├悪夢のサーカス

 夜半を過ぎ、襲撃の興奮も冷めた頃。スフィたちは休憩室で眠りにつこうとしていた。


 アリスを中心にして左右を固め、用意された毛布をかぶって目を閉じる。


 呪いと言われても体調の変化もなく痛みもない、時間を過ぎてしまえばいつもと変わりない。


 昼間の疲れと緊張からの解放もあってか、幼い身体はすぐに眠りへと落ちていった。



「……ふあ?」


 スフィが目を覚ました時、少し前に見たサーカスに似た舞台の上だった。


「にゃ? あれ?」


 隣でノーチェ、フィリアと順々に身体を起こす。


 スフィは突然の事態に警戒しながら妹の姿を探し、見つからないことにしっぽの毛を逆立てる。


「アリスは?」

「……居ないにゃ」

「それにここどこ? わたしたち休憩室にいたんじゃ?」

「もしや寝てる間に拐われたのじゃ?」


 休憩室で寝ていたはずなのに気付けばこんな舞台の上。


 寝ているうちに拐われたことを疑うのも無理のない状況で出たシャオの言葉を受けて、ノーチェは冷静な表情で首を横に振った。


「いくらにゃんでも、あの状況であたしらを連れ出すのは無理にゃ。アリスが拐われそうになったらシラタマかブラウニーが阻止するにゃ」


 仲間になった当初はノーチェたちにも薄っすら敵意を向けていたシラタマも、旅を経てかなり丸くなってきている。


 フカヒレやブラウニー、ワラビに関しては仲良く出来ている自信があった。


 アリスを置いて積極的に助けに来るかはともかく、あえて危機を無視するとは思えないというのがノーチェの考えだ。


「それに、寝る前シャルラート出してたよにゃ?」

「あ、そうじゃ! シャルラート! シャルラート!?」


 シャオも最近では当たり前のようにシャルラートを呼び出し、側に置いている時間が増えている。


 今までやらなかったのは高位の精霊術士である姉や周囲から『精霊はみだりに呼び出してはいけない』と教え込まれていたから、極力呼び出すのを避けていたためだ。


 これは"普通の"術者が無闇に呼びだすと機嫌が悪くなる精霊が多く、また愛子へ精霊との接し方を教えるのが精霊術士の役割であることから発生する齟齬だった。


「居ないのじゃ!? シャルラート!」


 アリスにおんぶを強請られて喜んで背に乗せるシラタマ、逆に座っている膝の上によじのぼって抱っこをせがむフカヒレ。


 そういった光景を見ているうちにいい具合に枷が外れ、一緒に日常を過ごすことでシャルラートとの意思疎通も以前よりずっとスムーズになっている。


「わしを見捨てたのじゃ!?」

「敵が連れ出したわけじゃないってことにゃ」


 悲鳴をあげるシャオにノーチェがツッコミを入れる。


 アリスの周囲を固める精霊たちはともかく、シャルラートだけは明確にシャオを守る意思がある。


 敵が自分の愛子を連れ出そうとしているのを黙って見ているはずもない。


「それにここ、明らかに雰囲気がおかしいにゃ」


 ノーチェの視線が向かうのは、自分たちが寝かされていた舞台の周囲。


 薄暗い照明に照らされた明るい色の床には赤黒い染みが広がっている。獣人の眼を持ってしても観客席は見通せない。


「血の匂いもするにゃ」

「うん……」

「アリスー!」


 ノーチェは鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ取ったあと、自分が着ているのが寝巻きであることを確かめる。


 既に立ち上がって妹を探すスフィを横目に、立ち上がろうとしてすぐ側に自分の太刀が転がっているのに気付いた。


「というか剣があるにゃ」

「え? もしかして寝てる時に置いた場所に……あった」


 少し驚いた様子のノーチェに続いてフィリアが枕元にあたる位置に目をやり、自分用のメイスを手に取る。


 どうやら寝る前に身につけていたもの、傍らにあった物もそのまま置かれているようだった。


「盾も側に置いとけばよかった……」

「流石に寝る時は邪魔にゃ」


 フィリアの盾は大型盾の代名詞でもあるタワーシールド。当然ながら枕元に置くことが出来るはずもない。


「あの、わし装備ないんじゃが?」

「シャオはもうちょい身の回りに装備を置くにゃ」

「ぐぬぬ、わ、わしにはシャルラートがおるし……」

「いにゃいが」

「そうじゃった!」


 現実を突きつけられ、シャオは涙目になって頭を抱える。


「シャルラートぉ! どこじゃー!?」

「アリスー! どこー!?」


 大声を出して妹と相棒の名前を呼ぶスフィとシャオを眺め、ノーチェは溜息混じりに自分の状態を確認していった。


「の、ノーチェちゃん、スフィちゃんたちあんなに叫んで大丈夫かな……」

「ダメならとっくに何か起こってるにゃ」


 そもそもが自分たちの居た場所から別の地点に運ばれているのだ、少し騒いだくらいでダメなら寝てる間に死んでいる。


 そういった考えがあるせいか、ノーチェは異常事態にも落ち着いていた。


「つーか、いい加減慣れたにゃ」

「……たしかに」


 流石に慣れたとも言う。


 パナディアでの幽霊船、王立学院での謎の街。


 強力な援護があったとはいえ、しっぽ同盟は命が危ぶまれるような異常事態を2度も越えてきている。


 怯えているフィリアもパニックは起こしておらず、シャオは庇護者が居なくなって焦っているだけ。


「アリスー……うぅ」


 スフィにいたっては妹分が不足しているだけで、怖がっている訳ではない。


「でも、こういう形で分断されてることはだにゃ」

「やっぱり、精霊さんとか絡みなのかな」


 装備の確認を終えたノーチェとフィリアは、お互い背を合わせるようにしながら周囲の様子を伺い始める。


「不可思議な現象は――」

「!!」


 唐突に頭上でまばゆい照明が灯る。


 4人が居る舞台から少し離れた場所が丸く照らし出されると、そこには1体の人型が頭を下げていた。


 深く腰を折っており、周囲に生えた青い毛の中央の白く塗られた頭頂部だけが見える。


 顔をあげたのは背の高い男。顔は真っ白で鼻と唇、目の周りが青く塗られたピエロメイク。


 グリーンカラーの水玉のシャツに、ダボダボのズボン。


 おどけた様子で男が歪な笑顔を作って、少女たちに向かい両手を広げた。


「やあやあお嬢さんがた、お会いできて光栄だよ! ようこそ我等が夢の世界へ!」

「……あいつ、似てるにゃ」

「うん……部屋に来た人」


 大きな声を出す男を観察していたノーチェとスフィが警戒もあらわに言葉を交わす。


 メイクも髪型も違っているが、男の背格好や顔立ちはつい先程部屋を襲撃してきた背の高い方の男……サーカスの団長ジョイに似ていた。


「ここは夢と現の狭間の世界! ここでは君たちがもっとも慣れた姿になる、強固なイメージがあれば道具だって呼び出せるんだ! 素敵だろう?」

「武器はともかく、格好は別に慣れてるわけじゃにゃいんだけど?」

「それは眠る前に身に着けていた物が適用されたんだね!」


 指をひとつ立てて、満面の笑みでピエロは言う。


「ここからが重要さ、ここと現実は同期している! 勿論そのまんまではないけどね、例えば怪我をしたって現実の肉体には反映されない。夢の世界だからね、多少の無茶だって利くんだ!」


 ピエロは歪な笑顔を浮かべて、伸ばした指をノーチェたちに突きつける。


「この世界のルールは3つ。昼夜を問わず、指定された領域から出てはならない! この世界のことを知らない人間に話してはならない! 領域の中で僕やこの世界のことを知った子どもにも呪いは伝搬する!」


 その場でくるんと一回転し、ピエロは尖った歯をむき出しにしながら両手を叩く。


「これから始まるのは悪夢の道化の地獄ショー! 制限時間は君たちが目を覚ますまで、恐ろしい追跡者から逃げ続けるんだ! 怪我をしても大丈夫、死ななければ起きれば元通りだよ! 苦痛はしっかり記憶に残るけどね! 因みに死んだら――」

「死んだら、どうなるにゃ?」

「勿論! 現実の身体の心臓も止まってしまう! 因みにルールを破るとペナルティとして呪いの痣が広がっていって、そのうち心臓を止めちゃうから気をつけてね!」


 好き勝手に言って、不快な笑い声をあげるピエロ。


 ノーチェは眉を顰めながら太刀を鞘から抜き放つ。ただでやられるつもりなんて微塵もなかった。


 話している間にスフィも落ちていた自分の剣を拾いあげ、既に構えている。


「さて、規定のルール説明は終了だ。ようやく見つけたんだ、残念だけど君たちは逃げられないよ!」

「見つけたってどういう意味にゃ!」

「君たちの仲間、あのガキをずっと探していたんだ! そう、あの日! 僕たちがピトスの中に封じ込められてから! ずっと! ずっと!」


 ピエロが語っているのがアリスのことだと悟るのに、時間は必要なかった。


 しっぽの毛を逆立てて殺気立つスフィを抑えて、ノーチェは他のメンバーを庇うように前に出る。


「どうしてあいつを狙うにゃ、そもそもこっちにあいつも来てるにゃ?」

「ハハハハハ! 連れて来れるワケがないだろう、だから君たちが必要なんだ!」


 ピエロが大袈裟に仰け反って笑い声をあげて、指を鳴らす。


 暗がりからぞろぞろと包帯まみれの異形が現れる。濃くなった血の匂いに、顔色の悪いフィリアがよろけそうになるのをシャオが支えた。


「お友達の命がかかっているなら、あのガキだって従うだろう? 神々なんかに渡さない! あのガキを手に入れて、僕は懐かしい場所へ……地球テラへ帰るんだ!」


 狂気に満ちた笑い声に押し出されるように、少女たちに向かって異形が駆け出す。


「とにかく、一端離れるにゃ!」

「うんっ!」


 飛び出した異形を武器ではじき、ノーチェの号令に合わせて少女たちの逃走がはじまった。

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