外から来るのは
スフィに手を惹かれて波打ち際へ近づき、足に冷たい水の感触を覚えたところで、ふと自分は海に入って大丈夫なのかという根本的な疑問がよぎった。
緊張しながら様子を伺っていたけど、幸いにも何かが起こることはなかった。
「はぁ……」
「精霊さんに好かれるのも大変だって、アリスちゃんを見てると思うよ」
安堵しながらしゃがみこんだところで、隣に立つフィリアが同情したように言った。
外から見たメリットも凄いんだろうけど、デメリットも凄まじい。
「とりあえず、こっちから呼んだり働きかけたりしない限りは大丈夫ってことはわかった」
反応を見る限り精霊側もそのあたりで一線を引いているようなので、ぼくも出歩く以上は改めて気をつけないといけない。
ノリと勢いで少し気が緩んでいた。
「ん?」
波の影が映る白い砂を眺めていると、周囲の空気が変わる。
少しピリついた感覚に顔をあげて振り返ると、ノーチェが砂浜の方を睨んでいた。
視線の先には……護衛を連れた、フードをかぶった商人らしき普人族。
明らかにぼくたちへと向かって近付いてきている。
暑さを凌ぐのに肌を隠すのは、砂漠とかの雨が少なく日差しが極端に強い地域での対処法。
自然が多くて水が豊富で、湿度もそれなりに高いアヴァロンではあまり一般的じゃない。
そのことから彼等は外国の人間で、かつアヴァロンにあまり慣れていないことが伺い知れた。
商人たちは波の届かない位置で止まり、護衛らしき髭面の男がバシャバシャと音を立ててぼくたちの方へとやってきた。
「氷を生み出すアーティファクトを持つ半獣の子供というのはお前たちだな?」
「違うにゃ」
ばっさり切り捨てられた男は、面食らったような顔をした。
外から見た情報からしたら妥当な結論だとは思うけど、残念ながら大外れである。
「お前たちが氷を売っていたという話は聞いている、嘘をつくな!」
「それはあたしらにゃ」
「ほらみろ!」
なんかすれ違いコントみたいなやり取りになってきた。
「ええいまどろっこしい! 我が主人! 砂漠の大鷲たるベゼット商会のハルムルキド様がお前たちを使用人として買ってやろうと仰っておられる! ついてこい!」
「嫌にゃ」
買ってやる、かぁ。
西方には砂漠の国がいくつかあるから、今ある情報だけじゃどの国かわからなかった。
これだけ堂々と近くにいる精霊にも気づいていないみたいだし、未踏破領域を抱えていない小国なのかもしれない。
口に出したら燃え盛りそうだから大人しく黙っていようと思う。
「そうか、わかったら服を着てついて来い。急げ」
「だから嫌にゃ」
「……何?」
それだけ言って戻ろうとした男が途中で立ち止まり、怪訝そうな顔で振り向いた。
男が本気でわからないって顔をしているあたり、獣人そのものを奴隷として扱っている文化のある国の出身なんだろう。
光神教の影響が強いところだと、ものすごくナチュラルに"獣人すなわち奴隷"って考えが浸透してるようだし。
「なんだと! ハルムルキド様は相応の待遇で迎えてやると言っておるのだぞ!」
「いや、結構にゃ、お断りにゃ」
「正気か!? 半獣は損得の勘定もできんのか!」
そこまで聞いたところで、ぼくは視線を足元に戻した。
正面からきてこれなあたりレベル低いし、ノーチェに任せておいて大丈夫だろう。
「そうか……我等の温情を切り捨てるか」
「…………」
とうとう飛び出た意味不明な言葉に、こちら側が全員困惑してるのがわかる。
「くくく、首輪をつけておらんあたり貴様らは野良だろう? 騎士団に伝えられればまずいのではないか?」
「……にゃ?」
そこそこ成功した勢いで初めて国外に手を伸ばした商人ってところだろうか。
国ごとの法律や文化の違いなんかをいまいち理解していない、こういう人間は実は意外と多い。
貴族や大商人ともなると、外交するにあたってきちんと勉強してる人が多いんだけどね。
あまりにも想定外のことを言われて困惑するノーチェを見て、男は有利を確信したようだ。
「罰せられればまともな条件での引取先はなくなるだろう、その前に我等が引き取ってやろうというのだ。ハルムルキド様は劣悪な条件で飼育されている半獣の保護活動もしている寛大なお方だ、悪い条件ではないぞ」
「……お断りにゃ」
「強情な……! ではここの騎士団に通報させて貰う! 後悔しても遅いからな!」
「好きにするにゃ」
説得不可能と見たのか、男は肩を怒らせてノシノシと戻っていく。
商人風の男も不服そうにこっちを見ていたけど、すぐに砂浜から立ち去っていった。
「にゃんだったんだ、あれ」
「文化的摩擦」
「んゅ?」
なんというか、いろんな国から人が集まってきてるんだなと思う一件だった。
その後、真剣な表情を浮かべた普人の騎士が来て「不審な外国人がうろついているから、何かあればすぐに近くの詰め所か腕章をつけた騎士を頼るように」と告げてくるオチがついた。
■
それからは平和なもので、海で遊んで砂浜で休んでを繰り返していた。
ぼくもちょっとだけ、波打ち際でぱしゃぱしゃと水を蹴ってはしゃいだ。
はしゃいでいる最中に道行くお姉さんたちに「見てあの子」「あんなお姫様みたいな女の子実在してるんだ……」という謂れのない誹謗中傷を受けたりしたけど、概ね楽しかった。
「ねぇねぇアリス、これなんだかわかる?」
明日の筋肉痛を覚悟しはじめたころ、ノーチェと果汁の搾り汁を買いにいっていたスフィが奇妙なチラシをもらってきた。
「さー……かす?」
それは簡素なイラストで書かれた広告で、外周1区の海沿いでサーカスをやるという宣伝だ。
サーカス……響き渡る笑い声……血まみれのピエロ……うっ、頭が。
「おぉ、雑技団の興行じゃな! ラオフェンで見たことがあるのじゃ」
「お姫様だった頃にゃ?」
「わしは今でもお姫様なのじゃ!」
「アリスよりもにゃ?」
「見た目の話ではないのじゃ!」
「まとめてぶっとばすぞ」
仲間からの根拠なき中傷に蘇りかけたトラウマが飛んだ。
助かったけどそれはそれ、これはこれだ。
「いろんな人間や動物がのう、いろんな芸をするのじゃ」
「情報がないに等しいにゃ」
「……ジャグリングとか、いわゆる曲芸って呼ばれる芸を習得した人たちが多国籍な芸や演出で客を楽しませる旅舞台の一種」
「あ、知ってたんだ」
我ながらこの手の奴にトラウマ持ちすぎなんじゃと落ち込みつつ、持ち直したところで知っている知識を口から吐き出す。
「たまにピエロっていうおそろしい怪物がでる」
「そんなの聞いたことないのじゃが……」
こっちのサーカスではピエロは出ないようだ、ちょっと安心した。
もうひとつのトラウマ、くまのぬいぐるみの『マイク』は加減が効かなかっただけで、ぼくに対する優しさがあった。
けれどピエロの方は駄目だ、思い出しても悪意しか無かった。
「ジャグリングってなんだにゃ?」
「こういうの」
足元から砂を拾い上げ、ガチガチに固める。
ひとつ、ふたつを放り投げては違う手で受け取ってを繰り返し、みっつのボールを交互に行き来させる。
たしか3ボールカスケードって技だっけ。
前世で護衛だった傭兵から教えてもらった余興だ、ジャグリングはこれしか出来ないけど。
「おぉー!」
「ほんとそういうの器用だよにゃ」
「たしかにそういうのもやっておったのじゃ、もっとすごかったがのう」
「おしまい」
砂の重さに耐えられず、手が上がらなくなってきたので砂塊を落とす。
うおぉ、手がぷるぷるする。
「アリス大丈夫?」
「うん」
「大丈夫じゃない時の奴だにゃ」
「今夜から開演だって言ってたけど、行けそう?」
「スフィが行きたいなら行く」
もう一度、今度は落ち着いてチラシを見る。
安い半紙に書かれている謳い文句は『精霊と人間、幻想の競演が幕を開ける』……か。
精霊術士がこういう興行をやっているのかもしれないという事実には、恐怖を越えて興味を惹かれる。
色々限界に近いけど、がんばって行ってみようかな。
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