余裕

 穴からまず飛び出してきたのは大きな黒い蜘蛛。


 ゲドラがアーティファクトで呼んでいた蜘蛛にそっくりだ。


「なんだこいつ!?」

「敵ですわね! いきますわよクリフォトさん!」

「ふえええ!?」

「前に出るんじゃない!」


 武器を構えて飛び出そうとしたブラッドたちを、護衛の剣士はがんばって押し留めている。


「チッ、どうしてこうも……!」


 続いて見覚えのある男、ゲドラが姿を現した。


 蜘蛛を護衛のように周囲に配置している。狭い洞窟内では有効な手だ。


「あいつら何やってるんだ!」


 ゲドラだけが姿を見せたことに、護衛の剣士が苛立ちを見せる。


 上手く誘導されて撒かれたんだろうなぁ、隠れ場に選んだってことは内部構造は把握しているだろうし。


 護衛に選抜された冒険者も決して無能ではないんだろうけど、こういった手合とは相性が良くないみたいだ。


「わるいひと!」

「さっきはまんまと逃げてくれやがったにゃ、もう逃げ場はないにゃ!」

「……ガキばかりか」


 外に出て明るさに目を慣らしていたゲドラは、ぼくたちを見て気配を変えた。


「そうだなぁ、逃げ場はなさそうだ」


 追い詰められている側なのに、焦りは見えない。


 あぁ、そういうことか。


「切り替えの、早いこと」

「どういうことじゃ?」

「回避じゃなく、攻撃に切り替え、たってこと」


 ついさっきまでのゲドラは、逃げを最優先にして余計な戦闘を回避していた。


 それが子ども相手であっても、無駄なリスクを取ろうとはしなかった。


 追い詰められれば鼠だって猫を噛む、追い詰められたのが猛獣ならば考えるまでもない。


 邪魔するやつは始末したほうが速いと、そう判断したんだろう。


「狼の嬢ちゃんは動くなよ、脅しじゃねぇことくらいわかんだろ」

「…………」


 ゲドラの視線が一瞬向かうのは……こっちの船か。


 自分の乗る分を残して他を壊せば一石二鳥、実にスタンダード。


 でもね。


「おまえがスフィたちを、傷つけないなら」


 ぼくの知ってるあの男は、2度も連続で同じ失敗をする人間じゃない。


「ッ!」


 敢えて視線を動かさないようにしていたのに、やつはぼくの視線が固定されてることで逆に察してしまったようだ。


 近くの岩陰から飛び出してきたハリード錬師の回し蹴りを、ゲドラは既の所で回避する。


「チッ」

「うわぁっ!? いってぇ!」


 襟首を掴まれて震えていたミリーが、引っ張られた勢いで悲鳴を上げてすっ転んだ。


 痛がりながらまくれたスカートを大慌てで戻してる……なんだその拘り。


 それはともかく……やらかしてしまった。やっぱり実戦は難しい。


「ごめん、ハリード錬師、ミスった」

「先程の行動を失敗に数えるのは合理的ではありませんよ」


 攻撃を避けられたハリード錬師は涼しい顔だ。


「やはりアリスさんには気付かれていましたか」

「ううん、そのくらいしてないなら、心のなかで無能って呼んでた」

「それは危ないところでした」


 突入する時に気配を殺して岩陰に身を潜めていたようだ。


 ぼくが気付いたのはついさっき、彼が音もなく姿を現した瞬間。


 突入組には、捕縛に失敗したならこちら側に誘導するように伝えていたんだろう。


「ハリードさん!」

「貴方はそのまま子どもたちの守りを、ここで仕留めます」

「…………」


 人質は愛し子、魚人は既に封じてある。


 抱えて海へ逃げるのは無理だろう。


 ゲドラは鉤爪を構えて、恐ろしく冷たい眼でぼくたちを睥睨した。


「食い散らせ、ブラックウィドウ」

「せんとう準備っ!」


 奴が持っているのは、恐らく特定のワードに反応して力を発揮するタイプのアーティファクトだ。


「ひえええ!?」


 黒い渦から無数の蜘蛛が湧き出して、クリフォトがバカでかい悲鳴をあげた。


「子どもたちは俺の後ろに!」

「る、ルイくん! ルイくーん!」

「おほほほほ! 流石は名の通った暗殺者ですわね、でもわたくしの方が派手ですわ!」

「おれのダチに手をだしやがって! ぶっとばしてやる!」

「後ろに居てお願いだから!!」


 護衛の剣士の言うことは尤もだけど、残念ながら下がっていられる状況じゃない。


 見ているだけでも数十匹、人間並みのサイズの蜘蛛が鎌のような手を振りかざしてこちらに殺気を向けている。


 船のときとは違う、逃げ回っていたら追い詰められてやられる。


 奴の目的はハリード錬師にぼくたちを護らせること、そうやって隙を作ろうとしているんだ。


「ノーチェ、防御をぜんていとした、応戦」

「わかったにゃ! フィリアとシャオとルークはアリス囲んで防御! あたしとスフィで近いやつを叩くにゃ!」

「うん!」

「りょうかいっ!」


 ノーチェの号令に合わせてフィリアが盾を構え、ぼくの眼前に陣取る。


 シャオは最初からぼくの近くに居たので弓の準備を、ルークは戸惑いながらフィリアの後ろにやってきた。


 陣形が整った瞬間、既に蜘蛛は近くまでやってきていた。


「とりゃー!」

「ボルトスラッシャー!」


 スフィの放つ風の刃で脚を薙ぎ払われ、体勢を崩した蜘蛛の頭部をノーチェの太刀が割る。


「ふたりをまもって!」


 続けざまに迫る後続の蜘蛛の鎌手は、フィリアが生み出した光の盾が防いだ。


 みんな加護も武器も使いこなしてきてる。


「……わしもいい加減、活躍の時だとおもうのじゃ」


 全く引かずに戦うノーチェとスフィ、その背中をまぶしそうに見つめる視線がふたつ。


 そのうちのひとつ、シャオが静かに前を見据えて手を伸ばした。


「汝の名は麗しきせせらぎ、癒やし慰めるもの、霊水の管理者。我らが縁と結びし約定に従い、我が元へきたれ盟友……『シャルラート』!」


 水が集まり、魚のような形を作る。


「我が名は小鈴シャオリン、ラオフェンの姫巫女が妹にして、霊水の愛し子! 共に征くぞ、シャルラート! 水刃!」


 堂々と名乗るシャオが指で蜘蛛を指し示し、シャルラートが口のあたりから収束した水を放つ。


 まるで鋭利な刃物に切断されたかのように、黒い蜘蛛がふたつに分かれた。


 ……船の上でもそうだったけど、内臓は見えない。あの蜘蛛は生物ってわけじゃないようだ。


「もう一発じゃ! わははは! わしとシャルラートに敵はないのじゃ!」


 それにしても、船の上ではすっかり意気消沈してたのに今じゃこの有様だ。


 上陸する時にもう乾いていた下着を着直してたけど、それだけでテンションが回復したのか。


「じゃあ全部任せていい?」

「それは無理なのじゃ! というかおぬしは働かぬのか?」

「今は戦闘力が……フカヒレもブラウニーも危ないからやめて」


 口からレーザーを撃とうとするフカヒレと、殴りに行こうとするブラウニーを止める。


 残念ながらフカヒレは遠距離の命中率がいまいちで、ブラウニーは近接攻撃ですらノーコンである。


 この乱戦でまともに戦えるのはシラタマだけで、今はぼくの温度管理とさっきのサメとの喧嘩でリソースが乏しい。


 今回は戦闘メンバーが充実してるので、守る分には大丈夫だと思ってるのもある。


「ルイくん! パンチして!」

「くらえぇ!」

「おーほっほっほ! 彼方より、此方に届く煌めきよ! 集い踊りて像を成し、派手に、輝かしく、わたくしに相応しく敵を砕きなさい! 『死を齎す幻像モータルミラージュ!』」


 豚のぬいぐるみとブラッドが連携しながら蜘蛛の体勢を崩し、マリークレアがやたらビカビカと七色に光る戦士の幻影を呼び出して蜘蛛に止めを刺している。


 あの3人も本当に強いというか、マリークレアの使う魔術がぼくの知ってるものとちがう。


 強固な意思とイメージがあれば、魔術をアレンジ出来るとは聞いたことはあるけど……あの年齢でそれが出来るのは天才と言ってもいいかもしれない。


 方向性についてはコメントを差し控える。


「みんな強いからね」

「たしかにそうじゃな」


 普通に応戦できているメンバーを見ながら言うと、シャオも納得したようだ。


「非戦闘員同士、ルークと一緒に大人しくしてる」

「…………」


 大人しく守ってもらおうねとルークを見ると、彼は七色の味がする苦虫を噛み潰したような、表現し難い表情をしていた。


「ルークはまぁまぁ動けなくもないのじゃ、おぬしと一緒にするのは残酷すぎよう」

「いろんな方面でしつれいな」


 シャオの一言によって、ルークはとうとう剣を持つ手を下げてしまった。


 それを言ったら獣人と普通の人間を比べること自体が可哀想だ。


「ぼくは、動けなくても強いぞ」

「精霊頼りじゃがな……」


 シャオには言われたくないセリフを言われて、寝転んだままビームライフルを連射してやろうかという考えが浮かぶ。


 貴重な弾薬を無駄に消費するわけにもいかないし、何より危ない。


 ……待てよ、あれって無生物だよね。


解析アナリシス


 カンテラで作った影の錬金陣を蜘蛛に貼り付けて、試しに錬成をかけてみる。


 ……なるほど、黒い糸のような物を筋肉と神経のように編み込んで、そこに魔力を流して操っているのか。


 あいつが個体ごとに操作しているとは思えないけど、電波のように何かを飛ばして命令している。


 中心に何かの核のようなものあって、そこで受けた命令を元に予め設定されたプログラムを自動で実行する。


 つまりこの蜘蛛は魔力で遠隔操作するロボット、すなわち古代ゴーレムのようなものかな。


「なるほど、錬成フォージング


 大蜘蛛が鎌手を振り上げたところで錬成で割り込み、右手の向きを変えて斜め後ろにいた蜘蛛の頭部に叩き込ませる。


「ふにゃ!? にゃんだ!」


 頭部に頭脳にあたる機関が集中してるから、頭部を破壊するのは正解だ。


 そのまま操って別の蜘蛛を攻撃させようとしたら、その場でくるくる周りだして自壊してしまった。


 うーん、ハッキング対策か……やるな古代人、あるいは神。


「アリス! いきなりはびっくりするからやめて!」

「事前に言ったら対策されるでしょ」


 スフィに怒られてしまったけど、こればかりは仕方ない。


 ほら、ぼくが何かした事に気づいて蜘蛛が近づいてこなくなってしまった。


 仕方ない、安全圏が形成されたのは結果オーライだ。


 護衛の剣士も気付いたのかブラッドたちを誘導しながらこちらに合流しようとしてる。


 ビーチチェアに横になって、ハリード錬師の戦いを見学することにしよう。


「蜘蛛が近づいてこなくなったにゃ」

「アリス、何したの?」

「いや、余裕すぎじゃろおぬし……」


 戦いの半分は心理戦、余裕を見せつける側が常に有利なのだ。


 怖くても、泣きそうでも、ちびりそうでも……平気な顔して笑ってやれば、それだけで相手よりちょっと強い。


 寝転んだまま両手でピースを作ってみせると、ハリード錬師と睨み合うゲドラを見て顔を強張らせていたフィリアが、困ったようにふにゃりと笑った。


 溜息混じりの苦笑だったけど、怖い顔よりずっと"良い"とぼくは思う。

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