風と共に謡うもの

 嵐はどんどん激しくなっていく。


 打ち付ける雨で視界は奪われ、晴れ渡っていた空はあっという間に夜の如く暗くなった。


 海水が風の渦に巻き上げられて壁のように持ち上がっては、重さに任せて落ちていく。


 まるで海が揺れているようだった。


「アリス、つかまって!」

「うん」

「……あれ?」


 風に耐えるスフィに頷いて、背中に捕まる。


「風、そんなにつよくなくなった?」

「変わってないとおもう、実際はあれだし」


 身体を寄せ合って風を耐えているノーチェたちを指差す。


「スフィ、大丈夫にゃ!?」

「うん! アリスおんぶしたら大丈夫になった!」

「その手があったにゃ……!」


 ノーチェが「いざとなれば」と言いたげな眼でぼくを見る。


 人をステージギミック解除用のオブジェクトみたいに扱わないで欲しいんだけど。


「じゃあちょっと行ってくるね!」

「どこいくにゃ!?」


 一方的に言って、スフィは風の中を軽やかに歩いて行く。


 体重のかるそうな女性の冒険者が風に巻き上げられて、他の冒険者が慌てて掴んで止めているのが見える。


 目を開けているのも厳しいみたいで、動くぼくたちに気づく人は居ない。


「ついたけど」

「うん……」


 呼び出されたのはいいけど、ぼくには全く聞こえない。


「えっとね……えっとね……」


 何かの声が聞こえている様子のスフィが、何とか翻訳しようとしてくれているのを待つ。


「うーんと、使ってほしいって」


 精霊の言う事は抽象的でわかりにくい事が多い。


 それをつなぎ合わせて導き出した答えは、これまたよくわからないものだった。


「キュピピ」


 シラタマが補足してくれたところによると、どうやら精霊そのものはとっくに消滅しているようだ。


 大昔にこの岩に封印されて暫く、さすがの精霊も本体を維持できなくなったらしい。


 生物のように肉体や命という概念に縛られる存在ではないけど、"器となる核"を失えばやがて消滅してしまう。


 ここにいた精霊は、封じられる過程で核を失ったようだ。


「アリス、ざんりゅーしねんってなに?」

「おばけ」

「ふえ!?」


 岩に残されていたのは精霊の力と残留思念。


 意思と呼ぶには弱々しいため、スフィも翻訳に困っているみたいだ。


「精霊さんのおばけ?」

「そんな感じ」


 実態がどうかは置いといて、イメージとしてはそれに近い。


 問題はその精霊の残留思念がなんでぼくを呼んだかなんだけど……。


「キュピピ」


 シラタマによると石の中に核が埋められていて、それをぼくのカンテラの中に入れてほしいようだ。


 つまり、自分の遺物を元に新しい精霊を生み出してほしいってこと。


「……なんで見ず知らずの精霊にぼくのカンテラのことが知れ渡ってるの?」

「……」


 別に慎重に秘匿してないので、一部の人間にはぼくがアーティファクト持ちであることは知られてしまっている。


 しかし、ぼくの持つ『原初の光ルクス・オリジニス』に対する周囲の認識は、あくまで『不思議な影を操る事ができるアーティファクト』だ。


 知っている人間からも、大した事ができるアーティファクトとは思われていない。


 だけど、このカンテラは精霊の核を吸収することで新しい精霊を生み出せる、あるいは精霊の核を移籍できる機能がある。


 そっちの情報は表に出さないようにはしていたので、知っているのは身内だけ。


 なのに完全に初対面の精霊が知っているのが疑問なんだけど。


 思わずつぶやいた疑問に、頭の上でシラタマがフリーズする気配が伝わった。


 やっぱり精霊に関係する何かなのか。


 ……知るだけで不幸を招く情報もある。


 前世では、アンノウンを知ってしまったが故に人生がめちゃくちゃになった人を飽きるほど見てきた。


「……チュピ」


 元気のないさえずりが、彼らの禁忌に触れないギリギリで教えてくれた。


 『すぐ近くにいれば、わかる』のだと。


 頭の上に手を伸ばし、雨に濡れるシラタマを優しく掴んで胸元に抱きしめる。


 躊躇してから頬ずりしてくるシラタマをそのままに、スフィに頼んで岩に近付いてもらう。


「アリス、とどく?」

「うん、ありがとう」


 岩に手を触れて『解析アナリシス』をすると、大岩の中心部分に何かあるのがわかった。


 魔力を通す感触が、永久氷穴の氷と似ている。


 ……そうか、この岩そのものが未踏破領域の残り香みたいなものなのか。


 錬成で通り穴を作って、中身を剥離させると……丸いものが転がり出てきた。


「……朽ちかけた、ガラスの鈴?」

「ぼろぼろだね」


 かなり劣化していて損傷が激しいけど、ガラス製の鈴のようだった。


 手に持って軽く振ってみると乾いた音がする。


「これ、どうするの?」

「チュピピ」


 アリスに任せると言われた。


 ぼくの周辺に集まる精霊の統率とかはシラタマに任せている感じだけど、今回は流石に判断に困っているみたいだ。


 ……ま、既に3人も精霊が集まってるんだし、いまさらひとり増えたところで大差ない気もする。


 問題はこの核からどんな精霊が産まれるかなんだけど。


「スフィ、ここの精霊ってどんなかんじだった?」

「えっとね、なんか優しい感じだったよ? この風をとめてほしがってるみたいで」


 精霊すなわちアンノウンは基本的に人間が嫌いだけど、破壊を好む子ばかりじゃない。


 中にはマイクやブラウニーのように一部の人間に好意を示す子たちもいる。


 スフィの反応から見て、暴れるタイプの精霊ではないみたいだった。


 騙されている可能性もあるにはあるけど……。


「いざという時は、止めてくれる?」

「キュピ」


 胸元から肩に移動したシラタマが、任せろと羽毛をふくらませる。


 風を物ともせずにスフィを支えてくれていたブラウニーも、ぽふっと胸を叩いてみせた。


 前世ではアンノウンは危険だ凶悪だと教えられ、その有様を見せつけられて育った。


 培った『アンノウン』への警戒心はそうそうに消えやしないし、怖いという感覚が間違っているとも思えない。


 だけど、こっちの世界で精霊として自然に世界に溶け込んでいる姿を見たことで、素直に彼らを受け入れることが出来るようになった気がする。


 それに、今は味方だと思える子たちがすぐ傍にいてくれる。


 なんとなく、大丈夫な気がした。


「スフィ、岩陰までおねがい」

「わかった!」


 スフィにおんぶして周囲から見えない位置まで移動してもらい、呼び出したカンテラに朽ちた鈴を放り込む。


 燃え上がるように広がった淡い緑色の光が渦を巻き、収束していく。


 光の中で形を成したのは、なんとも不思議な外見をした存在。


 クラゲのように半透明なゼリーの中に、白い蛇の骨格のようなものが浮かぶ。


 まんじゅう型の身体に突起のような手足が6つ。


 その全ての手で緑の文様が入ったガラスの丸い鈴をしっかりと掴み、空中に浮かんでいる。


 ガラス鈴は底面が丸く開かれていて、内部に浮かぶガラス製の細い棒には、緑色の文字が書かれた短冊のような紙が垂れ下がっている。


 風に吹かれて短冊が揺れると、つながっている細い棒が底面の縁にぶつかってチリンと軽やかな音を鳴らした。


 暴風雨の中でも聞き取れるような、澄んだ綺麗な音色だった。


「スフィだよ、よろしくね!」

「……よろしくね」


 名前はあとで考えよう。


 よろしくと伝えるぼくらに、産まれたばかりの精霊はチリリンと鈴を鳴らして答えた。


 さて、あとはこの嵐をどうにかすることだけど……。


 この子の力を借りればと考えはじめた矢先、どすんと音を立てて近くに何かが落ちてきた。


「っ!」

「……魔獣?」


 牙を持つ魚のような魔獣が、岩場に叩きつけられて虫の息になっている。


 嫌な予感がして空を見上げると……凄まじい暴風で海水ごと巻き上げられた海の生き物たちが空を飛んでいる姿があった。


 この台風の中心は風力が比較的弱いみたいで、外側をぐるぐる回っていたものが内側に移動するに従って失速して落下してきたのだ。


 みんながギリギリで風に巻き上げられずに済んでいた理由が、魔獣の降り注ぐ檻を作り出していた。


 早めになんとかしないと、まずいかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る