├夜

 太陽が水平線の向こうへ落ちると共に、アヴァロンの街並みが白から朱へと染まっていく。


 夜へと切り替わっていく街の中を、マレーンは従者ひとりを連れて走っていた。


 追いかけるのはつい先ほど感じた気配の主。


 海沿いの地域には貴族の別荘も多くあるが、大半の貴族は一般港の方まで降りたことがない。


 マレーンに至っては学院に入学するまで領地で育っており、別荘を使うのもはじめてだ。


 全く土地勘のない道のせいで速度は遅く、それでも追いかけることが出来ているのは相手もまだ街に慣れていないおかげだろう。


「あの方向は……」

「確か旅芸人などが使う宿営地だったはずです。お嬢様、これ以上は」


 出入り口でもある正門、海港、空港が存在する外周区には滞在者向けの土地や施設がいくつも用意されている。


 賊らしき気配が逃げていったのは、主に旅芸人が滞在と興行に使うような大きな広場。使用には申請と滞在登録が必要な土地である。


 外国人とのトラブルを予見した騎士に止められ、マレーンは渋々といった様子で矛を収めた。


 レッドスケイル家は事実上中央から追放されている。


 そんな家の末娘が聖都に滞在していられるのは、華剣の後継者として王立学院への入学を許すという王家の最後の慈悲があったからだ。


 正規に滞在している外国人相手に、貴族の権力を使ってトラブルを起こせば立場をなくすのは必然。


 家の再起のわずかな可能性を背負っているマレーンとしては、無茶はできない。


 どれほど焦っていても、ブレーキまで壊れてはいなかった。


「走ったおかげで頭が冷えたわ、騎士団に通報だけして戻りましょう」

「そうしましょう」


 冷静な主の言葉にあからさまな安堵を浮かべて、随行者である騎士は頷いた。


 その様子にマレーンは一瞬強烈な怒りを覚え、しかし言葉にする前に息として吐き出した。


 事情を知っているのは前当主である父と、母を含めたごく僅かな親族とその側近のみ。


 彼を含めた一般の従者たちは何も知らないのだ。


 マレーンとてアマリリスに選ばれていなければ、何も知ることなく下級貴族かそれなりの商家に養子として出されていただろう。


 現在のレッドスケイル家は終わり方を選ぶ時間を与えて貰っているだけなのに。


 だというのに、従者たちは今でもその権威が返り咲くことを期待している。


 一呼吸の間に滑稽さと申し訳無さが合わさって、マレーンの怒りをかきけした。


「(とはいえ、狙われているのを放置するのも……)」


 賊の動きから考えても、狙いはスフィとアリスである可能性が高い。


 マレーンとしては知った上で見過ごすのは悪手もいいところ。


 しかし、大貴族の御令嬢という立場が手を出すことを許してくれない。


「(ままならないわね)」


 物心ついた時から絶望に満ちた空気を肌に感じて育ってきた。


 残っていたのは国境の守護者として栄華を誇った一族の看板だけ、終わりが近づく家の中で唯一の希望がマレーンだった。


 華剣アマリリスを手に騎士として名を挙げれば、最低限存続の道もあるかもしれない。


 親族一同の過大な期待は幼い子供が潰れてもおかしくないほどのもの、しかし応えるだけの才能がマレーンにはあった。


 しかし、今回に限っては親族の期待がマレーンの行動を縛ってしまう。


「(いっそ全てを伝えて助けを求められたなら、どれだけいいか……!)」


 ただ1人頼れる父親の前当主は剣士の利き腕、息子、守ってきた家の全てを失い床に伏せている。


 アマリリスを手に戦場を駆け、敵国を恐れさせた戦鬼の面影はもはや残っていない。頼りにするには問題が多すぎた。


 他の親族はこの情報を知ればどう動くかもわからない。


 共有できる味方はフォレスだけで、今は秘密裏にコネクションを辿っている真っ最中だ。


 全てを1人で抱えて動かなければいけないプレッシャーは、マレーンの胃を常に苛んでいた。


「……海浜騎士団の本部へ向かうわ」

「ハッ」


 様々な感情を飲み込んで、それだけ言ってマレーンは踵を返す。


 気付けば完全に日が落ちて、街は夜に沈んでいた。



「おそすぎる!」


 すっかり辺りが暗くなり、街の明かりが目立つようになってきた頃。


 妹の帰りを待って部屋の中を無限周回していたスフィの我慢が限界に達した。


「なんでこんなにおそいの!?」

「あいつが簡単に捕まるとは思えにゃいし、というか捕まったからってすぐに出てきそうにゃ」


 関わる周囲の人間の大半がアリスを"完全な足手まとい"と見做している一方、しっぽ同盟の面々はアリスのことを弱者とは思っていない。


 精霊で周囲をがっちり固め、更に体調も改善されている最近は総合的に自分より強いとすら考えている。シャオ以外は。


「可能性があるにゃら、あたしらを巻き込まないため……だろうにゃ」

「うん……」

「むぅぅ」


 わかりやすくため息をつくノーチェが思いつくのは、仲間を巻き込まないために帰還できないのだろうという理由。


 スフィたちとしてはまるで守られているような気分になってしまって、複雑極まりないのが正直な感想だ。


 もっともアリスとしては仲間を危険から遠ざけているというより、関わることによるリスク部分を大人に擦り付けているだけ。


 一部の強者つわものから『自分の幼さを利用できるあたり、むしろ老獪ろうかい』とも評価されているクレバーさは、まだ幼い少女たちには理解できない部分だった。


「4体も上位精霊を張り付けて危険も何もないとは思うがのう」

「でも心配なの! 疲れて倒れちゃったらって!」


 アリスを評価するにあたって一番大きな欠点がやはり体力である。


 環境が落ち着いて治療の効果も出てきたからか、家の中やトイレへの往復で行き倒れることは殆どなくなったが、常人が理解できないほど虚弱であることに変わりはない。


 ワラビと装備のコンビプレイで浮遊移動出来るとは言え、朝からぶっ通しで活動しているアリスの限界が近いと考えるのも無理はないことだった。


 ましてや何事かあったのであれば、体力の消耗は激しいだろう。


「精霊は制限があるとはいえ、あのムキムキの牛人がついておるし大丈夫じゃとは思うが」

「ちょっとこわいけど……うん」

「あのおっちゃんも強そうだけどにゃ」

「うぅー……心配!」


 再び部屋の中をぐるぐると周回しはじめたスフィに一同は溜息をついた。


「スフィちゃん、落ち着いて」

「うぅぅ……ぐるる」


 見かねてなだめるフィリアにスフィが唸る。


「もういっそ探しにゆくかのう?」

「リーダーとして許可できないにゃ」


 なんだかんだ言っても、残ったメンバーの中で一番冷静なのはノーチェだった。


 自分たちが動くことでむしろ引っ掻き回してしまうことは理解できている。いざという時に止めてくれる人間が居ない以上、先日のような無茶をする気にもなれなかった。


「不服だけどいつでも動けるようにして、待機にゃ」

「ううううう」

「何であやつばっかり活躍できるのじゃろうなぁ」

「できることが多いから……?」


 4人は高く評価されてはいるが、それは勉学や戦闘技術という方向でのもの。


 一方でアリスは錬金術師という技術者としての能力を評価されているため、大人側も後方支援役として起用しやすかった。


 むしろ率先して敵を潰しに行くあの性格こそが想定外である。


「ま、あたしらの出番だってそのうち……!?」

「!!」


 全員揃って耳をピクリと動かして窓を警戒する。


 ノーチェとスフィが剣を手に前に立ち、いつでも加護の盾を出せるように構えたフィリアの背後でシャオがシャルラートを呼び出す。


 普段鍛えられた連携をここぞというところで発揮する面々の前で、窓の外にひび割れた仮面をつけた男が落ちてくる。


 宿から少し離れた砂浜に倒れる男は、身体のあちこちに氷の塊がついていた。生きてはいるが動くことは出来ないようだ。


 唐突な出来事に唖然とするしっぽ同盟の前に、ローブをはためかせて空から小さな影が舞い降りる。


「……えっと、アリス?」


 若干の警戒を滲ませてスフィが首を傾げる。


 夜空を背にするビークマスクに黒いローブとシルクハットという人物像は、気配から妹だとわかっていても警戒を消せないようだった。


「……ただいま。悪いけど移動する、準備して」


 ようやく帰還したアリスがうめく仮面男の顔面に着地しながら、心底不服そうな声を出した。

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