├赤鱗の剣

 アリスがサーカス団員と追いかけっこをしている頃。


 宿に残っているスフィたちの元にもまた、ひとりの客人が訪れていた。


「……あ、あの、どうしてここに?」

「偶然、近くにいると聞いたのよ」


 マレーン・リュエル・レッドスケイル。


 レッドスケイル辺境伯家の御令嬢がスフィたちを訪ねてきたのは、アリスがプレイグドクターとして出掛けてすぐのこと。


 宿のラウンジで向かい合うスフィとマレーンの間には、なんとも言えない緊張感が漂っていた。


 マレーン本人に敵意はないが、近くで睨んでくる侍従や護衛は違う。


 絶妙な居心地の悪さは、快活なスフィすらも縮こまらせる。


「…………」

「…………」

「……にゃんだこの空気」


 一方でマレーンの方にも何故か奇妙な緊張があるようで、何も言えないお見合いが続く。


 少し離れた席で様子を伺っていたノーチェの呆れたような声が、本人が思っているよりも響いた。


「……そういえば妹さんはどうしたのかしら、具合でも悪いの?」

「う、ううん……うん、お部屋で休んでる、よ?」


 距離を取って何かを探ろうとするマレーンとそれを避けるスフィ、主の言葉に対する無礼な返事に空気をピリつかせる侍従たち。


 気付けばラウンジにちらほらと居た客たちの姿はすっかりと消え去っていた。


「外周1区はあまり治安が良くないと聞くわ、くれぐれも気をつけて」

「わ、わかってる……ます」


 相変わらず過保護とも言える態度に反応を決めかねるスフィを見て、マレーンは何かを諦めた様子で立ち上がった。


「暫くは近くの別荘に滞在する予定だから、何かあれば気軽に訪ねてきて」

「わかっ……はい、わかりました」


 緊張の解けない返事を聞きながら、マレーンは侍女に支払いを命じて宿を出る。


 海を一望できる道を少し歩いてから立ち止まり、誰も聞こえないように小さな溜息を吐いた。


「……本当に、困ったわね」


 ふらりとアヴァロンを訪れた狼人の双子姉妹、彼女たちの身元についてわかっている人間は限りなく少ない。


 マレーン以外ではSクラスの担任であるフォレスくらいだ。


「どうして、よりにもよって私たちなのかしら……」


 運命の神の悪戯だというのなら、あまりにも悪辣が過ぎるとマレーンは気分が沈むのを隠せない。


 7年前に起きた大事件。


 フォレス自身もマレーンの家も、その事件によって立場を大きく落とした者同士。


 あまりにも影響が甚大すぎるが故に表立った動きはないが、レッドスケイル家は中央での権力をほぼ全て失ったに等しい状況にある。


 前当主が全ての財産と利き腕を自主的に献上することでケジメをつけていなければ、一族断絶にされていてもおかしくはなかった。


 折角手に入れた重要な情報も、確実に信頼できる人間にだけ通すことが出来ない。


 途中で情報が漏れれば、伝わってほしい相手に情報が伝わるまで一体どれだけの混乱をもたらすか想像もつかない。


 ただでさえ諜報活動に適した人材が出払っていて防御が甘い上に、7年に一度の祭りで諸外国から来賓が集まるこの時期に気付いてしまった。


 『自分の手に余る』というのが正直な気持ちだった。


「お嬢様、お言葉ですが平民の方を屋敷に呼びつけるべきでは……」

「わかっているわ、余計な口出しはやめなさい」


 できることならば"確証"を手に入れたいが、侍従がいる前で踏み込んだ話は出来ない。


 歴史あるレッドスケイル家の使用人たちはプライドが高く、最近のマレーンの行動を快く思っていない者も多い。


 不満の矛先はマレーンが気にかけているスフィたちに向かう。


 学院内ならまだしも学院外では身分の差があるのは事実ならば、貴族が自ら平民の元に足を運ぶのは論外に近い行動だ。


 正論だけに上手く反論も出来ずにいた。


「……屋敷に戻るわ」

「かしこまりました」


 数年前までは普通にあった聖王や各騎士団長への伝手、一切合切を失った弊害をここにきて痛感するとは思っていなかった。


「(フォレス先生が近衛の団長に上手く話を通してくれるのを待つしか無い、もどかしいわ)」


 痛む胃のあたりを無意識にさすりながら、マレーンは足早に道を歩いていった。



「……私をどこの誰か、知っての行動かしら」


 宿から少し離れた場所で立ち止まったマレーンは、腰の鞘から赤い長剣を抜き放った。


「お嬢様?」

「動かないで」


 突然の行動に目を白黒させる侍女に対し、護衛としてついてきていた騎士2名の反応は早かった。


 素早く剣を抜き、マレーンの死角をカバーするように背中を合わせる。


 マレーンが察知したのは、遠くから自分たちの様子を伺うような気配。


 へばりつくような嫌な気配は、暗殺術を学んだ者たちが放つものによく似ていた。


「……?」


 しかし気配はすぐに紛れるように消えてしまい、感知できなくなる。


「(私たちが狙いではなかった? だとすれば監視されていたのは……)」

「ただの賊でしょうか。どうしますお嬢さま」


 思案するマレーンに声をかけたのは護衛のひとり。


 長くレッドスケイル家に仕えている男性騎士だ、不機嫌そうにしながらも関わりがないのであれば主を危険に曝したくないようだった。


「追いましょう」

「……え?」

「民へ危険を及ぼす者が街に紛れているならば、看過は出来ないわ」


 明らかな詭弁だった。


 騎士志望とはいえ、身分的にはただの貴族令嬢であるマレーンのやるべき仕事ではない。


 動揺を隠せない侍従たちにも気付かず、焦りを噛んで剣の柄を握りしめる。


「(私たちに三度目はない)」


 この華剣を受け継いだ時にマレーンは家の事情の大半を聞かされている。

 

 聡明だった彼女は、ある意味では当事者よりも重く現実を受け止めていた。


「追って捕らえるわ。エジットは私と来なさい、2人は屋敷に戻って待機を」

「そのようなこと! 騎士団に任せるべきではありませんか!」

「……いいえ、今私が動くべきよ」


 眼の前にある危機を見過ごすことは出来ない。


 マレーンは制止を振り切り、剣を鞘に収めたまま街の中を駆け出していった。



「つかれたー……」

「あの姉ちゃん、なんなんだろうにゃ」


 宿の部屋に戻ったスフィはすぐにベッドの上にへたりこむ。


 あからさまに格上の貴族相手に、周囲から圧をかけられながら対応させられる。


 幼い子供の精神力を削るには十分すぎる環境に、普段は元気いっぱいなスフィもあからさまに疲れ果てていた。


 アリスのような図太さがあれば良かったが、生憎とスフィは精神的には普通どころか脆い方だ。


 もっとも、例えギルドマスター相手でも平然と"既読無視"をしかねないアリスと比べること自体が間違いとも言えるが。


「うぅー……アリス……アリス……アリスがたりないぃ」

「あれから癒やしを得られるのはおぬしくらいじゃろうな」


 別行動の機会が多いせいか、妹成分が欠乏しているスフィにシャオが呆れた様子を見せる。


 しっぽ同盟の面々からすれば末妹のアリスは"癒やし枠"ではなく"不思議ちゃん枠"である。


 癒やしとは対局の位置だと認識していた。


「はやく帰ってこないかなー……」

「そういや、あいつも遅いにゃ」


 プレイグドクターに着替えたアリスが出かけてはや数時間。


 何かあったとしか思えないほど、アリスの帰還は遅かった。


「何かあったのかな」

「それ以外ないじゃろう」


 不安そうなフィリアが窓から外を見る。


 アリスが「何もなければ夜までには戻る」と言っていたが、未だに帰ってくる気配はない。


「だいじょうぶかな」

「あのムキムキな牛人がついておるなら危険は少ないじゃろ、二の腕がわしの胴体くらいあったのじゃ」


 牛人の錬金術師グラムは肉体的にも強者である。


 スフィたちの戦闘力センサーにも十分に感じ取れる実力もあり、そういう意味で心配はしていなかった。


 しかし……。


「そうじゃなくて、最近ずっと考え事してるみたいだから……夜になったらおねむになっちゃうんじゃって。あの恰好だと無理できちゃうみたいだし」

「あー……」


 アリスは逃げに関する能力が恐ろしく高いというのは、しっぽ同盟の共通認識。


 問題となるのはいつだって体力面だった。


「……アリス」


 窓から外を見るスフィの瞳が、少しずつオレンジ色に変わっていく空を映し出す。


 雨の匂いを伴って、夜が近付いて来ていた。

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