うーみー!
「おつかれだにゃー!」
「おつかれなのじゃー!」
海が見渡せる宿の一室、みんなで揃ってマグカップを掲げて、冷たい水を喉へと流し込む。
「はぁー、今日は忙しかったにゃ」
「色々予想外だったのじゃ」
「…………」
「フィリアー、だいじょうぶー?」
となりではスフィが、コップに口をつけながら船を漕いでいるフィリアの肩を揺らす。
あ、テーブルに突っ伏した。
「数えてないけど随分稼いだにゃ」
「重かったのう、いくら入っとるんじゃろう」
「銅貨で6320枚くらい」
「途中からバケツでくれっていう人多かったもんにゃあ……」
最初はコップに一杯で近くで飲み物買ったり氷をそのまま食べたりどうぞって感じだったけど、途中からバケツでくれっていう人が出てきた。
誰かが『バケツ山盛りの氷に果物や瓶入りのエールや白ワインを突っ込み、キンキンに冷やすとアガる』という事に気付いてしまったようで、海岸ではそれがちょっとしたブームになってしまったのだ。
「アリスがたくさんの氷に果物とか飲み物の瓶いれてカウンターの脇に置いてからだよねー、お客さんがそれくれって言ってきたの」
「そういえばそうだにゃ」
瓶や果物は見た目も華やかになるからね。
ノーチェたちも喜んでくれたら、休憩によかれとおもって……。
「いや流しとったが、何故そんな正確に枚数がわかるのじゃ?」
「総重量から袋の重量を引いて銅貨の重さで割る」
「総重量っておぬし触っておらんじゃろ、持ってきたのわしらじゃぞ」
「自分が歩いた時と置いたときの床のきしむ音を比較した」
「相変わらず凄い耳してるにゃ」
確かに汗と湿気で耳の毛もくるくるだけど。
耳を上下に動かしていると、そろりと近付いてきたスフィの指が耳の先をつまんだ。
ぴっぴっと跳ねさせて指から逃れ、ぼくもテーブルに突っ伏する。
開けっ放しの窓から流れ込む夕方の潮の匂いが、なんとも郷愁を誘った。
「結局今日はあそべなかったねー」
「その分稼いだし、明日は遊ぶにゃ!」
実を言うと店を片付けた後も『氷をくれ』という商人が多くて、ちょっとばかり揉めてしまって遊べなかった。
色々手助けしてくれた冒険者の獣人曰く、どうやら南方の一部や西側北部の海沿いの国は武術のほうが発展しているようで、澄んだ氷というのが貴重品らしい。
アヴァロンではそこまで珍しくなくとも、わざわざ海辺で氷を売ったりする術者は居ない。
安定して氷を作り出せる術者なら、大店の商人にもっと高額で雇われるからだ。
商機を求めてたどり着いたばかりの小規模商人にはチャンスに見えたようで、思わず群がってしまったのだろうと。
言われてみれば商人風の人間は、髪色なんかの特徴からしてアルヴェリア人が居なかった気がする。
命令すれば出すだろうと獣人を下に見る西方人にまとわりつかれてしまい、遊ぶに遊べなかったのだ。
「獣人のおっちゃんたちも、あいつらきっちり締めといたって言ってたしにゃ」
「けっかんすごかったね、あたまの」
アルヴェリアでも獣人の子どもの拉致事件は後を絶たない。
都市部なら騎士団が目を光らせているが、自治区では自力で身を護らないといけない。
獣人の大人は誘拐犯と戦ってきた経験から、外国人に対する警戒心が人一倍強い傾向がある。
表立ってはただ我慢してる風に見せてるけど、たぶんこっそり西に遠征して奴隷を誘拐したりしてるんだろうな。
今回もついでとばかりに奴隷の情報を絞り出してることだろう。
「夕日がしずんでくのじゃ」
「うみー! 明日こそあそんでやるからにゃー!」
「うーみー!」
シャオが寝かけているフィリアをソファに寝かせながら、窓から見える海に目を細めた。
水平線が赤からオレンジ、青紫へと変わり空が不思議な色合いに染まっていく。
「きれー」
天気の良い日に日没から少しの間だけ見れる空の色彩。
まるで魔法のように美しい写真が撮れることから、地球ではこの時間がマジックアワーと呼ばれていた。
こっちでは意外と条件がそろうことが珍しくて、なかなか見るチャンスがなかった。
スフィがうっとりと両手を頬を当ててため息をついた。
「アリスもやるにゃ!」
「えぇ……」
「呼んだからって何か来るとは限らにゃいだろ、距離あるし! ものはためしにゃ!」
疲れのせいか不思議な色の空のせいかノーチェのテンションが妙に高い。
引っ張られるまま窓際に寄って、暗くなっていく水平線に視線を向ける。
……まぁ、実際同じようにやったところでなにかある可能性は低い。
杞憂かなーと思いながら、ためらいがちに口を開く。
「うーみー……」
――ォォォォ
「ごめん呼んでみただけー! げほっ」
後半、反射的に声を張り上げたせいでまた咽た。
背中をさすってくれる感触に呼吸を整えながらしゃがみ込む。
視界の端では、もこっと盛り上がった水平線がゆっくりと元の海の形に戻っていく光景が映っていた。
「な、なんじゃあれ」
「……変なことさせて悪かったにゃ」
「チュピ……」
『ずっとチャンス伺ってたのね』というシラタマの恐ろしい言葉を頭の中から排除しながら、ぼくはスフィに抱きついた。
「ぼくもうなにも喋りたくない」
「よしよし、ほら、すぐ帰ってくれたし悪いこじゃないよ、たぶん」
慣れきってしまったようなスフィの言葉が絶望を更に加速させる。
こういうのも
やっぱり用事もないのに呼びかけたりするもんじゃない、特に海のような神秘の塊に対しては。
「おねえちゃんごはんまだ」
「もうちょっとしたらだから、いい子でがまんしてね?」
「露骨に現実逃避はじめたにゃ……」
急速に語彙が増えているノーチェの言葉に耳を閉ざし、ぼくは宿のごはんを楽しみに恐怖を乗り越えた。
翌日なぜか沖合の怪物の噂が出回ったけど、クジラだったんじゃないかということでその日のうちには落ち着いた。
ぼくも『実はクジラだった』であってほしいと、心から思った。
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