獣人の錬金術師

 騎士団での取り調べを終えた宿への帰りついた翌日のこと。


 昼前の市場で貝の串焼きを買ってみんなで食べながら海沿いを散歩していると、知り合いの姿を発見した。


「ロド?」


 Dクラスのクラスメイト、猫人のロドだ。


 石造りの船着き場に止まっている船の前で、積み上げられた荷物の影で座っている。


 ロドはぼくに気付いていないのか、タンクトップに半ズボンで、首にかけたタオルで暑そうに額を拭う。


「あいつって確か、アリスのクラスの猫人にゃ?」

「うん」


 こんなところで見るとは思わなかった。


 なんか仕事中みたいだし、邪魔しても悪いかな。


「ひっ」


 そう思って離れようとした途端、ロドの背後から現れた巨大な影にフィリアが悲鳴をあげた。


 入れ墨のある巨大な胸板に、大きな角が生えた牛の頭。


 指や身体にシルバーのアクセサリーをジャラジャラつけた、腕だけでぼくの腰くらいの太さがありそうな獣毛型の巨躯の牛人。


 肩に黒い布をかけて現れた男は、どうやら今まで船の中にいたようだ。


「ロド。今日の作業は終わりだ、あがっていいぞ」

「はいっ! お世話になりました!」


 男に気付いたロドがしっぽをピンと伸ばして直立不動になる。


 ぼくの知っているロドは気だるげで皮肉屋な男の子で、あんなにハキハキしてる姿は見たこと無い。


 いや、学院の教師陣にはそれなりにちゃんと対応していたような。


 というか牛人の男性に向ける視線が普段の様子からは想像もつかないくらいキラキラしてる。


「ふむ、怪しいのじゃ……」

「え?」

「女官の持っていた本の中にのう、ああいう悪い男に騙されてしまう少年の話があってのう……」


 シャオの語る内容はなんというか、ベーコンがレタスでサンドされるような創作物としか思えなかった。


 聞いているフィリアの顔がどんどん真っ赤になっていく。


「その女官、シャオに本が読まれたことでシャオに優しい人たちに怒られてなかった?」

「む、何故知っておるのじゃ?」

「理解した」

「ひとりで納得しないで説明するのじゃ」

「やだ」


 どうやら創作物か、艶本の類いで合っているようだ。


「ろ、ロドくん……あの男の人に、そんな」

「たぶん違う」


 全くついていけず頭の上にハテナマークを浮かべているスフィとノーチェに対して、フィリアの頭の中がピンク色になってしまっている。


 このままだとクラスメイトの名誉がやばいので、ぼくは仕方なくロドたちへと近付いた。


「あっ……お前」

「よっす」


 気配に気付いて振り返ったロドが、ちょっと気まずそうに顔をそらす。


「知り合いか?」

「学院のクラスメイト……です」


 見られたくないところを見られたって反応だ、仲が良いってわけじゃないから気持ちはわからなくもない。


「ほう、学院の」


 強面の視線がこちらを見回している最中、ぼくの所で止まった。


 眉間に分厚いシワが寄せられて、まるで睨まれているような気分になる。


「ロドは何してたにゃ?」

「仕事だよ、仕事」

「何のー?」

「何でもいいだろ」


 ノーチェとスフィに絡まれてロドが嫌そうな反応をしている横で、ぼくと強面さんの睨み合いは続いた。


「あ、アリスちゃん、あの」

「…………の、のじゃ」


 ちょうど両隣にいたシャオとフィリアが圧に押されてびびっている。


「も、もういいだろ! それじゃ俺、失礼します」

「ああ」


 スフィたちの"何で"攻撃に辟易した様子で逃げ出していくロド。


 小さくなる背中を見送ったところで、強面さんが近付いてきた。


 ……近くで見るとほんとにでかい、ぼくの3倍くらいあるんじゃなかろうか。


「お初にお目にかかる、お嬢さんがた。俺はしがない錬金術師で、名をグラムという」


 男は肩にかけるように持っていたコートを広げて羽織り、慇懃に礼を見せた。


 コートの襟には2枚羽のフラスコが描かれた銅の徽章。太陽の光に照らされて光るそれは、何よりも雄弁な身分証明だ。


「ぼくはアリス、これでも錬金術師」


 返礼代わりに3枚羽の自分の徽章を見せる。最近出番がない徽章だけどしっかり持ち歩いている。


 このサイズだと、服のお腹部分に貼り付けた不思議ポケットから取り出しても違和感がないので助かる。


「やはりそうか、お噂はかねがね。小さき才媛にお会いできて光栄だ」


 じっと見てきたのは、やっぱりぼくのことを知っていたからのようだ。


「そんなに噂広まってるの?」

「新素材が陸海問わずフィールドワークに大きな革新を齎すだろうということでね、我々のような行動派の学者や技術者の間では君の話題で持ちきりだよ」

「……そんなに」


 ぼくの行動範囲は学院内の研究室か勤務先の治療院。


 支部には必要がないといかないから、どんな噂が広がってるのかわからない。


 でも一発で信じて貰えるのは便利だなと思う。


「アリス、アリス、ロドとの関係を聞くのじゃ」

「うん、うん」


 何故かフィリアとシャオの鼻息が荒くて怖い。


 さっきまで怖がってたのに、錬金術師だとわかった途端に好奇心が勝ったらしい。


「……猫人の子、弟子にするの?」

「ふむ、先月アヴァロンに戻った折、ハリード錬師から頼まれてな。夏季のあいだは面倒を見ることになっている。弟子になるかはロド次第だ」

「なるほど」


 恐らくロドがハリード錬師に頼んで、獣人の錬金術師に弟子入り出来ないか聞いたんだろう。


 今は試験中ってところかな。


「塩梅は?」

「やる気は十分というところか、これからだな」


 ククッと笑うグラム錬師は、逆光もあって悪の帝王みたいな雰囲気をさせている。


「すぐ側にこれほどの錬金術師が居るのに本当に俺で良いのか、とは思うが」

「ぼくは人に教えるの向いてないから。信じてもらえないし、教えていてもすぐナメられる」

「外面的な情報だけで判別する者が多いのは嘆かわしいな、ましてや真理の探究者たる錬金術師を志しておきながらそれとは……」


 手のひらで顔を覆って、おおげさに頭を振るグラム錬師。


 大振りな所作を見て、手のひらの上に座れそうだなと呑気なことを考えていた。


 だからだろうか、ロドに逃げられて手持ち無沙汰になっていたスフィの反応に気づけなかったのは。


「アリス、マクスお兄ちゃんになめられたことあるの?」

「言葉選びをまちがえた、小馬鹿にされるって意味」

「ひどいこと言われたの!?」

「…………」


 ぼくが錬金術を教えている相手は今のところひとりだけ。


 スフィが勘違いするのも当然と言えば当然なので、妙な誤解を解こうとしたら余計に酷い誤解が生まれた気がする。


「ここで会ったのも何かの縁だ、よければ昼食に招待させては貰えないだろうか?」

「あ、ぜひ。スフィ、グラム錬師がお昼たべさせてくれるって」


 ぼくが困ったことを察したのか、グラム錬師が助け舟を出してくれた。


 入れ墨と筋肉のガチムチ強面な見た目に反して何もかもがスマートな男だ。ハリード錬師に似ている部分がある。


「うん、おじちゃんありがとう……アリス、いじめられたらちゃんと言うんだよ?」


 だけどスフィの中で深まった謎の疑惑は解消することが出来なかった。


 ……まぁ、仕方ないと諦めてもらうしかない。


「いじめられておるのは、どちらかというとマクスにいの方ではなかろうか」

「だよにゃ」

「うん」


 他の子たちにまで疑惑が広がらなかったことは不幸中の幸いだった。


 もちろん、マクスにとっての。

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