残り雪

 この世界の魔術はそこそこの才能があれば使うこと自体は簡単だ。


 生憎とぼくにはその肝心な才能が無いけれど、普人族なら10人中9人が魔術の才能を持っていると言われている。


 だからこそ生活魔術なんて呼ばれるような、日常での使用に便利な魔術が広く伝えられたりしているのだ。


 そのくらいであれば、真面目に勉強すれば数日程度で使える。


 まぁ魔術師と呼ばれるようなレベルで"使いこなす"となると話は別なんだけど。


 そんな世界で氷の扱いがどんなものかといえば、『やろうと思えば手に入れられなくもない』という代物。


 魔術によって起きる現象は魔力の供給を止めればすぐに消えてしまうが、現象によって起きた物質への変化は残る。


 魔術で氷を生み出してもすぐに消えてしまうけれど、冷気を放って水を凍らせれば氷が残る。


 なので氷を売ったところで騒ぎになるほど売れることはない、そう思っていた。


 完全に間違いだった訳だけど。



「あっちで熱さで倒れたやつがいるんだ、このバケツ一杯にくれ!」

「こっちが先だ! 急いでるんだ!」

「ちょっと待つにゃ! 氷が足りないにゃ! アリスー!」


 昼もとうに過ぎているというのにカウンターの前は人でごった返していた。


 熱中症で倒れた人を介抱しようとする人が少数に、若い商人らしき人が結構な数。


 なかなかに圧が強い。


「氷って外でも売れるのじゃ?」

「売り物を守るために必要なんでしょ」


 交代で休憩していたシャオが足を伸ばしてげんなりした顔をする。


 アヴァロンには港があるのに、新鮮な海のものが食べられるのはだいたい外周3区まで。


 それ以上の距離を運ぶと傷んでしまうのが原因で、遠くへ運ぶには魔術師や魔道具を頼るしか無い。


 箱に氷を敷き詰めて、仕入れた魚を外周8区まで持っていけばそれなりの利益になるだろう。


 夏場は特に新鮮な魚が手に入りにくいらしいしね。


 海を見れば遅めの漁に出ていた船が戻って来る頃だし、今から魚を仕入れにいけばギリギリ間に合う。


「流石に安かったかな」


 値段設定を安くしすぎたかもと思ったけど、かといってこれ以上高くすると全く売れなくなる。


 そろそろ日も傾いてきたし、潮時だ。


「ノーチェっげほっごほっ」

「あぁもう、急に大声出すからじゃ」

「販売……しゅうりょうを……」

「ノーチェ! 在庫切れなのじゃー!」


 ノーチェに声をかけようとして咽たぼくの背中をなでながら、シャオが叫ぶ。


 こちらを振り返ったノーチェとフィリアが「助けが来た!」みたいな顔をした。


 一応言っておくけど、売れるときに売りまくろうって決断したのはノーチェだからね?


「今ある分で最後にゃ! 人命優先にゃ!」

「ありがたい!」

「おい! 冗談じゃないぞ、こっちにも予定があるんだ!」

「あーこらこら、子どもに詰め寄るんじゃない。商品がないっていうんだから仕方ないだろ」


 氷の入ったバケツを持って駆けて行く水着姿の男性を見て、商人らしき男が食い下がる。


 それを列整理に協力してくれていた海浜騎士団のお兄さんが宥めるけど……。


「半獣の奴隷ごときが人間に逆らうとは! この国では奴隷に一体どういう教育をしているんだ!?」

「あぁ……あんた西側の人か、あっちで話そう。おーい、誰かこの子たち見ててやってくれ」

「おう!」


 一気に雰囲気が張り詰めた騎士団の人が、西側出身らしい商人を連れて別のところへ歩いて行ってしまった。


 それにしても気づけば周囲に獣人のお兄さんお姉さんの姿がチラホラ見えるようになっている。


 一見すると酒飲んだり軽食取ったり普通に遊んでるんだけど、こっちの様子を伺っているのが気配でわかった。


 歴史的な背景と『商品として子どもが狙われやすい』っていう実情があるとはいえ、獣人の子どもに対する心配は本当に強いみたいだ。


「終わりにすんなら変なのに絡まれる前に片付けちまいな」

「おう、兄ちゃんさんきゅーにゃ」

「豹のお兄ちゃんありがとー」


 獣毛種の豹の獣人のお兄さんに促されて、ノーチェたちが慌てて外を片付け始める。


 こっちも中を片付けるか。


「片付けたらちょっと遊んで宿に帰ろう」

「そうじゃな、夕餉が楽しみなのじゃ」


 それにしても、治安が良くないという言葉に何とも言えない含みを感じていたのはやっぱりこれが原因か。


 外国から来る人間が多い外周1区や8区は、獣人の子どもが無防備にうろつくにはちょっとリスキーなのかもしれない。


 まぁ並の誘拐犯なら返り討ちに出来るだけの実力はあるつもりなので、ひとまずは大丈夫だろうけど。


 ……今のぼくは揺られたくらいで気絶したりしないし、側についていてくれるのはシラタマだけじゃない。


「シラタマも今日はおつかれさま、ありがと」

「……チュピ」


 使っていた道具を片付けながら、シラタマボックスの中で半分溶けて液状化しているシラタマにお礼を言う。


 間違いなく今日一番頑張ってくれた功労者だ。


 暇すぎて形を保つのすらやめてしまってるあたり、本当に申し訳なく思う。


 同じ場所にじっとしているだけってさ、自分の意志だけでやってるうちはいいんだよね。


 でも"そこに居なきゃいけない"理由が出来ると途端に暇が苦痛になってくる。


 気持ちは痛いほどわかった。


「こういうのは、これっきりにしたほうがいいかな」


 お金はほしいけど、シラタマに辛い思いをさせたい訳じゃなかった。


 箱そのものはシラタマが外で快適に過ごすために使うけど、商売は考え直したほうがいいかもしれない。


 そんなことを考えながら口をついて出たつぶやきに反応して、シラタマがぼくの頭の上に飛んでくる。


「チュピピ」


 穏やかなさえずりは、『気にしなくていいわ』と優しく言ってくれているようだった。


「チュリリ」


 翻訳するなら、『私もあなたたちの仲間なのよ?』って感じか。


 いつの間にかぼくだけじゃなく、ぼくの大事な友だちのことも認めてくれていた。


 そのことが、なんだか妙に嬉しかった。


「うん、ありがとう――あのね、シラタマ」


 でもね。


「すっごい冷たい」


 半分溶けた状態で人の頭の上に乗るのだけは、金輪際やめてほしい。

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