サーカスの獅子人

 幻想の夜というサーカスはかなり大規模な一座だった。


 客を招く舞台用のテントの他、昼間に小規模の見世物をするスペースもあるようだ。


 そういったスペースのかなり奥には演者が生活するためのテントがあって、ぼくはその中のひとつへ案内された。


「ここだ……おい、医者を連れてきたぞ」


 医者、半獣という言葉でこの男が光神教の影響圏内出身であることが伺い知れる。


 錬金術師ギルドの影響が強い星竜教では医者ではなく治療師って呼ばれるからね。


「…………入って」


 テントの前でかけられた言葉に、険がたっぷり含まれた返答がきた。


「入ってくれ、先生」

「わかった」


 男に促されると、ワラビに移動させてもらいやや薄暗いテントの中に入る。


 中に居たのはサーカスの舞台で見た獅子人の少女と、それよりもいくつか年上に見える同じ獅子人の少女。


 ふたりとも赤い髪に金色の毛の耳と尻尾を持っている……顔立ちも似ているし、姉妹だろうか。


 姉らしき獅子人の少女がぼくを見るなり、しっぽの先端を警戒で膨らませた。


「あ、アンタが医者なの?」

「そんなところだ、患者はそれか?」


 返事をしたのは姉のようで、妹らしき獅子人は粗末な布の上で横になっている。


 顔が赤くて呼吸も荒い、熱があるのかもしれない。


「ま、待ってよ! 勝手に妹に触らないで!」


 近づこうとしたぼくを遮るように、獅子人の姉が両手を広げて妹を庇う。


 その姿がスフィと重なった。


「……幼いとはいえ女性の診療をするんだが、貴様は礼儀というものを知らんのか?」

「おっと、こりゃ失礼。途中にあった蛇のレリーフのかかったテントにいるから、終わったら教えてくれ」

「わかった」


 入り口から中を見ていた男はおどけた素振りを見せて、このテントから離れていく。


 十分に離れたのを確認したところで、ぼくは警戒する獅子人の少女に向き直る。


 帽子とフードをずらして耳を見せれば、少女は燃えるような赤い瞳を丸くした。


 論より証拠、色々言葉で説明するよりこっちのほうが手っ取り早い。


「アンタ、獣人?」

「そうだ、診療させてもらうぞ」


 これだけで警戒を解くのは少しばかりちょろい気もするけど、話が早くて助かった。


 少女がどいてくれたので寝ている少女の隣に下ろして貰い、診察をはじめる。


「熱が出たのはいつからだ? ここ数日の食欲は?」

「ね、熱は昨日からよ。食欲は……あまり無かった気がするわ」


 熱は高いが酷いってほどじゃない。


 呼吸も荒いけど肺や心臓に雑音ノイズはない、強いて言うならお腹の辺りが少しきゅるきゅる鳴っているくらい。


 空腹とかじゃなくて、少し調子が悪い時になりがちな反応だ。


 喉は少し赤くて、顎や脇の下あたりを触ると少し腫れぼったい感じがする。


 脈拍の乱れも、見える範囲に湿疹や不自然な外傷もない。


「咳とかはあった? 水を飲みたがらなかったりは?」

「咳は……ないけど、水は……確かにあまり飲みたがらなかったわ。ここの水が口に合わないのかと思っていたけれど」


 病態自体は深刻な感じはしないし、他に問題がなければ急性上気道炎……つまり風邪症候群の可能性が高い。


「恐らくは疲労からくる風邪だろう、栄養を取らせて休ませれば治る」

「……そう」


 ぼくの診断に、獅子人の姉は暗い表情を見せた。


 理由がわからなくて数分ほど考えて……ようやく気づく。


 あぁそうか、こっちでは"ただの風邪"でも命を奪う病になりうるのだ。


 風邪で体力が削られることによって免疫力が落ち、衛生環境の問題から別の重篤な病に感染して命を落とす。


 気軽に治療を受けられない大陸西方の人間、ましてや休んで栄養を取るということがなかなか難しい旅人にとっては尚更だ。


「治療薬ではないが改善する物はある、飲ませておけば悪化はしないだろう」

「でも、高いんじゃないの?」

「実験のため格安で受ける……そう言って来ているからな」


 念の為持ってきていた錠剤の入った瓶をカバンから出す。


 薬じゃなくて、果物や野菜から抽出したビタミンを錠剤にしたサプリメントのようなもの。


 本来スフィたちのために開発したもので、まだまだ抽出と保持は甘いけど最低限のビタミンは取れる品物が出来ている。


 旅の最中に新鮮な果物とかは難しいから何とか出来ないかとずっと考えていたんだよね。


「1回2錠を朝と夜に、ほぼ無味無臭だ」

「……確かに、嫌なニオイはしないわね。ありがとう」


 蓋を開けて匂いを嗅いで、ようやく獅子人の姉は落ち着いたようだった。


「ありがとう先生、ホントのことを言うと不安だったから安心したわ」

「あぁ……それで、少し聞きたいことがあるんだが」


 瓶を胸元に抱きしめてため息を吐く少女が、ぼくの言葉に再び緊張する。


「長話を悟られたくないので端的に聞こう、お前たちは自分の意志でこのサーカスに居るのか?」

「違ッ」

「静かに」

「違う、わ」


 やっぱりというべきか、彼女たちには事情があるようだった。


「一応は味方のつもりでここにいる、話してくれるか?」

「……えぇ、同じ月の大狼に連なる者としてあなたを信じるわ」


 叫びかけた獅子人の姉をなだめて、もう少し詳しい話を聞かせてもらうことにする。


 信じるという言葉は時として攻撃的な意味にも使われる。


 もし騙すつもりならば同じ獣人といえど容赦はしないと、その瞳が語っていた。



 診療を終えたあと、蛇のレリーフのかかったテントへ行くと仮装男が待ち構えていた。


「よう先生、どうだった?」

「疲れからくる風邪だな、大した処置も必要なかったから銀貨1枚でいい」

「そいつは随分と格安なことで」


 ピンと指で弾かれた銀貨を、杖を持っていない手で受け取る。


 受け取りやすい位置に、受け取りやすい角度と速度。


 よほど反応が鈍い人間でもない限りは簡単に取れるコイントス、狙いは正確だ。


「確かに」

「あれでもうちの稼ぎ頭でね、妙なことはしてないよな?」

「稼ぎ頭ならもう少し労ってやれ」

「そうするよ」


 受け取って踵を返しながら、テント内に一瞬視線を巡らせる。


 仮装男に鞭を持った女、鉄仮面を付けた大男。


 魔獣はびこるゼルギア大陸で旅一座なんてやっているなら、相応の戦力がいるのは必然だ。


 こいつら3人が主力級なのだろう、気配からして尋常じゃない。


「またよろしく頼むよ、先生」

「あぁ、またな」


 仕事はもう終わったので長居は無用、ローブをはためかせながらサーカスを後にする。


 物理的に視線が遮られるまで、仮装男たちの鋭い視線を背後に感じていた。

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