
切れ味の差か両断される形で砕かれた刃は、再び襲ってくることなく床に散らばる。
「戻ってきたにゃ!」
「変なナイフ!」
4人が目指しているのは舞台の壁にある出入り口、客席の下につながっているだろう道。
「シャオちゃん、精霊さんは!?」
「ぐぬぬ……呼べそうな、呼べなさそうな!」
「じゃあ一回普通に走っ……キャアアアァ!?」
何とかシャルラートを呼びだそうと試行錯誤をしているシャオの背中についているフィリアは、背後を振り返って追いかけて来る面々の不気味さに悲鳴をあげた。
拷問にあったばかりかのような、血まみれの人型ばかりがカクついた動きで追いかけて来る。
動きこそ遅いものの、実際に追われるのは幼い子供。感じる恐怖は尋常ではない。
「はやく! はやく!」
「ぬおおおお!?」
勢いよく背中を押されて叫びながら加速するシャオを横目で見て、スフィとノーチェは一気に走る速度をあげる。
「不意打ちは効かねぇにゃ!」
「いるのはわかってるもん!」
武器を構えるふたりの声に反応するかのように、大柄な仮面の男が飛び降りてくる。
背中に複数の杭のようなものが突き刺さり、拘束具がついた鉄仮面の繋ぎ目から赤黒い液体が溢れだしていた。
男が突き出した両手の平から、スフィたちに向かって風が放たれる。
「てえい!」
「ヴォルトライナー!」
最初にスフィが魔剣から放つ風で相殺し、出来た風の隙間を稲妻が走る。
直撃を受けた仮面男が硬直し、肉の焦げた匂いをさせながら倒れる。
「くしゃい!」
「我慢するにゃ、走れぇ!」
「ぬおおおお!」
倒れた男の横をすり抜けて、4人は暗い客席の下へと飛び込んでいった。
■
暗い通路の中、襲いかかってくるのは動く死体のような人型ばかり。
血を零し言葉を発さない彼らを相手に、ノーチェたちは手加減を考えるのをやめた。
「どいてぇ!」
「フシャアッ!」
フィリアがメイスで立ちはだかる男の足を打ち、よろけた身体をノーチェが切り裂く。
倒れたはずの男は、流れる血を気にもとめずに少女たちに手を伸ばしてくる。
血なまぐさいのに全く生気を感じない動きに、距離を取りながらノーチェは顔を顰めた。
「こいつら、死体にゃ」
「気持ち悪い……」
泣きそうなフィリアを背中に庇い、ノーチェは通路の先をにらみつける。
幸いなのは一度倒せば動かなくなることと数自体が多いわけでもないこと。
自分の開催するゲームに沿っているのか、数と動きだけならば子どもがギリギリで逃げ切れる程度だ。
おかしな力を使う奴が混じってはいてもノーチェたちならば対処出来る範囲。
「たぶん、痛めつけてあたしらがアリスに泣きつくのを待つ算段だにゃ」
ここまでの情報からなんとなく相手の意図を察し、ノーチェは嫌そうに吐き捨てる。
相手の目的がアリスの確保なら、自分たちを全滅させれば意味がない。
捕らえた仲間を痛めつけ怯えさせ、その姿を見せて命令を聞かせようという魂胆なのだ。
「あのやろう、アリスに何かさせようっていうなら確かに良い手にゃ」
パーティとして旅をしてきた仲だ、アリスの性格くらいはノーチェでもわかっている。
「アリスちゃん、優しいもんね」
「態度はあんな感じじゃがな」
見た目は平然として見えても、あれd仲間が傷付くのを平気で眺めていられるような人間ではない。
「でも、アリスに何をさせるつもりなんだろ……」
「そりゃあ……ピトスがどうとか、テラへ帰るとか言ってたにゃ?」
「精霊さん関係なのかな?」
ノーチェたちの中で疑問なのは、相手がアリスに何をさせようとしているかだ。
「精霊に何か命令しよう、とか?」
「シャルラートもアリスの願いならば叶えると言っておったな」
戯れに訪ねたことを思い出しながらシャオが顰め面を作る。
相棒がたびたび見せる、愛子である自分を差し置いてアリスを優先する態度。思うところがないはずもなく、表情にでてしまったようだ。
「あいつのアレは一体なんなんだろうにゃ」
「小さいときから、精霊さんとか、よくわかんないのとか、沢山居たけどねー」
精霊に頼み事をすることを嫌がる理由は、この間のサメや沖合の巨大な精霊の一件で理解している。
しかしながら"どこまで願いが通じるのか"は一向にわからないままだ。
「でも、あのでっけー鼬とか、幽霊船とかで普通に襲われてたよにゃ。どんなやつにも命令できるみたいなイメージ湧かにゃいんだけど」
「それはだねぇ! 知りたいかな!?」
会話の最中、突然天井から聞こえた声に全員の視線が上を向く。
「ヒッ」
引きつった悲鳴をあげたフィリアの視界に、吊るされた無数の麻袋が映った。
「どうでもいいにゃ!」
「好きになんてさせないもん!」
反応が早かったのはスフィとノーチェ。飛び退きながら振った剣から放たれた風と雷がピエロの身体を穿つ。
「ヒハァ! いいねぇ、容赦ないねぇ!」
攻撃を受けて床に落ちたピエロが立ち上がると、焦げて引き裂かれた傷が一瞬で元通りになる。
「君たちは起きた時、あのガキにこう伝えてくれればいいんだ! 簡単さ!」
「フィリア! 盾にゃ!」
「え、あ」
ピエロがポケットから取り出したのは小さなゴムボール。それを投げるより早くノーチェが叫んだ。
「守って!」
一瞬反応が遅れたフィリアが光の盾を生み出すのと、ボールが投げられたのは殆ど同時。
炸裂音と共にボールが弾け、大量の錆びた釘が盾にぶつかって砕ける。
「こっわっ!」
「あぶないことしないで!」
間一髪で釘の雨を避けたノーチェとスフィが抗議の声を上げる間に、ピエロは壁に張り付くようにしながら狂気じみた笑みを浮かべた。
「死にたくないって泣きつけばいいのさ!」
「こんにゃろっ!」
「あっちいけぇ!」
放たれる風の刃と雷を時に避け、時にわざと食らって再生しながらピエロは壁を蹴ってボールのように跳ね回る。
回避しているというよりも、恐怖を誘うために暴れているようだった。
ままならない状況に、冷静だったノーチェの中に少しずつ焦りが生まれていく。
「オウルノヴァの宝殿に忍び込み! "箱を開けろ"と伝えるんだ! 僕は自称神どもと違って中身になんて興味ない! ただ帰りたいだけさ! それだけさ!」
「意味がわかんにぇーよ! その箱がなんだっていうにゃ!」
「君らが知る必要なんて無い! "箱を開けろ"と伝えればいい! この僕を蜂の巣にしやがったあのくそったれなガキにねぇ! あいつ意味がわからないって言うならばああ!」
ピエロがだぶついたズボンのポケットに手を突っ込み、そこからありえないサイズの代物を取り出した。
先が丸くて細長い金属板の側面に大量の小さな刃が並ぶ、異質な形状の剣らしきもの。
「君たちがもっと苦しむだけさぁ! ヒャアアアア!」
柄の部分に伸びた紐を引けば、耳が震えるような振動音をさせて飛び出た刃が側面に沿って回転を始める。
地球ではチェーンソーと呼ばれる工具を振りかざし、ピエロは壁を蹴ってノーチェに迫る。
「ふぎゃっ!? ぎいッ!」
回転鋸の刃を咄嗟に刀の腹で受けたノーチェは、あまりの衝撃に悲鳴をあげながら弾き飛ばされる。
「ノーチェちゃん!!」
飛び散る火花に照らされ、飛び散る赤い血を目にしたフィリアが絶叫に近い悲鳴をあげた。
「だいじょっ……ぶにゃ!」
床を転がったノーチェは一部分の欠けた刀を構えたまま立ち上がってみせる。
左の二の腕に出来た裂かれたような傷痕からは赤い血が垂れている。それを見たスフィたちの表情が緊張で一気に引き締まった。
付けられた傷は、凶悪な唸り声をあげる異質な武器からすれば微々たるもの。
ピエロの殺意のなさを証明しながらも、怖がらせるだけで済ませるつもりもないと雄弁に語っているようだった。
「このっ! あっちいけぇ!」
「ヒャハハハハハ! ハハハハハハハァ!」
一歩、また一歩と迫るピエロを追い返そうとスフィが風の刃を放つ。
ともすれば岩にすら傷をつけられるような一撃を、しかしそよ風でも浴びるかのようにピエロは前進を続ける。
「むむむむむむむ! 掴んだのじゃ! シャルラートォ!」
「アァッ!?」
恐怖に耐えきれずフィリアが悲鳴を上げかけた時、先ほどから離れた位置で目を閉じて集中していたシャオが突然叫んだ。
シャオの身体から大量に抜け出た魔力が、目の前で形を作り始める。
白地に虹彩が描かれた、水中の尾ひれのようになびく布を纏う大きな水の魚。
「箱庭生まれが! 僕の邪魔すんじゃ――」
『去ね、下郎』
涼やかな女の声が全員の頭に響き、突如として出現した水球がピエロと少女たちとの間で爆ぜる。
ピエロは爆発と同時に放たれた高圧の水糸によってチェーンソーごと粉々の肉片にされた後、放水で通路の遥か先まで押し流されていく。
「えぇ、つよ……」
「シャルラート、助かったのじゃ……」
ノーチェが唖然としながらピエロの消えた先を見つめる後ろで、シャオが疲れ果てたように座り込んだ。
自分の持つ力をありったけ注ぎ込んだ召喚によって魔力切れを起こしていた。この異常空間に強引に召喚したのだから無理もない。
「シャルラートちゃんってこんなに強かったんだ」
「びっくりした」
助かった安堵のあと、シャオ以外の3人に浮かぶのは純粋な疑問。
フィリアが震える脚で踏ん張りつつシャオを支えていると、当のシャオは不服そうに3人を睨んだ。
「シャルラートは霊水の大精霊じゃぞ、弱いわけがなかろう!」
「いつつ……なんか強いってイメージがあんまりなかったにゃ」
ノーチェがした反応は精霊との距離が近すぎる弊害とも言える。
最近は学園生活で戦闘も訓練程度しかしていないこともあって、精霊の強いところを殆ど見ていない。
何せ生まれたばかりのフカヒレたちはそこまで大きな力を使えず、シラタマも大幅に弱体化している。
永久氷穴の帰り道で襲い来る魔獣全部を巨大氷で叩きつぶし、雪崩で押し流したシラタマの雄姿は記憶の彼方。
雪山や雪原ならばともかく、夏場の街での出力はアリスの魔力依存である。
シャルラートも同様に出力はシャオの魔力依存であるため、本来の力の数割程度も出せていないのが実情だった。
「しかしわしも驚いておるのじゃ、わしの魔力でシャルラートがここまで力を発揮できる
『ここは現実とは少し違う、故にシャオを通じて
子供たちの疑問にシャルラートが直に答える。
術者の魔力で編んだ器である『
なるほどとよくわからないなりに頷いているノーチェに近づき、シャルラートは淡い光を傷口に注ぐ。
僅かな時間で血が止まり、傷痕の痛みが引いていった。
「……あれ? シャルラートちゃん喋ってる!?」
「にゃ? ほんとにゃ!」
強力な助っ人の登場で余裕が出来たためか、ようやく気づいたスフィに続いてノーチェも驚きを見せる。
「ぬ、おお。そういえば普段は聞こえておらなんだな」
「うん、聞こえない」
「つーか精霊って普通に喋れるんだにゃ、もしかしてシラタマとかも喋ってるのにゃ?」
『対話できるとするなら契約を通じた念話くらいじゃ。ここでは儂の声がお主らにも聞こえる形で響くようじゃが。もっとも、お主らが精霊と呼ぶモノの中で己の愛子以外とわざわざ会話をしたがるモノは稀じゃろうし、雪の女王は言葉が交わせたとして返事もせぬじゃろうな』
ノーチェの周囲をゆっくり一周し終わったシャルラートが、空中を優雅に泳ぐようにシャオの隣へ戻る。
『さ、傷も塞いだ、行くとしよう。儂が持ち込めた力はあまり多くはないが、残っているうちは守ろう』
かくして、ノーチェたちはシャルラートという強力な味方を得て悪夢の世界を逃げ回ることになったのだった。
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