├悪夢の道化
仮面を外すと同時に倒れ込んだアリスを受け止め、スフィたちは慌てて身繕いをさせた。
アリスを休憩室のベッドへ寝かせると、仮面とローブを外してからアリスの服をめくり、腹部に張り付けられた不思議ポケットへ衣装を押し込む。
ローブの下で待機していたシラタマとワラビは枕元に降り立ち、心配そうにアリスを眺める。
「だいぶ無理してたみたいだからにゃ」
「ね……」
起きる気配もなく、苦しそうに眠る末っ子の姿にスフィとノーチェは悔しそうに拳を握りしめた。
「ここからはあたしらが頑張るにゃ!」
「うんっ!」
「……ここが襲われたらその時点でかなりやばい気がするのじゃが」
やる気を出すスフィとノーチェに対して、珍しくシャオが正論を口にした。
戦力が出払っているとはいえ、一応は国家に属する騎士団の支部である。
いざという時は避難所になる場所でもあり、そう簡単に突破されるようでは話にならない。
相手が加護持ちだらけな現状では絶対とも言い切れなかったが。
「シャオがれーせーだ」
「えっと、アリスちゃんの真似?」
「シャオも疲れてるにゃ?」
「おぬしら」
普段はここぞとばかりに出番と活躍を要求するシャオの冷静な一面に、他の面々が心配する。
シャオもスフィたちと同じAクラスについていける程度には頭が良いのだが、無駄に張り合う調子乗りな性格が災いして残念な子という扱いを受けている。
誰かがボケると誰かがツッコむ。誰かが冷静さを失うと誰かが冷静になる。
しっぽ同盟はお互いを補完しあう良い関係を築けていると言えた。
「あれ……?」
小声でじゃれあうノーチェとシャオを横に、フィリアが困惑した様子で扉を見つめる。
「フィリア、どしたの?」
「うん……なんか、静かだなって」
アリスの横に座って髪の毛を整えていたスフィが、肩にワラビを乗せたまま扉を見た。
耳がぴくりと動いて音を拾う。
「ほんとだ」
アリスが来るまで聞こえていた鎧と鞘がぶつかる音、廊下を歩く音、そういった人の放つ気配とも呼べるものがピタリと止まっていた。
異様な静寂に気づいた少女たちの胸中で、警戒心が一気に膨れ上がる。
「なんか変かも……ワラビちゃん、シラタマちゃん、わかる?」
「シャー!」
真っ先に声をあげたのは、床から顔を覗かせたフカヒレだった。
呼び出されたままずっと地中を泳いでついてきたようで、一声あげると同時に床にもぐる。
突き出たヒレが床に沈んでいくのを見て、スフィたちはフカヒレが偵察に行ったことを察した。
「アリスが寝てるとお話はできないね……」
精霊たちは人語を使わない物が多い。そのため人語を使う精霊か、契約を通じて意思疎通が出来る者が居ないと会話は難しい。
勿論最近ではシラタマ含めて仲良く出来るようになってきていて、普通に行動する分には問題ないのだが。
細かな情報がほしい状況下では不便な面もあった。
「シャルラート、どうじゃ?」
「――――」
「ええっと……加護の気配がするそうじゃ」
呼び出したシャルラートに話を聞いたシャオが結論を告げると、ノーチェとスフィは即座に武器に手をかける。
警戒する面々の眼前で、扉の隙間から白い煙が入り込んでくる。
「ワラビッ! あの煙を近づけるにゃ!」
「シラタマちゃん! アリスをお願い!」
ふたりの動きは早かった。
即座に近くのクッションを手に掴み、口元を押さえながら近付いて扉の隙間を塞ぐ。
ノーチェは煙を手で払いながら距離を取り、スフィの隣に立ったところで武器を抜こうとして止める。
部屋の中ではアリスが寝ていて、家具も多く暴れられるほど広くはない。
「スフィ、剣はやめとくにゃ」
「うん、ここじゃあぶないね」
頷きあって、愛用の刀と長剣ではなく雑事に使っているナイフを抜き放つ。
これも最近アリスが作ったもので、かなり頑丈に作られている信頼性の高い武器でもある。
武器を頻繁に壊すノーチェにキレて必要以上に頑丈に作ったため少し重いが、少女でも獣人の筋力なら問題なく扱える。
「そこにいるのはわかってるにゃ!」
「でてこーい!」
「迎え撃ってやるのじゃ!」
「み、みんな挑発しないで……!」
臆病なフィリアを背に、妙に好戦的な3人が扉の向こうに声をかける。
「……参った参った、上手くいかないものだなぁ」
扉の向こうから、年嵩の男の少し疲れたような声がした。
「大人しく眠ってくれれば、苦労せずに済んだというのに」
切り裂かれるような音と共に真っ二つに切られた扉が倒れていく。
向こう側に立っていたのはスフィたちも見た覚えがある人物。
身につけた派手な仮面は、いつぞや見たサーカスで司会をしていた男のつけていたものと同じ。
「お前ら逃げたんじゃにゃかったのか」
「我々としてもすぐに逃げたかったんだ、聖王国の首都で暴れるほど命知らずではないからね。しかし今回はそうもいかなかったんだ」
サーカスの関係者だと判断したノーチェの挑発じみた言葉に、男は肩をすくめてやれやれと演技じみた仕草を見せる。
「うちのスポンサー様が何としても手に入れろとうるさくてね。このまま手ぶらで逃げると我々まで殺されてしまうんだよ。酷い話だと思わないか、手に入れられなければ全員呪い殺すなんて脅しまでかけてくるなんて。今日までずっと良い関係を築いてきたっていうのに」
「呪い……? で、何が狙いにゃ! わざわざ騎士団まで襲いにきて」
「それはだねぇ……」
「喋りすぎではないか団長。夜梟がうろついている上にこちらの準備もある、長い時間は誤魔化せんのだぞ」
ぺらぺらと喋る男の横から、鳥を模した仮面を付けた小柄な人影が現れる。
仮面の下には包帯が巻かれているのが見て取れる、昼過ぎにアリスたちを惑わして氷を叩きつけられた幻惑の加護の持ち主だった。
「おっと、いけないいけない。仕事柄どうしても口のほうがよく回ってしまってね、ついつい必要ないことまで喋ってしまうんだ。おかげでこういった行動のときは部下にも下がっていろ言われることが多くてね。腕には自信があるのだが口の堅さにいつまでも自信が持てない」
「団長!」
サーカス団長が釘を刺されたところでようやく喋るのを止め、両手を広げてみせる。
「というわけで、君たちは我々のサーカスまで招待させて貰うよ。君たちならあっという間に人気の演者になれるさ、お友だちも居るから寂しくはないよ」
「冗談も大概にするにゃ!」
「冗談ではないんだよねぇ。まぁ君は黒髪だし別にいらないんだけど、そっちの狼人の双子は是が非でも手に入れろとうるさくてね。命をかけろと言うなら理由くらいは教えてほしいよねぇ」
「アァ!?」
「ええい、喋り過ぎだと言うとろうが! 早くせんと奴等に気付かれてしまうぞ!」
幻惑使いが杖でガンと床を叩く。
「いや、もう遅いな」
「ちょっと危なかったヨ」
廊下の向こうから、グラムとヤルムルートが多数の騎士と共に姿を現したのは丁度その時だった。
「……建物内にありったけの眠りガスをばらまいた筈なんだけどなぁ」
「どこで手に入れたのか知らないケド、ご禁制の薬をよくもまぁこれだけ集めたネ、感心するヨ」
「いざという時の切り札って奴だよ、中でもこれはとびっきりの品物だ。錬金術師ギルドに足が付かないようにしながら、何年もかけて集めた虎の子中の虎の子だったのさ! 本当なら逃げる時に使うつもりがまさかこんな形で消費するはめになるなんて。どれだけ大変だったか知りたいかい? あれはだねぇ、最初はある国の大都市にある酒場でやつれた男が――」
「団長! 話している場合ではない!」
「そうだった、いやぁやばいね!」
「幻想の夜の団長……ジョイだな? よく喋るやつだ」
廊下で陣を組む騎士たちの中から現れたのは、部下の黒衣2名を率いた夜梟騎士。
出陣したはずの彼だったが、移動中に不審な動きの報告を受けて騎士団支部までとんぼ返りしていた。
「やあやあ、確か夜梟のシェイドだったね! 影騎士ボルフィードの懐刀の1人! いやぁ凄腕が派遣されているなんて驚いたよ! 君ほどの男に出向いて貰えるなんて光栄だ、ボルフィード卿は陣地防衛かい?」
「さて、上司殿の予定はどうであったか。それにしても貴様は随分と耳聡いようだな」
「影に縁ある人間で知らない者は居ないだろう! 齢15歳にして闇組織を3つ潰し、首魁3人の首を手土産に騎士団への入団を願った女傑とその部下達の活躍は語り草さ!」
「当人からすると語られたくない話だそうだ、命が惜しければ程々にしておくことだな」
「ご忠告ありがたい、なにせこの通り口が風渡鳥の尾羽根よりも軽いものでね! 余計なことを言ってかの女傑を怒らせるのは恐ろしい!」
「安心しろ、獣人の子供を狙った時点で既に逆鱗に触れている。ボルフィード卿がセレステラ様に命を救われた話くらいは知っているだろう?」
「あはははは! これは一本取られた!」
視線を飛ばしあい、間合いを測り、覆面と仮面越しに鋭い眼光を飛ばし合うふたり。
軽快な会話と裏腹に張り詰めた空気に全員が息を呑み、次の動きを伺っていた。
「ところでシェイドくん、僕の口数の多さは勿論演技じゃないんだけどさ! 会話に乗ったフリで準備を整える時間を稼ぐのは君たちだけの専売特許じゃないことは勿論わかっているよね?」
「外で危険物を持ってうろついていた貴様の"お友達"なら既に押さえているが。それのことか?」
「うんうん! その通りだ! ありがとう! 油断したね!」
「――殺れ!」
明るい声に、夜梟騎士――シェイドは少しだけ焦った様子で号令を飛ばす。
気配を殺しながらスフィたちの安全を確保しようと動いていた彼の部下たちが、途中で方針を変えてサーカス団長のジョイへと迫る。
壁を蹴って飛び上がり、抜き放った黒塗りの刃が突き出された。
「ははは! "悪夢の道化"を知ってるかい!」
「くっ、団長!」
その身で刃を受け止めながら、サーカス団長ジョイは腹の底から絞り出すような大きな声をあげる。
「――貴様、何をした!」
「はっ……ははは、さてね、自分で確かめて……見るといい」
「あぁ、団長……」
絶望した様子で膝をつく幻惑使いが手を伸ばす先で、ジョイは刃を受けたままよろめいて倒れた。
刃の刺さった胸元と口から血を零し、ジョイの顔から仮面が外れる。
白塗りの上に鼻の頭を赤く塗り、赤色で描かれた唇は異様に大きい。目元は緑色の塗料でダイヤのような形に塗られ、頬には水色で涙マークが描かれている。
現地の人間からすれば異様なメイクをした男の顔。もしもアリスが起きていれば「ピエロみたい」と評していただろう。
「え、ふぎゃっ!?」
「いたぁっ!」
突然スフィたちが脇腹の辺りを押さえてうずくまる。
「なんじゃ、急に痛いのじゃ!」
「うぅ……私もお腹の辺りが……ノーチェちゃんなにそれ?」
ノーチェが慌てた様子でめくったシャツの下には、エルナの身体にあったものと同じ痣が薄っすらと浮かび上がっていた。
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